インタビュー

『善き人のためのソナタ』フロリアン・ヘンケル・フォン・ドナースマルク監督 インタビュー

芸術は人を変えることができると信じている

 東西ドイツが統一を果たす5年前の東ドイツを舞台に、徹底した監視体制を敷いて国民を恐怖で支配したシュタージ(国家保安省)の真実を暴き、自らが監視する芸術家カップルにいつしか心惹かれていく男の苦悩と選択を圧倒的なドラマで描いた『善き人のためのソナタ』。ヨーロッパ映画賞3部門をはじめ、数々の映画賞に輝き、アカデミー賞外国語映画賞最有力候補でもある本作で長編監督デビューを果たしたフロリアン・ヘンケル・フォン・ドナースマルク監督に話を聞いた。

フロリアン・ヘンケル・フォン・ドナースマルク監督

 1973年、ケルン生まれ。NY、ベルリン、フランクフルト、ブリュッセルで育つ。レニングラード(現サンクトペテルブルク)の国立IS研究所でロシア語を学んだ後、オックスフォードに進み政治学、哲学、経済を学ぶ。リチャード・アッテンボロー監督の『ラブ・アンド・ウォー』(96)の現場で映画演出を学び、名門ミュンヘン映像大学監督科に入学を許可される。在学中『Dobermann』(99)、『Les Mythes urbains』(01)、『The Templar』(02)などの短編が評価される。本作は2000年から企画を始めた初の長編映画である。

非常に心揺さぶられる映画でした。家族や隣人、恋人でさえ密告者であり得た時代を経験したとき、それが終わったからといって、人間に対する信頼は容易に回復できないのではないかと思いますが、現在、旧東ドイツの方々はどのような思いを抱きながら生きていらっしゃるのでしょうか。何らかの心のケアはなされているのですか?

 それは良い質問だね。現状では、そういう方たちは自分自身で対処せざるを得ないんだ。ナチス独裁政治が終わった1945年の頃とはかなり状況が異なっている。あの当時は、アメリカを含む連合軍がナチスを撃退し、ドイツ人がナチス支配の過去を克服できるようにさまざまな援助もなされたんだが、89年のベルリンの壁崩壊後は何のケアもなく、誰もがこの時代を忘れることの方を好み、あたかも何も起こらなかったかのようなふりをしたんだ。だから、そのことを話題にするときもコメディのように、つまり笑いながら話されることが多かった。映画などでもこれまでは、苦しんだ人々の経験をシリアスに描かれることはほとんどなかったんだ。
 今作で主演しているウルリッヒ・ミューエの例を挙げよう。彼は高校を卒業してから、非常に厳しいシュタージの監視下に置かれていた。兵役に就くと、ベルリンの壁を越境しようとする者を見張る兵士としての任務を与えられ、誰かが壁を越そうとしたら射殺するように命令されていて、「撃ち殺さなければ、おまえは俳優にはなれない」と言われていたんだが、彼自身は“もしも射殺してしまったら、自分は俳優になることはないだろう”と思っていたそうだ。なぜなら、そんな自分を許せないからだよ。たまたま運良く、彼の目の前で越境しようとした人はいなかったので、その状況は回避されたわけだが、兵役を終えて、彼は演劇を勉強することを許された。その後何年も経ってから知ったことなんだが、自分が所属していた劇団内で近しかった4人が、実際には彼を監視するためだけに俳優をやっていたのだという。4人のうち2人は誰か判明しているんだが、あとの2人は未だにコードネームしか分かっていないそうだ。
 そして、一番最悪だったのは、93年に彼が自分の監視に関する公文書の閲覧を求めて知った事実だが、6年間の結婚生活の後、91年に離婚した女優の妻(注:ジェニー・グロールマン)が、その間にシュタージに情報を流していた公式協力者であったことが判明したんだ。そのファイルはなんと、500ページにも及ぶものだったという。彼が誰に会ったかなど、日々の生活が詳細に記載されてあって、その中でも「絶対に夫にばれないようにしなければ。それが一番大切だ」と彼女が何度も言っているといったことまで記録されているのを目にする羽目になったんだよ。旧東ドイツでは、こうした裏切り行為は日常茶飯事だったんだ。
 ちなみに、二人の間にはとても美しいお嬢さんがいらして、彼女も女優として活躍しているよ。アンナ・マリア・ミューエという名前だが、彼女が出演した『青い棘』は日本でも公開されたよね?
 実は、僕らはこの映画に関連して本も作り、その中では僕がインタビュアーとなってウルリッヒに経験を語ってもらったんだが、かつてのシュタージの協力者で、現在はドイツ議会のメンバーでもある堕落しきった弁護士がなぜか、ウルリッヒが妻について語ったことに関して、彼と僕を訴えたんだ。500ページものファイルがあると言っても、それが果たして偽造されたものでないという証拠があるのか、と。もちろん、それが本物だと証明することはできず、結局ウルリッヒは敗訴してしまった。彼はこの映画で得たギャラよりも多くの賠償金を、その弁護士に支払わなければならなかったんだよ。実に不幸なことだ。これこそまさに、現在のドイツが、あの時期の東ドイツで起きていたことについてどのように対処しているかの良い例だね。つまり、「もしかしたら、あれはなかったのかもしれない。悪夢だったのかも」と、自分自身を欺こうとしている。でも、あの過去は確かに現実だったんだよ。

監視をされた経験がある方たちと話をされて、どのような印象をもたれましたか?

 体験者たちは肉体的に傷を負っているわけではない。心に傷跡を残しているんだ。だから、一見すると体験者かどうか分からないんだけど、大勢の方々と話をするうちに、僕はお会いしただけですぐに、心に傷を抱えていることが分かるようになった。目に悲しみが宿っているんだ。それが僕にとってはとても大きな体験でもあったね。

ウルリッヒ・ミューエさんは、監視されていた過去があるからキャスティングされたのですか? 彼からアドバイスはもらいましたか? また、こうした経験をした俳優は大勢いたのでしょうか。

 実は、キャスティングしたときにはウルリッヒにそういう経験があったなんて知らなかったんだ。先ほど彼の経験を挙げたのは、残念なことに、こうしたことが普通に起きていたからなんだよ。実際、リサーチした間には、信じられない話をたくさん聞いた。彼の経験以上にすごい話をね。とにかく、当時名の知れたアーティストたちはみんなが厳しい監視下に置かれていたので、同じような状況にあったわけで、それが当時の現実だったんだ。
 ウルリッヒ自身の経験が脚本に影響を与えたかというと、せりふやストーリーに直接的な影響はなかった。ただ、心理的なレベルではあったと言える。パラノイアによって作り出されたシュタージというシステムが、いかに恐怖というものをうまく利用して監視体制を敷いていたのか、その下で人々がいかに苦しめられたのかを、彼は深く理解していたからね。だから、彼の精神的な部分は間違いなく反映しているはずだし、観客の方々にもそれが伝わることを願っているよ。

シュタージには、元ゲシュタポやSD(ナチス親衛隊情報部)の人たちが大勢採用されていたという話もありますが、実際にはどうだったのでしょうか?

 実際には、元ナチス関係者はそれほど採用されていなかったんだ。なぜなら、シュタージが求めるタイプの人間とは違っていたからね。ナチスの方は、例えるなら、老婆の顔をためらいもなく叩きのめすことができるような乱暴な性質を持った人々をリクルートしたが、シュタージにはもっと心理的なスキルが必要だった。だから、比較的知的な人たちがリクルートされたんだ。彼らがやったことも暴力には変わりないが、だいぶ違ったタイプの暴力だった。もちろん、どちらも悪いことには違いはないけどね。

映画化が実現するまで長い時間がかかったようですが、その間、似たような作品が発表されるのではないかという不安はありませんでしたか?

 自分にとって本当にパーソナルな作品に出来れば、似たようなものが発表されるのでは……ということを心配する必要はないと思うね。例えば俳優が、“自分とルックスの似ている人がいるからどうしよう”なんて心配はしないと思うので、それと同じことだよ。だから、自分にとってパーソナルで独自の視点によって語られる物語、映画を作ることができれば、そういう心配は不要だね。

監督はどのようにして、独自の視点を盛り込まれたとお考えですか?

 どんなタイプの作品、あるいはテーマを扱うにしても、脚本家兼監督としては、出来るだけパーソナルな作品にすべきだと考えている。パーソナルということはすなわち、自分なりの見方、固有の視点を用いるということだ。人は同じ経験をしても、考え方や感じ方は違うものだからね。
 今回は脚本を書く際、自分自身の内側に目を向けて、それぞれのキャラクターを作っていったんだ。例えば、非常に冷酷なシュタージの尋問官がどういうことをするのかと考えたとき、彼が冷酷に尋問している様子を想像するのではなく、自分だったらどういう形で尋問するのかと考えた。そうすることによって、パーソナルな映画作りが可能となったんだ。同時に、「これは良い、これは悪い」と最初から決めつけないというのも大切なことで、どんなに悪行を犯そうとも、それを単なる悪と断じることは避けるようにした。だから、観客の方々に感じていただきたいのは、いかに僕がそれぞれのキャラクターにシンパシーを注ぎ込んだかということなんだよ。それこそが、僕のパーソナルな映画の作り方だと言える。

ドイツではどんな点が多くの人々の支持を集めたと思われますか?

 ドイツ史の一時期のダークな側面を描いた作品ではあるんだけど、おそらく、ある人々の行為を悪と決めつけて弾劾していないことが良かったのではないかと思っている。その時代に起きていたことを理解しながら、なおかつ楽しんでいただける作品になっているのではないかな。少なくとも僕はそう願っているよ。
それと、経験者たちがこの映画に自分たちの人生を発見したということもあると思う。これは本当にすばらしい出来事だったのだけど、映画が皆さんにどう受けとめられるだろうと不安だった公開直後、旧東ドイツの作家やアーティストといった知識人たちが、TV番組や新聞で「自分たちの当時の人生が、そのまま映し出されている」と発言してくださったんだ。しかも、とても美しい言葉で語ってくださった。そのことも、多くの方々に支持されることになった要因の一つではないかと思う。

ブレヒトの詩集と「善き人のためのソナタ」というとても美しい曲によって、冷徹な人間だった主人公が人間性に目覚めていきましたが、監督ご自身は、人生観を変えられたような曲に出合ったことがありましたか?

 音楽はないが、僕の場合は映画だね。でも、ヴィースラーが映画を観て変わるというのはどんなものだろう。ドラマチックじゃないね(笑)。そういう理由もあって、音楽にしたんだ。
 個人的には、芸術は人間を変え得ると信じている。僕は出来る限り、人にインパクトを与える映画を作っていきたい。ただ2時間楽しむだけの娯楽映画を作るのであれば、正直映画作りというのは大変なことなので、人生の5年もかけて、2時間だけ人々を楽しませてそれで終わり、というのはちょっと割が合わないんだ。もちろん、娯楽性というのも大切なことだと思っているけど、観客にとってもお金を払って観るからには、あまり内容がないと損をした気分になるんじゃないかな。ところで、日本では映画はいくらで観られるの? 1800円!? 君たちはボラれているね(笑)。でも、長年心に残るような作品に出合えれば、1800円だって払う価値はあったと思っていただけるだろう。そういう映画を作っていきたいと、常々考えているんだ。
 邦題(注:原題は“他人の人生”という意味)にもなっている「善き人のためのソナタ」という曲は、今回音楽で参加してくださったガブリエル・ヤレドが手がけたものだ。ご存知かもしれないが、作曲家は通常、映画を観てから作曲するものだが、彼は撮影前に曲を提供する音楽家なんだ。彼はこう言ったよ。「映像に音楽をつけるのはシニカルな行為ではないか。つまり、映画というメディアには既に音楽の要素が入っている。それなのに、さらに音楽をかぶせるわけだからね」と。そんな彼に曲を発注したときに僕が言ったのは、「1933年に、ヒトラーと2分間だけ対面する時間があると想像してみてください。言葉を交わすことは許されていませんが、自分が作った曲を彼に聴かせることができるのです。そして、その曲によって人類の歴史を塗り替えることができます。つまり、ヒトラーの心に変化をもたらし、実際には彼がやったことを実行させずに済むのです。そのときにあなたが聴かせる曲を作ってください」ということだった。そうして作曲していただいたのが、あの曲なんだ。
 もしかしたら、それは可能だったかもしれない。レーニンは「ベートーヴェンのソナタ“情熱”を聴いてしまうと、革命を最後までやり遂げることができなくなってしまう。だから、聴かないようにしている」と言ったという。芸術が人に与える影響はそれだけ大きいものだ。もしも人種差別主義者の若者がいたら、デンゼル・ワシントンが主演している『タイタンズを忘れない』を見せたいね。これを見た後でも人種差別主義者でいられるとは、僕は思えないんだ。

 近年、世界大戦からベルリンの壁崩壊までの激動の現代史を、ドイツはようやく映画によって自ら語り始めている。数々の見応えある作品が生み出される中でも、『善き人のためのソナタ』は映画史上に残る傑作だといっても過言ではないだろう。私にとっても特別な一作となり、そのタイトルを目にしただけでも心がざわつき、さまざまな思いが胸に満ちてくる。恐怖政治による徹底した監視体制下、家族や隣人、恋人でさえも密告者であり得たという、想像を絶する非人間的な状況にあっても、弾圧の恐怖に耐えながら自らの信念と正気を保ち、芸術や人生を守るために闘う人々、他者の人間性を踏みにじってでも体制に盲信的に順ずる人々、その間で引き裂かれながらも自らの裡に汚れのない小さな明かりを見出す男――不条理な国家体制の中に組み込まれ翻弄される人々の人生の断片。そうした“他人の人生”が、観る者の心を深く揺さぶり、映画よりもはるかにドラマの少ない自分の人生にも、良心に問いかけるいくつもの選択があったことを思い出させる。想像を絶する残酷な現実を自覚した後も彼らが生き延びたように、どんな現実を前にしても与えられた生を、明日が来る日々を慈しまなければいけないのだということを。
 この重厚にして圧倒的な傑作をものにしたフロリアン・ヘンケル・フォン・ドナースマルクという貴族的な名を持った監督は、若干33歳。しかも、初長編監督作だというから驚きだ。一生に一度と言ってもよいくらいの見事な映画を撮ってしまった監督は、次にどのような作品を見せてくれるのだろう。ちなみにもう一つ、何に驚いたかというと、監督の背の高さだ。聞くところによると、なんと2メートル越え。いくら大柄なゲルマンとはいえ、あまりの大きさにあ然……。何はともあれ、来たるアカデミー賞授賞式では壇上に上って、あの達者な英語でスピーチをしている姿を拝見できると、私は確信している。

(取材・文・写真:Maori Matsuura)

『善き人のためのソナタ』作品紹介

 あの日、聞こえてきた一曲のソナタ……。それは自由を体現し、愛を表現し、言葉を紡ぎ出す。その曲を聴いたとき彼は、生きることが与える歓びに、ただうち震えるばかりだった――。
 1984年、東西冷戦下の東ベルリン。国家保安省(シュタージ)局員のヴィースラーは、劇作家のドライマンと舞台女優である恋人のクリスタが反体制的であるという証拠をつかむよう命じられる。成功すれば出世が待っていた。しかし予期していなかったのは、彼らの世界に近づくことで監視する側である自分自身が変えられてしまうということだった。国家を信じ忠実に仕えてきたヴィースラーだったが、いつの間にか反体制のはずのドライマンとクリスタの自由な思想、音楽、文学、生活、そして愛に影響を受け、今まで知ることのなかった新しい人生に目覚めていく。二人の男女を通じて、あの壁の向こう側へと世界が開かれていくのだった……。

原題:Das Leben der Anderen、2006年、ドイツ、上映時間:138分)

キャスト&スタッフ

#キャスト&スタッフ
監督・脚本:フロリアン・ヘンケル・フォン・ドナースマルク
出演:ウルリッヒ・ミューエ、マルティナ・ゲデック、セバスチャン・コッホ、ウルリッヒ・トゥクール、トーマス・ティーメほか

公開表記

配給:松竹
2007年2月3日(土)よりシネスイッチ銀座ほか全国順次ロードショー

(オフィシャル素材提供)

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