イベント・舞台挨拶

フォト・ドキュメンタリー『鉛筆と銃 長倉洋海の眸(め)』初日舞台挨拶

©2023 アフガニスタン山の学校支援の会 ルミエール・プラス

 「写真家は過去にさかのぼり未来を見通すシャーマン。」写真家・長倉洋海は、鋭いカメラアイで世界を見つめ、愛をこめて人間を写してきた。運命的な出会いにも恵まれた。“文明の十字路”アフガニスタンでソ連軍と戦った抵抗運動の指導者・マスードと仲間たち。ドキュメンタリー『鉛筆と銃 長倉洋海の眸(め)』は、2001年に48歳の若さで自爆テロに倒れたマスードの教育への思いを共有すべく今も支援を続ける北部パンシール渓谷の山の学校の記録。
 9月12日(火)の初日舞台挨拶には、マスードの戦いや山の学校の子どもたちを捉えた作品群で、第十二回土門拳賞、講談社出版文化賞などを受賞した本作の主人公である長倉洋海と、2017年にNHK ETV特集「アフガニスタン・山の学校 マスードと長倉洋海の夢」を製作した本作監督の河邑厚徳が登壇した。

 冒頭、河邑監督が「劇中に出てきたように、9月9日にマスードが命を落としました。9月12日からこの映画の上映が始まったのも深い縁を感じています」と挨拶して始まった初日舞台挨拶。

 今日初めて通しで観たという長倉は、「とても良かったです。映画はコンビネーション。音楽も構成も監督としての力量全てがあってこの映画が完成したと思います」と絶賛。長倉は、「全てのコンビネーションによって、僕の中に、撮った過程も再び入ってきて、感じるところがあって、1~2回くらい泣きました」と告白した。

 河邑監督が長倉のことを「涙もろい」と暴露すると、長倉は、「みんなが固く心を閉ざすとより、地を出すということは大事。この映画はそういうところが出た。僕がマスードに寄せる思いを河邑監督にしっかり受け止めてもらった」と、本作がこのように出来上がった理由を語った。

 長倉は、「素材はたくさんあったのに、監督、あれは入ってないですよね?」というくらい削ったのは驚き。写真もそうだけれど、使うのはほんの一部。素材の中から削いでいるので、すごい力量だと思っています」と手放しで褒めた。

 いい写真を撮る秘訣を聞かれた長倉は、「撮る時は無心というか、『その子に向き合う』と言うと大袈裟だけれど、邪心なく、自分も目の前の子どもと近い年齢までスッと降りているというところがある。子どもたちがいい目をしていたら、大袈裟にしたり派手にしたり演出せず、それを真っ正面から撮りたい。嫌いだと撮れない。僕は、“仕事だから撮る”というのが嫌で会社を辞めて、好きな写真だけ撮るという気持ちで出てきた人間」と説明した。

 河邑監督は、「僕がやった仕事で印象に残っている一つがNHK特集『シルクロード』。その時唯一入れなかったのが、シルクロードの十字路と言われた、一番重要なアフガニスタンなんです。ソ連が侵攻をしていた時。僕自身が『シルクロード』の取材で最初に行ったのがインド・パキスタンで、1981~1982年。長倉洋海を長倉洋海たらしめた仕事であるマスードとの出会いが1983年なんです。私がNHKのフィルムで、『シルクロード』というシリーズを取材していた時、長倉さんは、フリーランスで、一匹狼のように、目を鷹のように光らせて、マスードに会っている。ちょうど同時代で、僕としては唯一入れなかったアフガニスタンは、いつも気になっていた」と本作に懸ける思いを語った。

 最後に長倉は、「アフガニスタンに人々の関心が向いていない時に、この映画ができたことに意味があると思います」と本作の意義を強調し、本作を広めてほしいと観客に熱いメッセージを送った。

 登壇者:河邑厚徳(本作監督)、長倉洋海(本作主人公)

公開表記

 配給:アルミード
 9月12日(火)~9月24日(日) 東京都写真美術館ホールほかにて公開

(オフィシャル素材提供)

関連作品

スポンサーリンク
シェアする
サイト 管理者をフォローする
Translate »
タイトルとURLをコピーしました