沖縄本土復帰50年記念、ドキュメンタリー・パートを監督し、ドラマ・パートの脚本を担当した太田隆文のオフィシャル・インタビュー
インタビューが到着した。
本作制作の経緯をお教えください。
前回『ドキュメンタリー沖縄戦~知られざる悲しみの記憶~』を撮った時に、取材のOKをいただいていたのに、スケジュールの都合で、お話を聞けなかった方がいるんです。それが白梅学徒の方。今回まさにその白梅の取材をする依頼を頂いたんです。映画の神様がくれた機会と思え、前回やり残した“もう一つの沖縄戦”を撮ることになりました。
沖縄戦で作られた女子学徒隊のうち、ひめゆりは映画になって、白梅が映画になっていない理由はどこにあると思いますか?
単純に映画業界の怠慢だと思えます。『ひめゆりの塔』がヒットしたことで、次に違うものをやるよりも、同じものをやるという「柳の下の二匹目のドジョウ」的発想なのでしょう。また、白梅学徒を多くの人は知らない。なので、映画が大ヒットして知名度が高いひめゆりの映画を繰り返し作っている側面もあるでしょう。実際はひめゆり以外にも白梅、瑞泉と多くの女子学徒隊、少年たちの鉄血勤皇隊もありましたが、あまり映画になっていません。ひめゆりだけが特別な存在ではなく、沖縄では多くの10代が戦場に送られています。「白梅学徒の悲劇」を描くことで、その悲しい現実を伝えたいという思いがありました。
ドキュメンタリーだけでなく再現ドラマも入れた理由はどこにありますか?
前作は2時間証言や記録映像だけで見せたんですけれど、どうしてもドキュメンタリーだけでは伝わらない部分もありました。逆にドラマだけでは伝わらない部分もある。そこでドラマの力を借り、ドキュメンタリーだけでは伝わらない部分を補足することで、戦争をよりリアルに感じてもらうことが可能ではないか?と思ったのです。
ドキュメンタリーのいいところと劇映画のいいところはどこにありますか?
僕の撮ったドキュメンタリー・パートは体験者による証言。専門家の説明を聞いたり本で読むよりも、リアリティや重さが違う。心に突き刺さります。ただ、いくら言葉でリアリティを感じても、戦車やガマ(洞窟)や野戦病院の実物を想像するのは難しい。また俳優による「悔しさ・悲しさ・痛み」などの感情表現は言葉による証言だけでは伝わらないものがあります。さらにサウンド、音楽。それらによって劇映画は、よりリアルに現実を観客に伝えられることが強みですね。
ドキュメンタリーのインタビュー対象者はどうやって決めたんですか?
沖縄県立第二高等女学校の当時17歳の女の子たち56名が白梅学徒として野戦病院に勤務しました。が、今もご健在な方は6人、お話を聞ける方はもう2人しかいません。戦後77年という時の流れを感じます。(お姉さんが白梅学徒だったという沖縄戦・精神保健研究所会長の)當山富士子さんらは、中山きくさんに紹介してもらいました。貴重なお話を伺うことができました。後輩の皆さんのお話を聞くことで、当時の学園生活がどうであったかを知り、沖縄戦が始まるまでは、学徒の皆さんも普通の学生だったということが伝わって来ました。当事者だけでなく周りの人たちの話を聞くことも重要だと思えます。
撮影でのエピソードはありますか?
今回は、ドラマ部分に出演する女優さんの1人がドキュメンタリー部分のレポーター役で、体験者からお話を聞くという形にしています。そのことで僕のような気難しいディレクターがインタビュアーになるのではなく、若い女の子がお話を聞くという形になり、戦争体験者の皆さんも「昔話を若い人にする」という形で接してもらえたと思えます。まさに「若い人たちに体験者が語り継ぐ」という今回の作品テーマと同じになったのです。
元白梅隊の中山きくさんと武村豊さんをインタビューして、本だけでは分からなかったことも感じましたか?
お2人にかかわらず、前作でもいろいろな方にインタビューし、事前にさまざまな資料を読んだんですけど、活字になった言葉というのは、いろいろなものを失ってしまいます。例えばすでに資料で読んでいた話でも、ご本人に体験談を伺うと、リアリティや重さが全く違う。活字にすると、文献として100年後に伝えることができるかもしれないけど、肉声は怒りや感情がこもり、心に届くのです。また、手振り、身振り、表情、声のトーンというのが、どれだけ大切なものを伝えるかも今回また感じました。戦争体験者の方々は毎年、亡くなっていきます。今回、お話を伺った方々も92歳ですから、その肉声を映像とサウンドで記録して、未来に伝えていくことは大事だなと感じます。
元白梅隊の中山きくさんと武村 豊さんをインタビューした後に、ドラマ部分のシナリオを書いたんですか?
ドラマ・パートは、白梅学徒たちの体験を正確に伝えるということがテーマ。そこでお話を聞いたお2人の経験をベースにして物語を作りました。ただ、映画は全てを事実通りにすると観客が混乱する結果にもなり得ます。映画『MINAMATA-ミナマタ-』もそうでしたが、現実をそのまま描くことで分かりづらくなるので、あの映画では実際は3人の日本人を1人にして描いていた。その種の集約は必要。また時間経過は変えてあります。30分のドラマなので、その中でまとまるようにしないとならない。現実をそのまま描いても現実は伝わらないこともあるのです。ですので、現実を大きく曲げずに分かりやすく伝えるということに特に注意してシナリオを書きました。
ドラマ部分の脚本は、何を軸に執筆しましたか?
森田朋依さんという若い女優さんが沖縄を訪ね、体験者の方々からお話を聞くというスタイルでドキュメンタリー部分を構成し、「彼女が演じる白梅学徒の一人から見た野戦病院での経験談」としてまとめると分かりやすくなるのではないかと考えました。白梅学徒の中には元気な人もいたと聞きますが、森田さんが演じた子は、一番おとなしい子。結果的に最後まで生き残る、そんな彼女の視点で描くことで観やすくなると考えました。その森田さんが演じる女子学徒にきくさんや豊さんを重ねて書いています。
ドラマ部分の松村監督に伝えたことはありましたか?
インタビューは見てもらいましたが、ドラマを監督する上でキーとなる何かが必要だと思いました。だから僕自身が強く感じたことや受けた衝撃。事実よりも感じたことをあれこれ伝えました。その方が監督同士なのでピンと来るものがあるのではと考えたのです。また、松村監督とは長年の付き合いで、過去に僕が脚本家として彼が監督として仕事をしたことがあります。彼のスタイルや得意な表現が分かるので、実を基にした上で演出しやすいシナリオを書きました。そのことで作品が力を持つと思えたのです。
ただ、ドキュメンタリー・パートは、体験者の方が語る体験談から観客が何を感じるかが大事なので、僕の個人的な感情や思い、それを解説するような表現は入れないようにしました。ドキュメンタリーで「事実」を、ドラマで「感情」を伝えたいと思ったのです。
完成したドラマ部分を見た感想はいかがでしたか?
沖縄戦という題材は大手映画会社が映像化することが少ないので、今回は大事なチャンス。僕も松村監督も、通常以上に予算が少なく時間もなかったけれど、「何とかやり遂げ、いいものを作りたい!」という想いでした。ドラマ・パートですが、僕も本来は劇映画の監督なので、非常に厳しい目で見たんですけれど、白梅学徒を演じた若い女優たちが、事前にきくさんや豊さんのインタビューを見てくれ、当時の思いをしっかりと受け止め演じていました。スタッフも、ガマの中の暑さや苦しさや空気の薄さ、切迫した感じをよく出していたと思います。予算があれば30分でなく、もっと長く観たくなる完成度です。
読者の方々へのメッセージをお願いします。
沖縄戦を見つめると、今の日本や世界のことがあれこれ見えてきます。未来に対して自分たちは何をしたらいいのかという答えもあります。多くの人に観てもらい、いろいろと考えるきっかけにしてほしい。子ども供がいるなら、子どもたちと話し合ってもらいたいです。この映画は歴史の勉強ではなく、未来を生きるためのヒントが見つかる作品だと思っています。
公開表記
配給:渋谷プロダクション
8月2日(火)より東京都写真美術館ホールにて公開