
過酷な状況に置かれながらも喜びを見出し、生きる希望と笑顔を失わなかったアルメニア系アメリカ人青年の数奇な人生の物語『アメリカッチ コウノトリと幸せな食卓』。
幼少期にオスマン帝国によるアルメニア人迫害から逃れてアメリカに渡り、1948年のソ連統治下、祖国に帰還したチャーリーだったが、無実の罪で投獄されてしまう。そんな彼が見出した喜びは、独房の小窓から見える住居に暮らす夫婦の生活を観察することだった――。
第96回アカデミー賞®国際長編映画賞のショートリストにも選出された本作で監督・脚本・編集・主演を務めたマイケル・グールジャンがインタビューに答えてくれた。
マイケル・グールジャン(監督・脚本・編集・主演)
1971年2月4日、サンフランシスコ生まれ。アルメニア系アメリカ人。
アルメニア人の父とスコットランド系アメリカ人の母を持つ。父方の祖父母はアルメニア人虐殺の生き残りである。14歳の時に地元の劇団のオーディションを受ける。のちにUCLAで演技を学んだ。カースティ・アレイと共演したテレビ映画『DAVID’S MOTHER』(94)でエミー賞助演男優賞を受賞した。ゴールデングローブ賞を受賞したTVシリーズ「サンフランシスコの空の下」(94-00)でネーヴ・キャンベルの恋人ジャスティンを演じたことや、カルト的な名作映画『SLC PUNK!!!』(99)でヘロイン・ボブを演じたことでもよく知られている。
映画への出演は、『ニュージーズ』(92)、『チャーリー』(92)、『リービング・ラスベガス』(95)、『愛を問うひと』(06)などがある。
舞台では、「モディリアーニ」でLAウィークリーシアター賞最優秀主演男優賞ノミネート、「リーファー・マッドネス 麻薬中毒者の狂気」でLA批評家賞最優秀振付賞受賞するなど活躍している。映画監督として、ハリウッドの伝説的人物カーク・ダグラスやブライアン・クランストンを起用し自身も出演した長編映画デビュー作『ILLUSION』(04)で国際的な評価を得た。

オスマン帝国による虐殺(ジェノサイト)はアルメニアの人々にとって何よりも忘れ難い歴史だと思いますが、本作は、そのジェノサイトの生存者であるというおじい様に捧げられていますね。おじい様からは実際にお話を伺えたのでしょうか。伺えたとしたら、映画にどの程度反映されていますか?
実は、祖父が自分の身に何が起きたのか、僕に話してくれたことは一度もなかったんだ。いくつかの事実に関しては親戚から聞かされたりしたけれど、祖父が直接話してくれたことはなかった。おそらく、僕も妹もまだ子どもだったから話したくなかったんだろうと思う。祖父はいつだって、僕らが幸せで、友達もたくさんいるアメリカ人として生きていくことを願ってくれていた。
ただ確かに、チャーリーのキャラクターは祖父から強く影響を受けて生まれたので、映画のラストに祖父への献辞を記した。過去にどんな経験をしていようとも、彼は生きることに対して実に前向きな人だったね。
映画の一部のエピソードは祖父の体験に基づいている。例えば、冒頭で少年が箱の中に潜むシーンだ。彼がどのようにして虐殺から逃れたのか、親戚が教えてくれたんだ。冒頭で少年が箱の中にいるのは、後に起こることにも投影されているのが面白いと思ったね。映画では結局使わなかったけれど、元々の脚本では、少年が箱の中を家のようにしつらえるというシーンがあった。チャーリーが独房の中でやったようにね。これがまさしくアルメニア人たちのやってきたことなんだ。どこにいようとも、アルメニア人たちは生き延びる術を探り、今いる場所を自分の家とし、人生にささやかな幸福を見出す。そのことを僕は祖父から学んだ。だからこそこの映画を祖父に捧げたかったんだ。どれほど最悪な状況下でもいつだって生きる道は見い出せる、希望を抱いていられるということが、この映画のテーマなんだ。

少年が箱を家のようにしつらえたシーンも観たかったですね。
そうだね(笑)。でも、それを描くと長くなってしまいそうだったし、映画はどこかのシーンをやむなくカットしなくちゃいけないものだからね。
オスマン帝国のアルメニア人虐殺に関して、私は実はファティ・アキン監督の『消えた声が、その名を呼ぶ(英題:The Cut)』(2014)を観て知ったのですが、あの映画の主人公もアメリカに渡っていきます。アメリカにもアルメニア人コミュニティがあるのではと想像しますが、そういったところでリサーチをされたりしたのですか?
僕もあの映画は観たよ。僕がそもそもディアスポラ(民族離散)の民について興味を抱いたのは、アルメニアのビロード革命が起きた頃だった。僕が脚本を書いていた2017~19年頃、アルメニアでは大きな政変があり、ニュースを追う中で、世界中に離散していたアルメニア人の血を受け継ぐ若者たちがアルメニアに帰還しているということを知って、これまでの歴史についても調べるようになった。さまざまな記事を読んでいく中で、第一次大戦後、第二次大戦後、70年代、現代と、アルメニアへの帰還ブームが起きたことも知ったね。僕が取り上げたのは第二次大戦後だけれど、ただ、この映画は歴史劇はなく、どちらかというと寓話的ともいえる。できる限り歴史的に正確であろうと試みたけれど、この映画は帰還者を描いたというよりも、囚人と看守の関係を巡る物語だからね。
この映画のリサーチには二つの段階があった。まずは、アメリカやヨーロッパで僕が出会った生存している帰還者たちやその子孫たちの話、そして読んだ書物や記事を参考にした。実に多様な話を聞けて、映画のエピソードに採用したものも多い。例えば、チャーリーは水玉模様のネクタイをしていたことで怒りを買って逮捕されたけど、それは実際に起きたことだったんだ。
二つ目は(看守の)ティグランたちの物語に関わってくる。当時、アルメニアはソビエト連邦の一部になったわけだけれど、その状況下に置かれたアルメニア人たちの窮状を僕たちはほとんど知らなかった。虐殺に遭って世界中のあちこちに離散したディアスポラであるアルメニア人たちの悲劇は多く語られてきたけれど、祖国にいながらにしてソビエトに組み込まれてしまったアルメニア人たちについてはほとんど語られてこなかった。母国を追われて自分たちのルーツに戻りたいと願ったアルメニア人たちがいた一方で、別の悲劇に見舞われていたアルメニア人たちがいたことも知るべきだった。彼らは自身の文化を剥奪されソビエト人になることを強要され、信仰を捨てて名前さえも変えざるを得なかったんだ。プリプロダクションのためにアルメニアに入った時、クルーとして参加してくれたソ連で生まれ育ったアルメニア人たちから話を聞いて、僕は脚本を大幅に書き直した。だから、さまざまな設定からエピソードに至るまで多くのディテールは彼らのおかげで作りこむことができたんだ。僕には全く未知だったことも多く、彼らには随分助けられたね。
きわめて過酷な状況に生きながらも魂の美しさを失わなかった人の物語で、他者の生活をただ眺めているだけでなく、身の危険を冒してもその向こう側の人を救おうとするという精神性の高さに心打たれましたが、その発想の源となったのは?
他者の生活を覗くというこの映画の核となったエピソードは、実はウクライナ人の友人から聞いた話から生まれたんだ。キーウの監獄に収監されていた彼の知り合いが、近隣にあったアパートの住民の暮らしを観察していたそうだ。その話を聞いたとき僕は、とても詩的だと感じた。監獄から他人の生活を覗き見るなんて、テレビやインターネットを通じてみんながやっているようなことにも思えるけれど、そうした行為を通して人間性を失うことなく他者への理解を深めていくというこのアイデアをいつか使いたいと思っていた。今の世には稀な美しい人間性を見出せる気がしたんだ。昨今は、人を傷つけたり殺したりといった醜悪な人間性ばかり描かれがちだけれどね。他人を観察することで、その人たちへの共感が生まれ、手を差し伸べたいという衝動にかられるという心の動き――それは、『善き人のためのソナタ』(2006)という僕が大好きな素晴らしいドイツ映画からも大きなインスピレーションを受けた。他者の人生を知ると気にかけないではいられなくなる。それは実に美しい人間性であり、そこに焦点を当てた物語を描きたいとずっと思っていたんだ。
あと、この映画を作りたいと思った理由は他にもある。我々アルメニア人が苦しんでいるのは実のところ、世界の人々に自分たちの本来の姿を見てもらえていないと感じているからなんだ。虐殺や苦難の歴史ばかりがフォーカスされ、アルメニアの美しい文化や人々の営みは知られていない。だから皆さんには、チャーリーのようにアルメニア人の生活を覗いてその文化の一端に触れ、もっと知ってほしいという想いがあった。これまでアルメニアを描いた映画は虐殺をテーマにしたものばかりだった。もちろん、悲劇を知ることも重要だけれど、アルメニアはそれだけじゃない。美しい部分もさまざまにあることを、この物語を通して覗き見てほしいと思ったんだ。


ラストのチャーリーの選択はより困難な道に進んだようにも見えましたが、どこにいてもいつの日か、普通に家族が集える世界になってほしいという監督の想いがこめられているのでしょうか。
興味深い決断だったと言えるね。現実には、スターリン亡き後のトロイカ体制下で、当時の帰還者たちの大部分はチャーリーと異なる選択をしたそうだ。ただ僕は、歴史的な事実に沿うのではなく、この物語の本質を大切にしたかった。つまり、あそここそがチャーリーの夢見ていた“家”であり、ある意味、詩的な選択でもあったけれど、彼のキャラクターにもストーリー的にも合っていた。歴史的には正しくなかったかもしれないけれど、あの決断が彼らしいと僕は感じたんだ。

独房にいたチャーリーの空想の中での乾杯スピーチがとても心打つものでした。アルメニアという国が「涙ではなく微笑みのうえに築かれんことを」と願っていましたが、今の世界の現実は「涙」の上に築かれようとしている国々があり、また亡命者や移民に自由を夢見させてくれたアメリカが、今やそれを奪おうとしているようにも見えますね。
そうだね……今のアメリカは……問題を抱えている。
あの乾杯スピーチに関して言うと、先ほども言及したように、アルメニア人のアイデンティティは確かに歴史的悲劇、虐殺の経験の上に築かれてはいるし、それは決して忘れてはならない。僕が今、ここアメリカにいるのもそうした過去の歴史があったからだと言える。ただ、僕があの乾杯のスピーチで伝えたかったのは、アルメニアには他にもっと世界に知っていただきたい素晴らしいものがあるということだ。例えば、文化のようにね。アルメニアの歴史はとても古く、皆さんにお見せしたい美しいものもたくさんある。たとえ悲劇を経験したとしても、“微笑み”こそ、人々にもたらすべきものだと僕は信じているんだ。今の僕たちを見てほしい。“喜び”こそ、世界中の皆さんと共有すべきものじゃないだろうか。悲惨な出来事はアルメニアだけでなく、世界中の国々も何かしらの形で経験しているはずだ。そうした事実は無視できないし忘れざる歴史であり、ある意味、人々が生き延びる原動力にさえなっている。でも、僕が強調したいのは、過去にそうした悲惨な出来事を経験してきたにも関わらず、人々は今もなおここにいて命をつなぎ、豊かな文化を築いている。それこそが大切であり、僕が伝えたかったことなんだ。



そこにいたのはチャーリーだった。「辛かったね、大変だったね」と思わず声をかけたくなるほど“チャーリー”にしか見えなかったマイケル・グールジャンの笑顔もやっぱり日向のように優しく暖かく、無邪気な少年のようで、お話を伺って、あぁ、おじい様は彼にそんなふうに生きてほしいと願ったのだなと腑に落ちた。
その想いを受けついた彼が見せてくれた世界は、過酷で無情な日々のさなかにも夢中になれる喜びを見出し、自身の窮状を嘆くより先に他者を救おうと心を砕く美しい魂が懸命に生を慈しもうとしている軌跡だった。
国家、そして個々の人生が“微笑み”の上に築かれてほしいというその言葉は、観る人々の心に必ず届くはずだ。
(取材・文:Maori Matsuura, 写真:オフィシャル素材提供)
公開表記
配給:彩プロ
6月13日(金)よりTOHOシネマズシャンテほか全国公開