インタビュー

『胡同愛歌』アン・ザンジュン(安戦軍)監督 単独インタビュー

社会的に弱い立場にある人々にもっと目を向けてほしいという思いをこめて、この映画を撮りました

 2008年オリンピックを控え、人も街も大きく変貌を遂げようとしている中国。そんな中、昔ながらの面影を残す路地・胡同でつつましく暮らす一般庶民のささやかな喜びと悲しみを、情感たっぷりに描いた『胡同愛歌』。市井の人々を温かな眼差しで描き続けているアン・ザンジュン監督が来日、インタビューに応えてくれた。

アン・ザンジュン(安戦軍)監督

 1958年生まれ。北京電視芸術センター所属。「一年又一年」を始めとした多くのドラマを手がけ、庶民に描き方に定評がある。映画監督としては、警官を描いた『疑案忠魂』で2004年華表賞作品賞を受賞。本作『胡同愛歌』で2004年モントリオール国際映画祭・審査員大賞を受賞。翌年、ハンディキャップを乗り越えたラブストーリー『愛無声』も2005年モントリオール国際映画祭に出品された。最新作は中国映画史の幕開けとなった初期映画『定軍山』の制作背景を描いた中国映画誕生100周年記念作品『定軍山』。

この映画が生まれた経緯をお聞かせください。

 脚本家のチャン・ティンとざっくばらんに話している中で生まれてきた物語なんです。彼はまだ若く、28歳くらいなんですが、中央戯劇学院の文学科を卒業した青年で、その当時はまだ貧しかったので、胡同の中で部屋を借りて住んでいました。そこでいろいろな出来事や周りの人々を観察している中で、今回の映画で描かれているようなテーマを見つけて、脚本を書き始めたんです。私自身も胡同で育っていますので、お茶を飲みながら彼と話していると、楽しい話題がたくさん出てきたんですね。そのようにして生まれた映画です。
 今の世の中はどんどん豊かになってきて、中国自体の進歩もすごく速くなっています。そうした社会の進歩の中で取り残されてしまった人々のことも忘れてはいけないと思いまして、彼らの暮らしに焦点をあてて、チャン・ティンと一緒にこの物語を創り上げました。それが映画になり、こうして日本にも来られたというわけです(笑)。

最初に核となった話は?

 脚本家が当時住んでいた胡同の家の近所に離婚した家族がいまして、今作のモデルにしたわけですが、架空の話もたくさん加えています。物語を作るときの最初のきっかけは、本当に簡単なエピソードや会話だったりするのですが、それを核にして話を膨らませていくんです。例えば音楽にしても、伝統音楽や他のジャンルの音楽などからメロディーやリズムを借りつつ、新たな曲がどんどん創作されていくものだと思いますが、映画も同じで、ほんの少しの素材があって、それをどんどん膨らませることで新しいものを生み出していくという作業になります。ただ空想しているだけでは駄目です。それでは中身がなく、生命力のないものになってしまいます。

あくまで、現実に根付いたところから物語を紡ぎ出していくんですね?

 ええ。映画も文学もそうだと思いますが、生活の中から生み出されることで、観客に共感を抱いてもらえるものになると思います。

脚本家は28歳の方ということですが、一緒に創っていく中で、ジェネレーション・ギャップは感じませんでしたか?

 それはありましたね。彼は若く、最新のものをいろいろと採り入れてきますので、私にはすごく新鮮で、そこから生まれたものも多いです。逆に私はさまざまな経験をしてきましたので、彼の前衛的なアイデアを私が少し後ろに引張ってあげるような感じで、うまく折衷しながら作っていきました。
 特に息子のシャオユーの学生生活の部分は、彼のアイデアがたくさん入っています。彼と私の学生時代は全く違っていて、彼らが10代に経験したことは、私には非常に新鮮と言いますか、理解できないこともたくさんあります。若い人たちと会話をしたことによって、その部分をよりリアルに描くことができたと思います。私たちの時代の学生生活をそのまま描いてしまっては、今の若い観客が観たときに「今はこんなんじゃないよ」と違和感を覚えてしまうでしょう。昔は男女別のクラスで、話をすることもあまりなかったわけですが、今はこの映画でも描かれているように、簡単にラブレターを渡してしまうみたいな軽さと自由さがありますね。シャオユーと女の子の関係なんて、私たちの時代にはあり得ませんでしたよ(笑)。二人のシーンを撮るために、10代のさまざまな人たちにインタビューをしたりして取材を重ねました。

でも、監督の時代にも恋愛はありましたよね?

 影でこっそりという感じで、あまり大っぴらにはできなかったですね。見つかったら処罰されたりもしました。厳しい時代でしたので、場合によっては学校を除籍になることもありましたね。今の方が正常と言えるのかもしれません。

では、結婚するときも相手が決められていたり、お見合いだったりしたのですか?

 さすがに、そこまでじゃないです(笑)。学校を終えてから、自分で相手を探すことはできました。学生時代が厳しかったんですね。大学生になると大丈夫でした。

今の新しい中国の姿を反映させているとはいえ、本作で根本になっているのは親子愛ですとか、普遍的なものですね。

 そうです。今の現実に即した部分も入れながらも、親子の関係や結婚の問題というものは、誰もが共通して考えることができるとても普遍的なテーマだと思います。この映画を通じて、皆さんがこうした問題について考え、話し合っていただけるといいですね。

日本は今、家族関係が希薄になってきて久しいですが、中国も家族の形が変わりつつあるという印象はありますか?

 そうですね。中国でもやはり、同じような現象が起きています。だからこそ、この映画の中で大きなテーマとして取り上げたのです。

この映画で描かれているように、リストラ、離婚、シングル・ファーザーという状態もよく見られるようになってきているのですか?

 増えているとは言えないのですが、あることはあります。それでも、リストラの場合にはそのまま放っておかれるわけではなく、新しい仕事に就けるよう、国家がある程度サポートしてくれます。
 そういった社会的に弱い立場にある人々にもっと目を向けてほしいという思いをこめて、この映画を撮りました。彼らが自ら努力して、次のチャンスをつかめるようにサポートしてあげることは非常に大切なことです。映画で描くことによって、その一助となればいいと思いますね。
 私たち自身、より良い暮らしをしたい、成功したいという思いがあるので、命懸けで1本の映画を撮っているのです。

今回の映画では、父と息子の関係はとても深いものがありましたが、実の母親を一切登場させなかったのはなぜですか?

 一つの大きなテーマとして、父子家庭というものを描きたいと思いましたので、実の母親を登場させてしまうと、ちょっとテーマがズレてしまうという懸念がありました。お父さんが新しい奥さんを迎えようとするという方を主軸に描きたかったんですね。そこに前の奥さんが出てくると、話がちょっと混乱してしまうので止めました。連続ドラマみたいになってしまう気がしましたので(笑)。

シャオユーにとっては、先生がちょっとお母さん的な存在だったのでは?

 先生に母親の影を見るというのは一つの要素ではあると思いますが、私はむしろ、先生と生徒の愛を描きたかったということがあります。自分の学生時代を振り返ってみても、先生と生徒というのはいろいろな関係がありましたね。例えば、男の子だったら、きれいな先生にあこがれたりしますよね? そういった部分を描きたいと思ったのです。学生時代というのは、そういう純粋さがありますね。ここに登場する先生は、いたずらで勉強もあまり出来ないシャオユーのことをとても気にかけていますし、シャオユーもそれに応えてがんばっています。いかにも現実にありそうな教師と生徒の関係ですね。

胡同には昔ながらの暮らしが残っている感じがよく伝わってきましたが、監督ご自身、特別な思い出はありますか?

 この映画に出てきますが、自転車で一帯を駆け抜けるというのは実際の思い出から来ています。あとは、ケンカをしたりとか(笑)。自転車で追いかけ回して、胡同中を走ったりしましたね。
10代というのはとても純粋な時代だと思います。ちょっとした間違いを犯しても、それは許される範囲内ですね。むしろ、その頃にあまりに堅物すぎると、将来出世しないんじゃないかと思います(笑)。人はさまざまな間違いを経験して成長するものですから。10代の頃は心も体も成長している途中なので、ある程度、度を越したことをしても周りが修正してあげれば、全く問題はないですね。

監督が一番思い入れのあるシーンは?

 それは結構質問されますが、映画というのは全部のシーンがバランス良くそれぞれの役割を担っているからこそ、一本の映画になるものですから、自分としては全てが満足のいくシーンになっているつもりです。例えば、映画を観て感動するということがありますが、なぜそこで感動するかというと、その前の段階があるから、そこあるところで気持ちが高まり感動するわけですね。なので、全編を通じて一つの作品に仕上げるというのが監督の仕事だと思っています。
 逆に質問させていただくと、あなたはどのシーンがお好きですか?

本当に何気ないシーンなんですが、息子の反省文をお父さんが代書しながら、「この字、どうやって書くんだっけ?」と聞くところがとても好きです。

 (笑)確かに、あそこは面白いですね。

でも、あのシーンで、お父さんがあまり教育を受けられずにきたことがよく分かりますね。

 ええ、あのお父さんが若い頃はちょうど、文化大革命の時代だったという設定なのです。あの年代の人たちは全員が農村に送られて労働をさせられたので、あまり字も知らないわけです。学問がないので、社会的に弱い立場に立たせられています。こういう細かい部分でそうした背景を描き出そうとしました。

農村に送られたのは、知識階級や反体制派の人々とその家族に限らなかったのですか?

 階層思想は関係なく、全国的に若者たちみんなが農村に送られました。中学を出て、2~6年農村で訓練を積んでから、大学に行きなさいという政策だったんですね。勉強を終えてから社会体験、その後にまた勉強というということが奨励されたのです。ただ実際には、その後で大学に行けた人は多くはありませんでした。映画界で言うと、チャン・イーモウやチェン・カイコーがまさにその世代です。農村での労働体験は良い面も悪い面もありましたが、良い面としては、世間を知らずに学歴だけを積んで社会に出たら、苦労を知らないので困難に弱いと思いますが、世間を知ることによって自分の勉強がどういうふうに社会に役立つか、身をもって理解できたということはあるでしょうね。

中国は今、大きく変貌しつつあると思いますが、監督はそれに対して希望を感じますか? それとも、不安ですか?

 それはもう、発展するに越したことはありませんね。中国はこれから政策的に調和した社会を目指すので、それは良いことだと思います。2008年にオリンピックがあって、その後は本当にこれまで経験したことのないような発展をしていくでしょうね。急速な進歩ではありますが、社会が豊かになっていくのは良いことだと思います。今、私自身が実感しているのは、10年前には考えもしなかったことが全部実現していますし、私自身、海外のさまざまな国を訪れていますが、それというのも国家が豊かになってきた表れだと考えています。

ただ、東京もそうですけど、発展することで失われていくものもありますので、古き良きものも守った上での発展だといいと思いますね。

 ええ、その通りです。失いかけているものも保存しつつ、発展していけたらいいですね。

これから映画をご覧になる観客の方々に向けて、メッセージをお願いします。

 今回、日本で『胡同愛歌』が上映されることを非常にうれしく思っています。私はこの映画の監督、アン・ザンジュンと申します。本作が日本の皆様に気に入っていただけますと大変うれしいです。どうもありがとうございました。

 “安戦軍”と、漢字で書くと勇ましいお名前をもった監督ながら(聞くと、よくある名前だそう)、とても柔らかで穏やかな雰囲気の方で、和やかな気持ちでお話を伺うことができた。来日は初めてで、桜が満開の頃に来られてうれしいとおっしゃり、「中国では今の季節は桃の花が咲いています。一足先に桜が見られて本当にうれしいですね。北京で花を観るのであれば、香山公園がいいですよ」と勧めてくださった。「機会があったら、ぜひ行ってみたいです」と答えると、「北京にいらしたら連絡してください。ご案内しますよ」だなんて……本気にしちゃいますよ!

(取材・文・写真:Maori Matsuura)

『胡同愛歌』作品紹介

 北京の路地裏・胡同に暮らす杜(トウ)は、高校生の息子小宇(シャオユー)とつつましくも平穏な日々を送っていた。
 息子は成績が悪い上に言うことも聞かず、二人は衝突してばかりだった。杜は花屋の店主小宋(シャオソン)との再婚が決まっていたが、小宋と前夫の劉三(リュウサン)との離婚の協議が正式には成立してなかったことを知る。刑務所あがりの劉三は二人の再婚を阻もうとあの手この手で杜らに嫌がらせを始める。その様子を見てたまらなくなった息子は、父親を思うあまり後先考えず小宋に出て行けと言ってしまう。今まで幸せに暮らしいていたのに、父さんを不幸にするな、と。杜はそんな息子の気持ちを知らずに、頭ごなしに怒ってしまう。お互いを思いやりながらも不器用な性格が災いし、二人はすれ違ってばかり。
 そんな中、劉三の嫌がらせは日に日にエスカレートしていき、追い込まれた杜はある方法で家族を守る決意をする。

(2003年、中国、上映時間:100分)

キャスト&スタッフ

監督:アン・ザンジュン(安戦軍)
出演:ファン・ウェイ、チェン・シャオイー、チャン・ウェイシュン、チャオ・ジュン、リュイ・チョンほか

公開表記

配給:フォーカスピクチャーズ
2007年4月28日(土)より、ポレポレ東中野にてGWロードショー

(オフィシャル素材提供)

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