インタビュー

『ハーフェズ ペルシャの詩』アボスファズル・ジャリリ監督&麻生久美子 インタビュー

私は、この映画の撮影では何もやっていません。麻生さんが、ご自分のエネルギーを上手に表現されただけです

 世界中の映画祭で多くの賞を受賞しているイランのアボルファズル・ジャリリ監督が、麻生久美子を主役に起用した話題作『ハーフェズ ペルシャの詩』がいよいよ公開される。古代ペルシャに実在した詩人ハーフェズの作品からインスパイアされた、“イラン版・ロミオとジュリエット”とも言える運命の恋物語となった本作。文化の差を超えてひとつの映画を撮り終えた二人に、公開に至る長い道のりを聞いた。

アボルファズル・ジャリリ監督

 1957年6月29日イラン中央部のサヴェー生まれ。13歳の頃から自分で書いた絵画や書物を販売し、生計を立てる。79年にイラン国営テレビに入社、短編劇映画やドキュメンタリーの製作を通じて独自の手法を模索する。その後発表した『かさぶた』(87)、『ダンス・オブ・ダスト』(92)などの作品は常に賛否両論の論議を引き起こし、一部は上映禁止となる。95年には難病の妹を治療しようと奔走する少年を描いた『7本のキャンドル』がヴェネチア国際映画祭で金のオゼッラ賞を受賞、96年にはドキュメンタリーとフィクションを融合させた『トゥルー・ストーリー』がナント三大陸映画祭でグランプリを獲得。以降、『ぼくは歩いてゆく』(98)、『キシュ島の物語』(99)、『少年と砂漠のカフェ』(2001)など、いずれも各国の映画祭で数々の賞を受賞するなど高く評価されている。

麻生久美子

 1978年6月17日千葉県生まれ。94年三菱電機のCMでデビュー。98年に今村昌平監督作品『カンゾー先生』のヒロインに抜擢、内外の映画祭で多くの賞を受賞した同作品で一躍注目される。以降映画を中心に活動、『回路』(2001・黒澤 清監督)、『贅沢な骨』(01・行定 勲監督)、『CASSHEARN』(04・紀里谷和明監督)、『THE 有頂天ホテル』(06・三谷幸喜監督)、『夕凪の国 桜の国』(07・佐々部 清監督)などに出演し、日本映画界には欠かせない存在となる。近年では、テレビドラマ『時効警察』(06)、『帰ってきた時効警察』(07)に主演。高視聴率を記録すると共に、コメディエンヌとしての才能も披露した。

撮影の前、監督は麻生さんにどのようなことを期待されていましたか? また、撮影を通じて、新しい麻生さんの魅力を発見されましたか?

アボスファズル・ジャリリ:この映画の撮影前、お会いしたことのある日本の役者さんは麻生久美子さんと西島秀俊さんだけでした。生まれてからこれまでに観た映画は100本程度しかありませんが、今村昌平監督の『カンゾー先生』を観て、この映画に主演されていた麻生さんの中にはすごいエネルギーが隠れていると感じました。私はこの映画の撮影では何もやっていません。ただ麻生さんのエネルギーを引き出しただけで、麻生さんがご自分のエネルギーを上手に表現されただけです。

麻生さんが、海外の監督とご一緒する、しかも文化的にかなり距離感のある場所での作品にわざわざ挑戦された理由は何ですか?

麻生久美子:あえて海外の作品を選んだのではありません。アボルファズル・ジャリリ監督から一緒に仕事をしたいとお声を掛けていただいたのは7、8年前のことになりますが、それから5年後にようやく具体的な撮影のオファーがありました。更に2年を経ての公開となるわけですが、とても長い時間がかかっているので本当に運命としか言いようがありません。最初にお会いした時から監督の人柄にとても惹かれ監督のことが好きになったのですが、監督の映画を見てからはファンになりました。それ以来ご一緒できる機会をずっと待っていたのですが、ようやくその時がやってきたのです。ですから、この映画が私にとって1本目の海外作品になったことは、とてもうれしく思っています。

異文化社会での撮影でしたが、撮影中の苦労話や印象に残っているエピソードはありますか?

麻生久美子:イランの空気はすごく乾燥していたので、目が痛くてずっと目薬を注していました。イランの家庭料理はとても美味しいのですが、私が泊まっていたホテルはメニューが4種類しかありませんでした。イランの人たちはこんなに種類が少なくてよく満足できるなと思いましたが、ほとんど外出も出来なかったので、日本からたくさん持って行った醤油やマヨネーズなどをたくさんかけ、なるべく日本的な味付けにしようとアレンジして食べました(笑)。イランに滞在したのは1ヵ月ちょっとでしたが、このホテルには2週間ほど泊まりました。監督のお宅でご馳走になった家庭料理は本当に美味しくて、これを毎日食べたいと思いましたね。ショッピングも楽しかったですし、たくさんの素敵な人にお会いすることができ、本当に良い経験が出来ました。
アボルファズル・ジャリリ:おそらく、私の現場で皆が苦労するのは、ひとつのシーンを撮影する時に撮影が終わるまで絶対に他のことをしないようにしている点だと思います。その理由は、中断したら雰囲気がそこで崩れてしまうからです。おそらく、日本では食事の時間になれば撮影を休み、お弁当を食べてから再開するのでしょうが、私の現場ではひとつのシーンの撮影が朝から夕方5時まで続いたら、5時まで食事を出しません。これには、麻生さんだけではなくイランの役者も苦労したと思います。私は朝の気持ち、昼の気持ち、夜の気持ちが違います。朝起きた時には、“映画が何なんだ!”と思うことがあります。9時ぐらいになると“映画は自分の仕事だ”と思います。そして、11時を過ぎるとすっかり監督になりきっています。

この映画に出演しているイランの役者さん、メヒディ・モラディさんとメヒディ・ネガーバンさんは寡黙な役どころですが、素顔のお二人はどんな方ですか?

アボルファズル・ジャリリ:二人ともプロの役者ではなく素人です。ハーフェズを演じたメヒディ・モラディさんはユーモアがあって、いつも冗談ばかり言っていました。もうひとりのハーフェズ、麻生さんが演じたナバートの旦那、シャメセディン役のメヒディ・ネガーバンさんはとても信心深く、女性の顔を見てはいけないという戒律を守り、麻生さんの前ではいつも下を向いていました。最初の頃は彼が熱心な信者であることを知らなかったので、麻生さんと一緒にバイクに乗るシーンでは、後ろからモラディさんを抱いてほしいと麻生さんにお願いしました。でも、このことは女性と触れるだけでも大変なことになる厳格な回教徒の彼にとっては非常に犯罪的な行為で、本来ならどんなに大金を積んでもやらないはずですが我慢してやってくれました。でも、「もう1回撮影のためにバイクを持ってきてほしい」と頼んだら、「またですか!」と嫌がったので、「バイクが怖いのか?」ときいたら、「あの娘が僕を触るんだ」と……。
麻生久美子:それでは私が痴漢みたいじゃないですか(笑)!
アボルファズル・ジャリリ:だから、彼に「皆は麻生さんに触られるのを待っているのに、何で君だけそんなに嫌がるんだ」と言ったのですが(笑)。
麻生久美子:ハーフェズを演じたメヒディ・モラディさんはすごくいい人で、明るくてチャーミングな青年でした。本当は色白ですが、この役のために焼いたそうです。監督が指示されたのでしょうが、普段からずっと衣装を着て過ごしていました。旦那さんのシャメセディン役のメヒディ・ネガーバンさんの腰に手を伸ばしましたが、監督はいけないことと知った上で私にやらせたのかどうかがずっと気になっていました。私が腰に手を伸ばすたびに、メヒディ・ネガーバンさんはとても小さな声で何かを呟いていました。たぶん神様に許しを請う言葉だったのでしょうが、同じフレーズを4回ぐらい聞きました(笑)。
アボルファズル・ジャリリ:もちろん、彼は内心では喜んでいたと思いますよ(笑)。

鏡が印象的に使われていましたが、あれは監督のアイデアですか?

アボルファズル・ジャリリ:今までの映画を含め、お見せしたものは全て自分で考えて作っています。儀式についても、全て自分の頭の中にイメージがありましたが、イラン人も本物だと信じるほど現実的でした。政府の検閲担当者から「なぜ、鏡をこのように見せるのですか?」と聞かれましたが、「鏡の願いは現実には存在しませんよね?」と答えると、皆お互いに顔を合わせていました。でも、本当にないのです。皆さんにお願いがあります。この映画を一度観て、更に何も考えないでもう一度観て下さい。絶対に全く違う世界に皆さんを運んでくれると思います。どうか、イタリア人やイラン人のようにリラックスして映画を観て下さい。判らなくても気にすることはありません。私も、たまに人の作った映画を観た時にどう考えても理解できなくても観ていますから、私の映画を観て何も判らなかったと言われても大丈夫です。
 イランにはたくさんの友達がいますが、一番仲が良いのは新聞記者です。イランの映画界にもいろいろな組合がありますが、私はどこにも属していません。昔からジャーナリストになりたかったので、新聞記者が大好きです。たまに、自分自身にインタビューをして答えを自分で書いています。自分自身に対して非常に批判的な質問をして、その答えを書くのです。例えば、「どう見ても映画監督とは言えないね、映画作りが下手で、何も作れないのではないか?」という質問を考え、この解答を自分で書いています。ちなみに、この質問に対する解答は「そのとおりです」ですが(笑)。こうやって書いた記事を、自分がインタビューしたことを隠して新聞に掲載してもらうのですが、そうすると、皆は私がどんな質問でも答えてくれると思うようになります。ある日、取材に来た新人新聞記者の最初の質問が「映画監督になれなかったら、何をやっていましたか?」でした。その時には「馬鹿者、あの記事は自分で自分にした質問で、お前にはそんな質問をする資格はない!」と怒りました……(笑)。ごめんなさい、皆さんが質問をしたいのに勝手に喋ってしまって。
 演出のやり方同様です。最初にカメラをセッティングして出演者に座り位置を指示すると、皆かたまって座ります。「皆、リラックスして」と言うと、少しだけ体を動かしますがほとんど同じです。ところが、カメラを回さないで話をしていると皆リラックスして座っている場所もバラバラになってくるので、その時、初めて「カメラ!」と声をかけるのです。そして、その出来上がりを見れば、皆が私を信じてくれるのです。
 日本で若者を集めて映画を撮りたいと思っています。日本の若者をちょっとリラックスさせたいと思っています。お辞儀するのではなく、胸を張って立ってほしいと思います。アリガトウ(笑)。

監督はなぜイランとは異質の存在である麻生さんを起用されたのですか? それによってどのような影響があると思いますか?

アボルファズル・ジャリリ:地球は小さな星なのに、なぜ皆さんが日本人、イラン人とこだわるのか判りません。私にはいろいろな国に友人がいるので、寝る前に日本の友達のことを5分ぐらい思い出し、その後にイタリア人の友人を思い出したりして、頭の中で旅をします。麻生さんと一緒に仕事をしたのは、ただ麻生さんを知っていたからです。麻生さんのすごいところは、イランの現場に入ってもすぐに周囲と同化したことです。日本から来られても、イランのスタッフは彼女が外国から来たことを感じていませんでした。最初に下見に来られた時、コーディネーターと私が空港まで迎えに行ったのですが、コーディネーターとのおしゃべりに夢中になってしまい、気が付くと東京からの便はもう到着していました。ところが、麻生さんは既に入国していて、向こうからイラン人の女性と一緒に歩いてきました。私たちがいなかったのでイラン人の女性に公衆電話のかけ方を聞いて、私に電話をしようとしていたのだそうです。麻生さんも、外国に来ているような緊張は感じていなかったようです。
麻生久美子:私としては、いっぱいいっぱいでしたが(笑)。
アボルファズル・ジャリリ:これが麻生さんの勇気なのです。

監督が麻生さんを知ることになった『カンゾー先生』で、特に印象的なシーンはありますか?

アボルファズル・ジャリリ:私には悪い癖があって、映画を観始めて10分経つといつも寝てしまいます。海外の映画祭に行った時、日本の友人から「日本映画を上映するので観に行きましょう」と『カンゾー先生』に誘われました。私は「悪いけれど、いつも映画を観ながら寝てしまうので、それを許してくれるのなら一緒に行きましょう」と答えると、彼は「僕の後ろに座って下さい。そうすれば、眠ってしまっても皆には判らないから」と言ってくれました。映画の中で良く覚えているのは麻生さんが銛で鯨を刺すシーンで、これを見て驚きました。その時、“彼女だ!”と思いました。なぜかと言えば、その瞬間、彼女を信じたのですから。そして、この日はその後も眠らなかったです。

麻生さんは今の監督のお話を聞かれてどう思いますか?

麻生久美子:自分についてそういうことを質問するのは恥ずかしいので今初めて聞きましたが、普通になるほどと思いました(笑)。

改めて、日本や日本人についての印象をお願いします。

アボルファズル・ジャリリ:まず、私は日本が大好きです。黒澤 明監督と三船敏郎は、私にとって特別な存在です。いつか、黒澤 明監督と三船敏郎の大きな銅像を造り、日本のどこかに飾りたいと思います。その銅像の黒澤監督の腕は、遠いところを指さしているのです。でも、黒澤監督が描いたのは昔の日本です。今の日本の政治家や体制は、日本人をロボットのようにしてしまったと思います。皆が何かを恐れています。皆が走っています。何を心配しているのか? 何のために走っているのか? 私には判りません。一見幸福そうな人たちも、本当に幸福なのか判りません。土曜の夜に渋谷に行くと皆酔っぱらっていますが、楽しんで酔っぱらっているのではなく、自分を忘れようとして酔っぱらっているのだと思います。皆働いていますが、仕事の楽しさを感じていないと思います。ですから、日本には革命を起こさないといけないと思います。この先、日本に入国出来なくなってしまうと困るので、この話は書かないで下さいね(笑)。
 このまま、皆さんとずっと一緒にいたいです。また日本と合作を作りますから、その時にはイランの現場に来て下さい。砂漠で皆で楽しみましょう。ありがとうございました。

 どこまで本当なのか分からない話も少なくない中、所々に顔を出す本音とも言える視点からアボルファズル・ジャリリ監督の鋭い感性がうかがえる。砂漠の地に単身乗り込み、素晴らしい演技を披露した麻生久美子も見事。今後の海外での活動にも大いに期待したい。

(取材・文・写真:Kei Hirai)

公開表記

 配給:ビターズ・エンド
 2008年1月19日より東京都写真美術館ホールにて公開

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