インタビュー

『中国の植物学者の娘たち』ダイ・シージエ監督 インタビュー

©2005 SOTELA ET FAYOLLE FILMS – EUROPACORP – MAX FILMS – FRANCE 2 CINEMA

 『小さな中国のお針子』で日本でも知られるダイ・シージエ監督が、『中国の植物学者の娘たち』の日本公開に合わせて来日した。1980年代の中国を舞台に、自我に目覚めた孤独な女性たちの同性愛を描いた本作は、母国では撮影・公開が認められなかったことでも注目されている。自由の国フランスをベースに映画のみならず文芸の世界でも活躍するクリエーターが、あえて困難を伴う祖国を舞台にした物語に挑んだ経緯と完成に至る苦労を語ってくれた。

長くフランスに在住し、フランス語も堪能だと伺っていますが、それでもあえて撮影にさまざまな困難が伴う中国を舞台とした理由は?

 やはり私は中国人ですから、一番よく判っているのが中国人、中国のことだからです。書きたいものも描きたいものも、中国にあるのです。しかも、中国の話にもかかわらず中国で撮影することができず、ベトナムで撮影せざるをえなかったという、非常に複雑な事情がありました。中国の物語を、フランスの中国人が、ベトナムで撮ったのです。スタッフの中には中国人もフランス人もベトナム人もいて、カメラクルーの大部分はカナダ人という非常に複雑な構成でした。現場では、最初から最後までいろいろな言語が飛び交っていました。カメラマンと役者の間に共通の言語がないので私が通訳することになりましたが、初めの頃は、皆私のことをカメラマンの通訳だと思っていました。何ヵ月もの間、現場で交わされている言葉が全く分からずに撮影をしないといけませんから、こういう作品のカメラマンは大変ですね。

主役の2人にミレーヌ・ジャンパノワとリー・シャオランを起用した理由を教えて下さい。

 中国での役者の起用には、ほとんど選択の余地がありませんでした。大部分の女優たちが尻込みしたからです。この映画のストーリーは同性愛ですが、中国ではこれほど経済が発展しても人々の意識は遅れていて、政府からだめ出しが出る以前に、レズビアン映画に出演することへの恐怖感が女優たちの中にあったのです。中国人女優のリー・シャオランは探しに探して見つけたのですが、彼女にはずっとお父さんに奉仕していた役の雰囲気が感じられますね。ミレーヌ・ジャンパノワは中国に行ったことがなかったし、中国語もしゃべれません。ですから、二人はお互いの言葉が分からないのに愛を演じないといけない。二人の絡みのシーンでは相手が話している内容が分からないのに反応しないといけない、このことは大変だったと思います。

前作ではご自身の小説を原作として映画化されましたが、今回はオリジナルの脚本を映画化されました。原作の映画化のアプローチのやり方とオリジナル脚本のアプローチのやり方には、差がありますか?

 全然違いますね。特に、前作の『小さな中国のお針子』はかなり売れていた小説の映画化だったので、あまり変更を加えずに小説を活かして脚本化しました。今回は原作のないところからフランス人の脚本家と一緒に脚本にしていったので、細かい過程でいろいろな想像をふくらませる必要がありました。もちろん、小説を脚色するほうがずっと楽です。
 前作には、それなりに難しさがありました。原作は非常に文学性が強く、人が文学にのめり込んでいくことを描いた作品ですから、本当はあまり映画化するのにふさわしい題材ではありませんでした。前作が非常に難しかったのは、中国での撮影が許可されたからです。最初に脚本を政府に提出して撮影許可が下りたのですが、政府に提出した脚本と私が現場で用意した脚本は違うものだったので大きな問題となりました。スタッフの中にいる政府のスパイが提出した脚本どおりに撮影しているか監視しているのですが、撮りたいものと政府に提出した脚本の間で揺れ動き、撮影している内に何だか分からなくなってしまったので、非常に難しかったです。私自身は全く政治的な人間ではないですし、私の作品も全く政治的ではないですが、なぜか政府と闘わないといけないことになり、世間からはずっと政府と闘っている人間と見られ、とても不思議な気持ちです。

最近の中国政府は、映画をプロパガンダの手段ではなくビジネスとして見るようになってきたので、以前ほど検閲は厳しくないと言っていた中国の監督もいらっしゃいましたが、この作品は中国では公開どころか撮影すらできません。経済は発展しても表現の自由は未だ実現せずといったねじれ現象は、これからも続くと思いますか?

 私は運が悪いのです。私はいつも外国の資本で映画を撮っていますが、このような場合にはチェックが厳しくなります。中国国内で中国の資本で撮る場合には、脚本を提出しなくてもシノプシスの提出だけで撮影許可が下ります。しかも、政府は、第一作から私の作品については面白く思っていなかったので、警戒している点もありますね。当局にとっても、脚本だけで出来上がった作品を想像することはなかなか難しい部分もあります。政治的には、今後も共産党がコントロールを続けていくと思います。特に、彼らの堅持する原則、共産党に反するものは語ってはいけない、少数民族問題を語ってはいけない、宗教を語ってはいけない、そういった原則的なタブーは、そう簡単に変わらないと思います。でも、私の作品は共産党に反対しているわけではないですし、これらのタブーには全く抵触していないはずです。ですから、フランスでは、共産党に対する批判精神が足りないと批判されることがよくあります。このように、私は本当にかわいそうでしょ(笑)? 中国では中国共産党に嫌われるし、フランスでは中国共産党への批判が足りないと言われるし。若い頃を回顧した文章を書くと、中国共産党を美化しているとか、回顧主義だとか言われます。どうしようもないですね。

(取材・文・写真:Kei Hirai)

公開表記

 配給:アステア
 2007年12月15日より東劇ほかにて全国ロードショー

関連作品

スポンサーリンク
シェアする
サイト 管理者をフォローする
Translate »
タイトルとURLをコピーしました