インタビュー

『レンブラントの夜警』ピーター・グリーナウェイ監督 オフィシャル・インタビュー

©Nightwatching B.V.2007

これはレンブラントが、裕福な中産階級の市民グループによる陰謀と殺人を絵によって告発している、17世紀初期のスリラーだ

 ユニークな発想と手法で映画を作り続けている鬼才ピーター・グリーナウェイ監督。美術にも造詣が深く、さまざまな活動を行っている監督が、美術史に燦然と輝く巨星、17世紀のオランダの画家レンブラントの名作「夜警」の謎に大胆な解釈で迫った『レンブラントの夜警』が公開される。来日を果たした監督が、本作を作るに至った経緯から、視覚芸術の歴史と将来におけるその可能性まで滔々と論じてくれた。

ピーター・グリーナウェイ

 1942年、英ウェールズ生まれ。ロンドンに学ぶ。現在はアムステルダム在住。画家として4年間の教育を受けた後、66年、短編『Train』で映画製作を始める。長編劇映画第1作は、批評家に絶賛された『英国式庭園殺人事件』(82)。その後、『ZOO』(85)、『建築家の腹』(87)、カンヌ国際映画祭芸術貢献賞受賞の『数に溺れて』(88)、『コックと泥棒、その妻と愛人』(89)、『プロスペローの本』(91)、『ベイビー・オブ・マコン』(93)、『ピーター・グリーナウェイの枕草子』(96)など、多様な手法による意欲的な映画製作を続け、今までに12本の長編作品と50本の短編やドキュメンタリーを監督、国際的に最も独創的で重要なフィルム・メーカーの地位を獲得している。
 また、ベニスのPALAZZOFORTUNYを始め、バルセロナのミロ美術館、ロッテルダムのボイマンス・ファン・ベーニンゲン博物館、パリのルーヴル美術館などで行ったインスタレーションの制作やキュレーターの仕事でも知られている。その他、本の執筆活動や、舞台やオペラの脚本も手がけている。

まずは、本作『レンブラントの夜警』をご紹介いただけますか?

 我々は新しい映画『レンブラントの夜警』をここ日本で公開していただく。これは17世紀初期のオランダの画家による非凡な絵画「夜警」をベースにしている。1642年に描かれた絵画で、オランダ絵画の長い伝統の一部だ。これは歴史学者が“オランダ文化の黄金時代”と呼ぶ時代に関連付けらていて、おそらく1590年代後期から1674年のヨハネス・フェルメールの死まで続いた。この時代はとても素晴らしい絵画に富んだ時代で、それらは、新しいネーデルランド共和国の大繁栄の影響を受け、非常にプロテスタント的、カルヴァン主義的なものだったが、強大な近隣諸国に囲まれていた初期の民主主義をベースにした実力主義もあった。これらの絵画が描かれた時代から3世代にわたって、オランダ、特にアムステルダムは世界の中心と捉えられていた。
 しかし、この映画の中心となる要素は皆さんがご存知の「CSI:科学捜査班」のようなもので、レンブラントに、シャーロック・ホームズのように、裕福な中産階級の市民グループによる陰謀と殺人を告発させている。もちろん、レンブラントは画家なので絵で語っているわけだ。文章にするわけでも、法廷で証言するわけでもない。自分が一番良く知っているやり方でやる。つまり、絵によって告発しているんだ。それで動機、原因、犯罪性、そして余波を説明している。本質的には17世紀初期のスリラーだね。

監督が抱く、画家もしくは人間レンブラント像とは? また、彼が生きた時代についてもお話しください。

 画家が他の人々と違うと考えるのは間違いだと思う。絵画の巨匠たちには本質的に、多大な技能、献身、そして情熱もあるはずだが、おそらく野心は少ないだろう。アンディ・ウォーホルの言った「15分間の名声」があるだけだから。でも、画家として成功すれば、金、女、地位、良い生活を手に入れることに繋がる。
 これらのことをオランダに当てはめて考えてみよう。オランダは興味深いことに非英雄的な社会だった。皆、プロテスタントやカルヴァン主義者だったから。オランダには「凡人でいることも十分非凡だ」という諺もあるくらいだ。オランダ人たちは、レンブラントにはもちろん才能があるが、本質的には隣人と何ら変わらないと思っていたと想像できる。
 我々は映画の中でもこの点を示そうとした。オランダにはこんな表現がある。英語に訳すのはとても難しいが、“ギゼリック”という言葉だ。“身内の結束”と訳すのが最も近いと思う。彼らは一緒にいることを好むんだ。彼らには民主主義の長い歴史がある。それはずっと昔まで遡ると思う。なぜならオランダはとても平坦な国で、ほとんどの土地が海抜以下の高さにある。私が住んでいるアムステルダムの家も海抜-3mの高さにあるんだ。だから彼らは海水が入ってこないように、民主的な意味で協力し合わなければならない。海水を防ぐのは、1人、2人、一家族ではできない。大きな仲間意識がないといけないんだ。
 レンブラントの表現したもの全てにこういう考えが深く関わっていると思う。彼が一度もオランダを離れず、常に家にいたことは確かだ。とても家庭的な男で、自分が良く知るものを描く傾向が常にあった。それは彼の妻たち、子供たち、犬たち、召使いたちなどだ。彼は本質的に、自分の家の戸口での出来事を描いていた。宗教的な絵画、旧約聖書のイラストや、少ない例だが、ギリシャ、ローマからのクラシカルな絵画を依頼された場合でも、常に身近なキャラクターを入れていたんだ。例えば、近所に住むヒゲにスープをつけた老人や商店街に卵を買いに行く若い召使いなどだ。だから彼の絵画、そして実際、彼自身にも、家庭的な親しみやすさが大いにある。
 でも同時に、レンブラントは西洋社会で最も成功した画家だとも言えると思う。もちろん画家は何百人もいるがね。それは彼が、我々が今も重要だと思うさまざまな重要なものを追求したからだと考えている。彼は共和主義者であり、民主主義者であり、人道主義者だった。女性を大いに尊重する女性卑下反対者でもあった。彼は女の醜い絵を決して描かなかった。もちろん醜い女の絵は描いたかもしれないが、同じことではない。
 それに、気取った表現を使うなら、彼はいわゆる“ポスト・フロイト主義”的で、人間の内なる存在を信じていた。だから彼の感情表現はとても真に迫っていて、内なる精神状態をとらえていたんだ。現代的な表現を使うなら、とても“ポスト・モダニスト”的であったとも言える。すばらしい皮肉のセンスがあり、決めつけがなく、人に指を差し「この男は悪だ、この男は善だ」と言うようなことをしなかった。彼はとても賢いやり方で、流れる時代をカプセルに封じ込め、我々にも難なく理解できるようにしたのだと思う。400年後の我々にだよ。彼は1606年生まれなので、2006年で生後400年だ。
 それが、私がこの大きなレンブラントのプログラムに関わることになった理由の一つなんだ。我々はこの映画を作り終えたが、今、ベルリン映画祭で公開するドキュメンタリーも作っている。国立美術館にある国有コレクションの一つであるオリジナルの「夜警」に大掛かりなセッティング(光と音による演出)もした。この美術館はアムステルダムの中心にあるんだ。私の家の屋根裏の窓のすぐ先だ。私のポケットの中には、これらの素晴らしい絵画を自由に観に行けるカードが入っている。私は、アムステルダムと彼はとても深い結びつきがあると思う。我々は彼が働いていた場所も、彼が行っていた食堂も、彼がコーヒーを飲みに行っていたコーヒー・ショップも、彼が絵を描いた教会も知っている。
 だからこの映画は、特定の画家の特定の絵画、とても有名な「夜警」という絵画が中心になっているが、ある意味、オランダの社会についての映画とも言えるだろう。

監督ご自身はレンブラントの絵をあまり好んでいなかったと伺っていますが、どうして彼の映画を作ろうと思われたのですか?

 西洋の絵画史においてレンブラントを無視することはできない。もちろん、その名声によって楽に世界中を旅することができた画家たちもいる。それにふさわしい画家たちがね。しかし、レンブラントには、とても現代的に思える特別な何かがある。単に画法の観点から見ても、近代画法の開始点であったように思えるんだ。印象派の画家たち、例えばゴッホなどは、レンブラントの絵を見て興奮した。彼の筆使いなどを見ても、レンブラントから多くのアイデアを得ていたことが分かる。だから、彼が最初の重要な近代画家の一人であったと言えるだろう。
 レンブラントがプロテスタントで北欧人であったことも重要だ。なぜなら勢力と文化の中心がイタリアと地中海から離れ、大西洋沿岸に移っていったからだ。アムステルダムは、新世界、特に南北アメリカ大陸に向かう上で作られた最初の重要な町だった。それにアムステルダムには、大変な貿易の手腕があったんだ。おそらくご存知だろうが、ニューヨークは昔、ニューアムステルダムと呼ばれていた。オランダ植民地時代にだ。そしてロシアの歴史的大改革をしたピョートル大帝は5、6年間をアムステルダムで過ごし、興味深いことに、オランダ人になりきろうとしていたそうだ。だからそのことからも、オランダの勢力と影響力はとても大きかったことが分かる。
 黄金時代に描かれた絵画は百万点以上あると言われている。それらを描いた画家たちのほとんどが、おそらくアムステルダムに住んでいた。「夜警」が描かれた頃には2000人の画家たちが絵を描いていたはずだ。画家の数としてはとても多い。その中でも、レンブラントを無視することはできないんだ。私が特に彼のことをオランダで最高の画家だと思っているとは言わない。私の絵画の趣味からいうと、もっと落ち着いた、もっとクラシカルな画家が好みなんだ。ヨハネス・フェルメールはアムステルダムではなくもっと南のデルフト出身の画家だが、おそらく彼の絵画のほうが、私が個人的に興味を持っているものに近いと思う。しかし、この二人とも、他と比べたら群を抜いているとても重要なイメージ・メーカーだと思っている。
 私には確信していることがある。これを言うと私がとても偏見があるように思われるかもしれないが、絵画を学んだ者としての考えだ。画家は我々の世界の見方を創造する。これを我々は必ずしも理解しているわけではないが、じわじわと浸透していく効果があるんだ。有名なイタリア系スイス人画家のジャコメッティがこう言ったそうだ。「あなたの祖母はピカソのことをあまり知らないかもしれないが、でもピカソはあなたの祖母のことを全て知っているはずだ」と。個人的にだよ。例えばこういう状況だ。あなたの祖母はキッチンのテーブルについている。そこにオイルクロスがある。そこに変わったデザインがされている。それはおそらくピカビアのコピーだが、ピカビアはピザロのコピー、ピザロはピカソのコピーというわけだ。そうやって全てが遡れる。大きな浸透効果だ。我々が世界を見る見方、世界を飾りつけるやり方、色や物体への関心、これらは画家たちが我々のために創作したものと関連しているんだ。それは、ルネッサンス以降はもちろん、おそらくもっと前からの真実だよ。

“Nightwatching”というタイトルにはいろいろな意味があるということですが、それについてご説明いただけますか?

 自明のことだが、この世界的な注目の中心はもちろん「夜警」という一つの特定の絵画にある。それでこの映画は“Nightwatching”というタイトルにしたんだ。この画家に関連した全ての出来事にマッチするからだよ。でも文字通り、夜を見る、闇を見る、光と対照をなす闇に関係しているだけではない。これは見ることそのものにも関係しているんだ。
 この映画は盲目の行為で始まり、盲目の行為で終わる。盲目のサンドイッチと言っていいだろう。その間の全てはある一つの意味での盲目から、もう一つの意味での盲目へ至るまでの旅なんだ。
 だから我々は一生懸命、ここに隠喩や象徴的言語を詰め込んだ。“Nightwatching”というフレーズはもちろん英語だが、そんな意味が含まれている。“夜を見る者”という意味だ。それは物理的な空の星などのことではなく、例えば自分の心の闇を見つめることを指している。
 レンブラントの人生にはもちろん、いくつかの悲劇があった。例えば人生の中で彼の全ての子供たち、全ての女たち、妻たち、伴侶たちは彼より先に死んでしまった。だからそのような、言わば夜の状態は彼の全体験に関わっている。でも、ファウスト的な悪魔との契約なのか分からないが、こういった不幸、良くないこと、悲しみがあっても、結局、彼は西洋世界で最も重要な画家の一人になったんだ。でも思えば、これは多くの場合、アーティストが覚悟しなければならない要素と言えるのかもしれない。私生活での失望によってのみ得られるものがあるのかもしれないね。でも、これについてはとても注意するべきだと思う。アーティストの人生を他の人々の人生と区別すべきなのかということだ。我々は皆、同じような問題から影響を受けたり、触発されたり、共感を得られたりする。ただ、アーティストのほうが、彼の後の世に多くの証拠を残していく。もちろん“彼女の”と言ってもいいが、そのケースは稀だね。
 もう一つ考えられる現象がある。我々は5世代の記憶にしか残らないということだ。自分、父母、祖父母、子供、孫の世代だ。その後は、我々のほとんど、世界中の人々の大半が完全に忘れられてしまう。だから、忘れられないためには世界で何かとても特別なことをしなければならない。レンブラントはそれをやったんだ。

“レンブラントの光”という言われ方があるほど、レンブラントは写真にも映像にも、もちろん絵画にも影響を与えた“光の魔術師”ですが、レンブラントと監督ご自身との関係性、影響についてはどのように感じていらっしゃいますか?

 シネマの定義は「人工的な光の操作」だったと思う。それが全てなんだ。400年前にレンブラントがその評価を得ていたのなら、レンブラントが昔のフィルム・メーカーだったと考えることもできそうだ。その功績は彼だけでなく、同時代の素晴らしいバロック様式のアーティストたちと分け合うべきだろう。名を挙げると、カラヴァッジオ、ルーベンスとベラスケスだ。この4人が実質的に表現形式を作り上げ、その後の映画全てがそれに倣って作られたと思う。だから映画は1895年にパリでリュミエール兄弟によって生み出されたものではなく、もっとずっと昔の17世紀初頭に生まれたものだという主張も成り立つと思っている。
 それに当時のテクノロジー、例えばパラフィン蝋燭の製造は、ブルジョア(有産階級)、そしてもちろんプロレタリア(無産階級)にとって、明るい時間が延長されることに繋がったが、これはある意味、現在の24時間明かりがある街の始まりだったと言える。そして当時の画家たちは皆、人工的な光の中で描くというコンディションに情熱的に興味を持っていた。もちろん、それは内省的なものだったはずだ。だから我々が光を使ってやっていることと、彼が光を使ってやっていたことの間には同一性があると思う。
 これまでの10年間、私は視覚の研究、シネマの言語と絵画の言語についての研究を突き詰めてきた。なぜなら私は、ここまでやると思ってはいなかったが、以前からこう思っていたんだ。映画は絵画が8000年近くやってきた研究を引き継ぐべきだと。そして私は常に、多分90年代初期からずっと、映画の可能性に大きな幻滅を感じていた。なぜなら、我々が達成されて当然だろうと思う大望に応えられていないからだ。
 答えが長すぎると思っているだろうね。部分的に使うならカットできるだろう? それにここを理解しないといけない。これは“警察と泥棒”の映画じゃないから2秒じゃ説明できないんだ。それよりもっとずっと複雑なものだよ。男の子が女の子と出会う映画とも、連続殺人鬼の映画とも違う。私はそういう映画は作らない。だから、もう少し説明が要るんだ。

セットの作り方などがグリーナウェイ作品ならではで、ミニマムでユニークでしたが、映画における舞台装置について、どのように考えていらっしゃるかお聞かせいただけますか?

 映画作家としての私の基礎には英国の伝統があると思う。それはテレビの伝統だ。よく言われているのが、英国には映画産業はないが、とても強力なテレビ産業があるということだ。お分かりだろうが、テレビは現在形の媒体で、本質的に、現実性、自然性を持ち、周りの世界の擬似的描出をする。私は映画に本当に満足のいくような現実性や自然性を持たせることはできないと思っている。私の考えでは、それは時間の無駄だ。そんな必要もないと思う。なぜなら、歩いて街に出れば自然性を感じることができるのだから。
 ハリウッドがいつも言う「シネマはドリーム・マシーンだ」という概念を持ち出してもいいだろう。我々は夢を見るためにシネマを利用する必要があるんだ。だから私が作りたいのはたぶん、もちろん我々の誰もが理解できコミュニケートできるものに関連させるが、人工的な構築物だ。なぜならシネマはとても人工的なものなんだ。誰も信じることはできない。根本的な不信の停止状態だ。だから私は、私に使えるだけのボキャブラリーを最大限に使いたいんだ。
 私が興味を持っているのは、とてもバロック的な映画だ。極端な映画だよ。そして私はありとあらゆるテクノロジーと可能性を使い、非常に良く書かれ、非常に良く作られ、そして非常にリッチなものを作ろうと心がけている。それでこそ、我々の周りに存在する驚くべき世界と釣り合うと信じているからだ。それは必ずしも私が非現実主義だという意味にはならないが、私は映画的な言語を多用する。それは隠喩の言語で、リアリズムではない。
 そこで、我々が作っているこの映画『レンブラントの夜警』だが、これは同様の言語を使う画家の話だ。だから、私がオマージュを作るなら、私がレンブラントに敬意を表すなら、自分が彼の言語と関われるようになる必要があった。
 彼は光で遊んだ。映画も光で遊ぶ。そして、この映画を観れば、映画制作は絵画の制作と千マイルも離れたものではないと分かる。我々はこのような結びつきを繰り返し、コンスタントに作り続けている。
 私は絵画の伝統全てが、もちろんヨーロッパ中心の論法になってしまうが、我々の自分に対する考え方に大きな影響を及ぼしてきたと信じている。有名なフランスの哲学者ジャック・デリダは「最終的に説得力を持つのは常に映像である」と指摘した。世界中で、グローバルに、我々はテキスト・ベースの世界からだんだん映像ベースの世界へ移行していっている。テキストはしばしば、とても教養のある人々と関連付けられ、エリート主義的な配慮がなされる傾向があり、それがある種の情報の支配に繋がる。しかし今、我々は情報化時代にいる。そして多くの情報がより視覚的に入ってくるようになってきている。だから我々は皆、それぞれの文化的障害によって位置は異なるが、巨大でエキサイティングな革命のプロセスの中にいるんだ。
 これは、人々が第二のグーテンベルク革命と呼んでいるものだ。第一は世界中でのテキストの創造だった。もちろん世界には読み書きの普及していない場所も多いが、今や我々のほとんどが読み書きできる。これはとてつもないコミュニケーション能力だ。それが産業革命に繋がり、科学革命に繋がり、コンピューター時代に繋がっていった。これが第一のグーテンベルク革命だから、第二はどんなものになるのか想像できるかね?
 今度は情報化時代と、インターネットで伝えられるものの絶対的なパワーによるものだ。だから我々は、以前は「素晴らしい高尚な20世紀の芸術形式」と呼ばれていたものを作るとき、こういうことを考慮に入れるべきだ。映画産業はこういうアイデアに心から携わりたいと思っている。だから、ポジティブな面を言うと、私はもちろんそれを押し進めたいと思っている。しかしネガティブな面を言うと、私は本当に映画産業は死んだと思っている。だからといって我々はそれを気にしすぎるべきではないだろう。次に出てくるものはその千倍も興味深いものになるはずだから。

公開表記

 配給:東京テアトル/ムービーアイ
 2008年1月12日(土)より、新宿テアトルタイムズスクエアほか全国順次ロードショー!

(オフィシャル素材提供)

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