インタビュー

『赤い文化住宅の初子』タナダユキ監督 インタビュー

©2007松田洋子・太田出版/『赤い文化住宅の初子』フィルムパートナーズ

誰もが不幸になりたいわけではないのに、幸福になりたいと思いながらズレていく。そのリアルな部分を、これからも作れたらいいなと思います

 漫画家・松田洋子が広島を舞台に不幸な環境の中で生きる15歳の少女を描いた『赤い文化住宅の初子』が、『タカダワタル的』『月とチェリー』『さくらん』などで注目されている監督・タナダユキによって映画化された。主人公の初子を演じるのは、新人の東 亜優。初子の兄役の塩谷 瞬をはじめ、佐野和真・鈴木砂羽・坂井真紀・浅田美代子・大杉 漣など個性的な実力派が揃った本作は、公開前から高い評価を受け、大きな話題を呼んでいる。今や最も注目される女性監督の一人となったタナダユキが、公開を控えた『赤い文化住宅の初子』との出逢いから撮影の裏話、自らの映画観まで語ってくれた。

タナダユキ監督

 1975年福岡県生まれ。2001年、初監督作品『モル』(監督・出演)がぴあフィルムフェスティバルでグランプリを含む二冠を獲得。2004年には、伝説のフォークシンガー故高田渡を描いたドキュメンタリー『タカダワタル的』(監督)が東京国際映画祭で特別招待作品として上映され、公開後はロングランを記録する。2004年には『月とチェリー』(監督・脚本)が、2007年には脚本を手掛けた蜷川実花監督作品『さくらん』がそれぞれ公開された。

映画監督になろうと思ったきっかけは?

 この映画を見て感動したとか、この監督に憧れてといったような、はっきりしたきっかけはありません。演劇の専科がある高校に通っていたので、ぼんやりと演劇をやりたいと思っていたのですが、何となく違和感を感じ始めた頃に、テレビで流れていた青っぽいすごくきれいな影像を見て、こういう影像を撮るにはどうしたらいいのかなと思い、そこから影像の方に進んだ感じです。それが20歳か21歳ぐらいの頃で、21歳の時にイメージフォーラムに入りました。実験系の影像の学校でしたが、授業料が一番安かったのでそこに行きました(笑)。

20歳の時に見た青っぽい影像は何だったのですか?

 判らないです。綺麗だったという印象だけが残っていますが、たぶん再現フィルムのような、本当に何でもないものだったと思います。そこから流れ流れて、ここまで流れ着いたような感じですね(笑)。

脚本だけの作品を含めると5本目になりますが、『赤い文化住宅の初子』をどうやって知ったのか、そして映画化しようと思った理由を教えて下さい。

 最初の出逢いですが、プロデューサーから渡された何冊かの本の中に『赤い文化住宅の初子』がありました。そこで初めて読んだのですが、ちょっと衝撃を受けたというか、15歳の女の子が、「カネ、カネ、カネ、カネ、カネ、シネ」というので、まず、“何だ、これ!?”と思いました。後日、原作者の松田さんに伺ったら、「あれはオチを付けたんだ」と言っていましたが(笑)、15歳のオチではないですよねというところに、やられたと思いました。この場面の後で、初子は『赤毛のアン』を全否定します。『赤毛のアン』には、アンの非常に前向きな姿に読者が自分自身の出来ないことを投影するようなところがあり、やはりベストセラーになるだけのことはある良いお話だと思っていました。“そういったことすらも否定する初子には何があったのだろう?”と考えているうちにいろいろな想像が巡り、ぜひこの話に挑戦したいなと思いました。

関東では文化住宅という言葉には馴染みがないのですが、『赤い文化住宅の初子』というタイトルを初めて聞いたとき、どんな印象でしたか?

 そうですね。文化住宅は(出身地の)九州でも馴染みがなく、関西圏とか広島の方に多いらしいですが、やはり気になりますね。“文化住宅”というものは高級マンションではないらしいということはまず判るじゃないですか(笑)。しかも“赤い”ということはどういうことなのだろう?という疑問がある上に、その中の“初子”ということで、非常に見る側の想像力をかき立てるタイトルだなと思いました。

キャスティングがまさに絶妙ですが、兄弟役に東亜 優さんと塩谷 瞬さんを選んだ理由は?

 東 亜優ちゃんは何人かいた初子の候補の一人で、彼女がまだ中学生のときに初めて会いました。その後も他の候補の人に何人か会ったのですが、とても印象に残りました。原作の絵は目が印象的で、実物の東 亜優ちゃんはとても可愛いので初子役には可愛すぎるかなとも思ったのですが、やはり亜優ちゃんが良いなと思ったわけです。脚本が出来上がり、本読みをやってもらった時に、亜優ちゃん自身が持っている何かがあったのだと思いますが、原作を読んでいないのにすごく初子っぽかったです。本当にラッキーだったとしか言いようのない出逢いでした。
 塩谷君の代表作といえは『パッチギ!』の名前が出てきます。あの映画は大好きで、あの中の塩谷君もすごく良かったのですが、『パッチギ!』の役と全く違うからこそ、この映画の克人役をやってもらえないかなと思いました。運良く、何とかスケジュールの調整がつきそうだということになりましたが、これも非常にラッキーでした。この二人にはあまりうるさく言わずに、二人が作ってきたものが違ったら修正していくような撮り方でしたが、塩谷君はお兄ちゃんの“頑張りたいけれど、それが出来ないもどかしさ”みたいなものを非常に良く表現してくれました。

東さんと塩谷さん以外の出演者の皆さんも、それぞれの持ち味をとてものびのびと出していると感じました。タナダ監督が演出されるときに大事にしているもの、大切にするやり方があれば教えて下さい。

 今回の撮影では、“この人はこういう気持ちなんだよね”といったことは事前に軽く話しましたが、非常にラッキーだったのは、自分と考えがずれている役者さんはいなかったということです。役者さんの仕事は、脚本を読んで、役を膨らませて、どういう風に演じるのが正しいのか考えて現場に来て下さることです。映画を作る過程において、自分自身が100%正しいとは思いません。役者さんが作ってきたものを見て、“あぁ、ここはこうなのかもしれないな”と思うこともあります。とはいえ、やはりこの方が良いと思った時には“もう少しこうしてください”とお願いするのですが、今回の撮影ではそのような必要はほとんどなかったと思います。

いろいろな方の演技がありましたが方向性は同じだったというお話ですが、特に印象に残っているシーンや俳優さんはいましたか?

 やはり、坂井真紀さん(笑)。やはり素晴らしい、すごいですよね。正直、私はあそこまで(註:初子が偶然出逢った中年女性に連れて行かれた宗教団体で、お尻を丸出しにして酔いつぶれていた)やってくれないのではないかと思っていたのですが、坂井さんから「この役はきちんとやらないといけない」とおっしゃってくれて、それがあのシーンになりました。いやぁ、非常にうれしかったですね。

では、あのシーンは坂井さんのアイデアですか?

 そうですね。こちらからは言いづらいじゃないですか(笑)。坂井さんの女優さんとしての度量にすごく助けられました。
大杉 漣さんにしても、浅田美代子さんにしても、大ベテランの方達です。大杉さんが、(塩谷さんが演じた)お兄ちゃんを押しのけて家に入ってくるカットを現場で見ていると、本当にこの人(父親)にはかなわないなという空気をすごく出されていて、見ているこちらがゾクゾクするような感じがありました。結局、(塩谷さんが演じた)克人という人は、この父親に絶対に勝てないからこそ、恐怖の存在になりうるんだなと思いました。
 浅田さんの役はいい人かと思わせておいて(笑)、本当にうまいですよね。浅田さんには後日談があります。今回の台詞は方言ですが、本番直前まで方言の発音やイントネーションが正しいのか聞きに来たのが浅田さんで、それには身の引き締まる思いがしました。初号試写をご覧になったときには面白かったと言って下さいましたが、それから数日後、マネージャーさんから「浅田が反省しています」という電話がありました。「何を反省しているんですか?」と聞くと、「もう少しああしておけば良かったのかな? こうしておけば良かったのかな?」とすごく言っているそうなのです。私は浅田さんの演技はとても良かったと思いますが、あれくらいのベテランの方が、自分の演技を見て、1週間も10日も経ってから、“こうできたのかな、ああできたのかな”と反省しているのはすごいことだなと思います。規模の大きな映画でもないですし、その上、出番がとても多い役でもない。それでも重要な役であることを理解された上で今回出演していただいたのですが、ベテランの方のこのような姿勢を目の当たりにして、こちらが身の引き締まる思いがしました。

映画のオリジナル・シーン、原作にはなかった初子が浅田さんから5000円を渡されて参考書とワンピースを買うシーンは、どうして入れようと思ったのですか?

 浅田さんが演じている人はお金をあげちゃいそうだなというのがあり、初子はそれを断りたいのだけれど、あのおばさんもいったん渡したものは絶対に受け取らないと言うだろうし。初子にしてみれば思いがけない5000円、といえば大金ですが、これは人の善意だと思って受け取り、参考書が買えると思って商店街に行くのですが、誘惑に負けてしまうという初子の人間っぽい部分をちょっとやりたいなと思ったのが理由です。着替えるシーンは可愛いのではないかなと思って入れました。モタモタするところを見ているだけで、あの子が駄目な子だということが判りやすいかなと思いました。

着替えた服を引き出しにしまうところとかとても良い、女の子の可愛いところがすごく出ていますね。

 可愛いというか、完璧でないところというか、そういうのが出せたらいいなと思いました。

不幸な状況にいる女性の話は、どうしてもやさぐれたり男性化しがちですが、この映画の初子はとても素直な女の子のままだったところがとても良かったです。監督は、原作をどのように捉え、原作のどの辺りを大事にされましたか?

 初子は「『赤毛のアン』が凄く嫌い」と言いますが、すごく嫌いということはすごく好きと背中合わせなのではないか?と思いました。それで、あのような台詞(「嫌いじゃったアンに本当は憧れとったん」)を入れたわけです。やはり、15歳の女の子をやさぐれさせるのは見ている方も辛いし、15歳ならではの純粋さがあるから救われる部分があります。まだ悲惨な現実に直面していない年齢だからこそひとつの約束を信じることが出来る、そういうものを描けたらいいなと思いました。

月並みな言い方かも知れませんが、昨今の世の中で蔓延している拝金主義や情報過多の対極にいるような二人の恋にとても感動しました。この二人の恋をどのように描きたかったですか? そして、ラスト・シーンの先、この二人はどうなると思いますか?

 この二人はまだ15歳ぐらいなので、好きとか嫌いとか、正直に言って奥深い部分までは判らないだろうと思います。三島君からすれば初子と一緒にいることで、もしかしたら自己満足的なものがあり得るかもしれないなとはちょっと思います。でも、結果的にそれが初子にとって救いになるし、15歳ぐらいだとそのことは非常にリアルだと思います。三島君はところどころで良いことは言うのですが、実際には初子に対して何も出来ないし、そのことに対する彼自身のいらだちもあるだろうし、そこはやはり中学生ならではですね。
 ラスト・シーンの後は、二人はもう会わないのではないかと思っています。ただ、初子が私と同じぐらいの30過ぎになって三島君のことをふと思い出した時に、あの時の自分に三島君という男の子がいてくれたことがすごく良かったなと思えると思うんですよ。初子にとっては、ラスト・シーンの先には辛いことがもっとたくさんあって、三島君は三島君でいろいろあると思います。原作者の松田さんもおっしゃっていたのですが、「初子は20代につきあった男のことは忘れるかもしれないけれど、三島君のことは絶対に忘れないよね」と。私も本当にそうだなと思っていますが、ラストの後には三島君は会いにいかないだろうなというのが正直な気持ちです。でも、それは否定すべきことではなくて、そういうものだと思うし、それで良いのだと思います。恐らく、実際に大阪に会いに行ったとしても、会う以外のことは出来ないと思いますし、進学校に行っている三島君にはそんな暇はないと思います。中学生の、15歳の本当に一瞬しかない時間に、お互いが一緒にいることができた時間は、かけがいのないものではないかと思いました。

初子の生きている環境はとても過酷ですが、お兄ちゃんも不器用なりに初子のことを何とかしてやりたいと思い、三島君がいて、もっと不器用なお父さんも初子のことを忘れていない。こういった不幸と愛情の混ざり方はすごくリアルだなと思いました。たぶん、生きている人は、誰もが完璧に幸せではないですが、初子は愛情の部分をちゃんと受け取れている、そこがとても良いなと思ったのですが?

 お兄ちゃんはヤンキーにもなりきれないし、初子もあれだけ過酷な状況なのにぐれるわけでもない。この二人の両親は、ちょっと間違えてしまった部分もあるかもしれません。愛情をそのまま注げたかという点でははなはだ疑問ですが、注ぎたいという気持ちだけはあり、それを克人も初子もどこかでキチンと受けとめられているからこそ、グレるという方向にも行かないのです。それがまたちょっとせつなかったりもしますが、そういう方がリアルかなと思います。
 単純に誰かのことを大事に思っていても、どういう風に大事にすることが相手にとって良いことなのかは判らないですし、それは親になったところで同じだと思います。手探りでやっていた中で、そこからズレていく人もいればうまくやれる人もいる。私は、うまくやれない人の方が多いのではないかと、何となくですが思います。誰もが不幸になりたくて家庭を築くのではなく、幸福になろうとして家庭を築くのでしょうが、本人たちにとってもどうしようもない理由や、何かひとこと言えば済むことが何も言えない関係性に陥ってしまったり、そういうことで幸福な家庭を築きたいと思ってもそうなれない状況の方が、私にとってはとてもリアルでした。この話はすごく貧困であるといったことがモチーフとしてありますが、あまりそういうことは気にならず、不器用な人たちの、それでも日常は続いていくんだということにとても惹かれました。

今の時代は兄弟や家族の関係も複雑ですが、家族の幸福とはどんなものだと思いますか?

 どんなものなのでしょうかね? でも、普通に学校から帰ってきたらお母さんが夕飯を作っていて、ということが実は一番幸福で、夕飯を一緒に食べる、晩ご飯の時間があるということが一番幸福なのではないかなと思います。やはり、一緒にご飯を食べることが一番大事だと思います。今はなかなかそれも出来ない家庭の方が多いかもしれませんが、やはり、しいて言えば一緒にご飯を食べることでしょうかね。

UAさんの主題歌もすごく素敵でした。UAさんはこの映画を見て曲を作られたそうですが、出来上がったものはイメージ通りでしたか?

 イメージ通りでした。何というか、初子と同じ目線で作って欲しいという気持ちがありました。“頑張って!”みたいな歌だと上からの目線になってしまいますし、だからといって嘘くさい優しい言葉が欲しいわけではない。そういうことを全く言わずにお願いしたのにもかかわらず、まるで大人になった初子の気持ちが表れているような歌になっていました。アルバムでは前奏から歌に入るのですが、映画では歌から始まります。これがラスト・シーンにピッタリ合ったかなと思いました。

(脚本のみを担当した)『さくらん』では蜷川実花監督と組まれていますが、他の方が監督する作品の脚本を書くのと、『赤い文化住宅の初子』のように自ら監督と脚本を担当するのでは、脚本を書くという作業はいろいろ違ってくるのでしょうか?

 そうですね、やはり違いますね。予算規模も違うので(笑)。人に提供する時には、いかにその人が撮りやすい脚本が書けるだろうかという部分がありますが、『赤い文化住宅の初子』は自分が撮るので、あまりその点は気にせずに書けたということはありますね。

撮りやすさとは、解釈がしやすいということですか?

 そうですね、広がりやすいというか。あまりにもト書きで細かく書きすぎるとそこにがんじがらめになってしまうし、あまりにト書きが少ないと何をやって良いのかさっぱり判らないということになるので、結果的に出来たかどうかは別にしろ、その点は心がけましたが、本当に難しかったです。

スピンオフ作品『16[jyu-roku]』には出演されていますが、これは『赤い文化住宅の初子』の後に撮影された作品なのですか?

 後から撮ったものです。『赤い文化住宅の初子』のラーメン屋さんのシーンで、店内でラジオの野球中継が流れているのですが、その放送に登場するのが広島のとある球団、プロだといろいろと問題があるのでアマチュアのような球団という設定です。映画館ではほとんど聞こえないかもしれませんが、そのラジオの原稿を『16』の奥原浩志監督が書いて下さり、しかも、解説者の役で声でも登場していただきました。そういう借りがあるので、出たくはなかったのですが(笑)、出ろと言われれば出なければという感じで出ました。(自分の登場シーンは)なるべく切って下さいと言ったのですが(笑)……。監督役で出演しているので、亜優ちゃんのオーディション・シーンではお互いに気まずいなというのがありました。実際のオーディションでは、私はあまり話さないですね。周囲の人に質問してもらい、そのやりとりをじっと見ています。

エンド・ロールのクレジットに、スペシャル・サンクスで(脚本家の)荒井晴彦さんの名前がありましたが?

 予算の関係で(舞台となった)広島での撮影が出来なかったのですが、ラストシーンの駅は(神奈川県の)京急長沢駅で撮りました。あの駅を使わせていただくにあたり、荒井さんが京急のシナリオ・コンクールの審査員をされていた関係で知り合いの方が京急にいらっしゃったので、「京急の駅を使いたいんですよ」という話をしたら、「知っているヤツがいるよ」ということになりました。撮影日には、担当の方はお休みの予定でした。他のシーンの順撮りが出来ないのは仕方がないことですが、ラスト・シーンだけはどうしても最終日に撮影したいという気持ちが強くあり、そこでも荒井さんにご協力いただいたわけです。

プレス用資料に「絶望的な哀しみの中にある愛しいものをフィルムに残したい。その衝動だけで、映画を作りたい」と書かれていますが、次にフィルムに残したい愛しいものは見つかりましたか?

 やはり、不器用な人たちでしょうか(笑)。具体的な企画はまだ言えませんが、あまり器用に生きられない人たちに、どうしても感情移入してしまう部分があるので。初子もそうですが、誰もが不幸になりたいわけではない、幸福になりたいと思いながらズレていく。そこのリアルな部分を、これからもそういうものを作れたらいいなと思います。

 ひとつひとつの質問に、丁寧に答えてくれたタナダ監督。そのお話からは、初子や克人のように不器用な生き方しかできない人たちに対する温かな眼差しが伝わってきた。監督ご自身もおっしゃっているように、日本映画としても決して規模の大きな作品ではないが、観終わった後、爽やかな感動に包まれる秀作。初子の生きざまを、ぜひ劇場のスクリーンで体験して欲しい。

(取材・文・写真:Kei Hirai)

『赤い文化住宅の初子』作品紹介

 母に先立たれ、父は蒸発という境遇で育った中学3年生の初子は、高校を中退して町工場で働く兄・克人と二人で文化住宅(木造アパート)に暮らしている。兄は少ない給料を風俗に使ってしまい、初子が安い時給のラーメン屋のバイトをしても、料金滞納で電気まで止められてしまう始末だ。一緒に東高に行こうと約束した同級生の三島は、塾に行けない初子に勉強を教えてくれるが、初子はお金がなくて高校に行けないことを言い出せない。やる気ゼロの担任教師・田尻から初子の就職の話を聞き駆けつけた三島は、興奮して「結婚しよう!」と迫るが、母の形見である大嫌いな『赤毛のアン』で、初子は必死に抵抗する。卒業後、ビスケット工場でのアルバイトの休み時間に、公園で三島とデートをする初子。その前に、初子の名前を呼ぶ浮浪者が現れた……。

(2007年、日本、上映時間:100分)

キャスト&スタッフ

監督・脚本:タナダユキ
出演:東 亜優、塩谷 瞬、佐野和真、鈴木慶一、鈴木砂羽、桐谷美玲、坂井真紀、浅田美代子、大杉 漣ほか

公開表記

配給:スローラーナー
2007年5月12日より渋谷シネ・アミューズ他全国ロードショー

(オフィシャル素材提供)

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