インタビュー

『弟は僕のヒーロー』ステファノ・チパーニ監督 単独インタビュー

@COPYRIGHT 2019 PACO CINEMATOGRAFICA S.R.L. NEO ART PRODUCCIONES S.L.

 イタリアの高校生がダウン症の弟を主役に撮影したYouTubeショート・ムービーが大バズりし、書籍化するや大ベストセラーとなった原作の映画化『弟は僕のヒーロー』。ダウン症の少年と家族の奮闘と喜びの日々を瑞々しくユーモアたっぷりに描き、初の長編映画でダヴィッド・ディ・ドナテッロ賞ヤング・ダヴィッド賞を受賞した新鋭ステファノ・チパーニ監督にオンラインで話を聞いた。

ステファノ・チパーニ監督 Stefano Cipani

 1986年、イタリア、サロ生まれ。母親はバレエの振付師、祖父は詩人で有名な美術コレクターという芸術的一家で育つ。
 ボローニャ大学で映画史と批評を学び、イタリアの映画・アート集団the SPONKstudiosの一員となる。卒業後はロサンゼルスに移り、ユニバーサル・スタジオのニューヨーク・フィルム・アカデミーで監督の修士号を取得。その後イタリアに戻り、イタリアのMTV で多くのミュージック・ビデオを手がける。
 2014年にはイザベラ・フェラーリ主演の短編映画『Symmetry』を監督。ダンテ・フェレッティ、エンニオ・モリコーネ、ヴィットリオ・ソダーノらともコラボレーションした。以降、多数の映画作品やアニメーション作品、テレビ番組に携わり、2017年にはマイアミのマイクロ・シアターで上演されたミュージカル『The Promotion』の脚本と演出を手がける。初の長編監督作『弟は僕のヒーロー』(19)は第76回ヴェネチア国際映画祭にてプレミア上映され、同作で第65回ダヴィッド・ディ・ドナテッロ賞ヤング・ダヴィッド賞に輝いた。

原作者のジャコモ・マッツァリオールさんと弟のジョヴァンニさんには実際にお会いしたと思いますが、お二人の印象をお聞かせいただけますか?

 素晴らしい出会いでした。何といっても彼らはこの映画に登場する家族のモデルですからね。初めて出会った場所がウォーターパーク(プールのアミューズメントパーク)でしたので、二人と共に一家全員とお会いできました。この映画を初めて観た方々は「ホントにこんな家族いるの? ちょっと善良すぎない?」と思うのではないでしょうか。ですが実際は、映画で描かれている以上に彼らは善良だったのです。映画のほうが現実に追いついていないくらいです。これは夢物語に見えるかもしれませんが、現実のほうがもっと圧倒的で、あの家族がジョーの全てを受け入れるさま、その歓び、無償の愛は映画でも描ききれないほどでした。制作していくうちに、もっとリアリティをもたせるためにもこの家族の弱点を探そうとしたくらいです。兄弟姉妹含め、一家全員がありのままのジョーを受け入れ、寄り添っている姿に私は心打たれずにいませんでした。極めて豊かな感性を備え、途轍もなく明るく陽気で、幸せに満ちた一家だったのです。
 ですから、マッツァリオール一家というのはまさにこの物語で描かれた家族そのものであり、長男のジャコモがあの見事な小説を世に出すことができたのも、この家族がいたからなのだと実感しました。家族が彼の眼を開かせるのに重要な役割を果たしたのです。

日本では家族の絆が希薄になっているところがあり、日本人の目からすると普通のイタリアの家族でもはるかに強い絆があるように見えます。そんなイタリアの方々にとっても、あの家族の在り方は特別に見えたのでしょうか?

 イタリア人にとってもあの家族は“非現実的”ですよ(笑)。実際、「あんな完璧な家族があるものか」という批評がすごく多かったのですが、あったのだから仕方ありません(笑)。そのことが端的に示すように、イタリアにおいても、あれほどまで強く結ばれた家族の関係性は稀です。確かにイタリアには“家族主義”というものが根強く残っています。家族は社会の中で何よりも重要であり、根幹となるものなのです。ですから、時にはネガティブなこと、間違ったことが起きても家族を守ってしまう。文化人類学的なカテゴリーで“母系家族”“父系家族”というものがありますが、最近は冗談めかしつつも、イタリアには“子ども系家族”があると言われています。つまり、子どものためなら家族は何でもやるわけです。それが間違ったことであったとしても。そうしたあり方は諸刃の剣とも言えるでしょう。というのは、国家や社会を信用せず、最小の核である家族のみを妄信し、何に対しても何があっても必死で守ろうとすることにもつながるからです。
 とはいえ、もちろん、家族はものすごく大切ですよ。それも事実です。私たちは独りでは生きていけない。誰かと生活を共にする必要があります。おそらく、今の日本であなたたちが抱えている問題は、仕事に追われ、ひたすら生産性を求められて、プライベートでは家族や子どもを持つ余裕がないのではと想像します。東京は世界でも有数の人口が密集した大都会ですね。あるドイツの哲学者の研究によると、矛盾しているようですが、人で溢れた大都会で生きるよりも、人口の少ない村落で暮らすほうが人々ははるかに孤独を感じていないそうです。大都会では人は多くても知らない者同士で、村落では誰もが知り合いだったりしますからね。
 パオロ・ソレンティーノ監督が『イル・ディーヴォ 魔王と呼ばれた男』の中で言っています。「家族は孤独に対する解毒剤なのだ」と。

ジョー役のロレンツォ・シストはオーディションで選ばれたということですね。彼の演技が実に自然で、ジョーの人生を見事に生きているように見えましたが、彼を選んだ決め手となったのは?

 ダウン症の子どもを持つ親たちの協会を通じて紹介を受けたのですが、当初はいろいろと困難がありました。というのも、ロレンツォのご両親が、息子をさらし者にしてしまうのではないか、彼が本当にこの仕事を全うできるのかと、ものすごく心配されたんですね。でも、1回目のオーディションで彼に踊ってもらったりさまざまな表情をしてもらったりしましたが、完璧としか言いようがなく、その時すでにジョー役は彼しかいないと私は思っていました。ただ、ご両親はロレンツォがどこまでやれるか分からず、不安が尽きないご様子でした。ですから、撮影していく中でロレンツォの成長を目の当たりにし、お二人の考えが完全に変わったのは本当に嬉しいことでしたね。ロレンツォが何をなすべきかを問題なく理解し、集中して重要な仕事をこなし、一つのことを最初から最後までやり遂げるさまを見届けられたのですから。確かにロレンツォは、映画とは何か、つまり演技とは他人を真似ることだと完璧に理解していました。「今君は怪我をして、痛いんだよ」と説明すると、ちゃんと演技が出来たのです。
 ただ、脚本には書かれてあったものの、彼にはどうしても出来ないシーンもありました。例を挙げると、ジョーがゴールキーパーをやっていて、お兄ちゃんがゴールを決めるシーンです。脚本では、お兄ちゃんがゴールを決めたことに対して“「お兄ちゃん、すごい!」と喜ぶ”という描写があったのですが、ロレンツォは「それはおかしいよ。ゴールされたら僕は喜べない」と言って、演ずることを拒否しました。つまり、演技をしているという状況は完璧に理解しつつも、ロレンツォは自分にとって正しい感情の表現でなければ受け入れがたかったのです。ですから、そのシーンは変更しました。

 “ダウン症”と一括りにしがちですが、当然ながら彼らの間でもそれぞれの個性がありますし、感性も異なります。映画の中のジョーが感じることにロレンツォが納得できなければ、ロレンツォの感性に合わせて撮影を進めていくというやり方をとりました。

@COPYRIGHT 2019 PACO CINEMATOGRAFICA S.R.L. NEO ART PRODUCCIONES S.L.
監督の背後にドラム・セットが置かれていますが、監督ご自身音楽がお好きで演奏もされるのですね? 使われていた音楽がとても魅力的でサントラが欲しいくらいでした。サウンドトラックに関してお話しいただけますか?

 もちろんです! 音楽というのはやはり、私の人生にとっても仕事においてもとても重要で、音楽と映像は切り離せないと思っています。音楽は私にとって、映画を作っている理由のひとつでさえあります。子どもの頃からセルジオ・レオーネ監督の大ファンで、監督の映画というのは音楽との対話が実に巧みになされていると思うのです。音楽には映像と対話するという要素もありますね。それに、私の母がクラシックバレエの振付師でしたので、自分の周囲には常に音楽がありました。自分自身ではドラムもギターも演奏します。ですから、この映画の曲は全部自分で選んでいます。
 お兄ちゃんのジャックがドラマーになるというのは、小説にはなかった設定で、私が変更を加えました(※小説ではキーボード担当)。どうしてそうしたのか? ドラムというのは面白い特性があります。ドラムは常に奥に配置されています。正確にリズムを刻んでバンド全体を一体化させるという重要な役割があるのに、後方に控えていますね。しかも、「叩く」という動作で人間の怒りやフラストレーションをぶつけられる楽器でもあります。ジャックはまさに、自分の中に積もり積もった感情をドラムに叩きつけることで解放し、子どもから大人へと成長してゆくのです。
 この小説でも、音楽は非常に重要な役割を果たしています。通常の言語とは異なったコミュニケーション方法として音楽が使われていて、音楽のおかげでジョーの存在が輝きを放つ場面もあります。彼には独自の音楽言語があり、それは決して規則に縛られません。だから、ジョーはキーボードを弾きますが、楽譜に沿っては弾きたくない、曲順を決めたくはない、予定どおりには弾きたくない。あくまで自分がやりたいように、自分だけの演奏をしたがります。それが彼の獲得する最高度の“自由”であり、成長なのです。そんな彼の姿が、規則に従うことが正しいのだという思考にがんじがらめになっていたジャックに新たな視野を開かせます。ジャック自身もこうして成長してゆけたのです。ジャックがジョーを本質的に理解できたのは音楽があったからだとも言えるでしょう。

この作品はコロナ前に製作・イタリア公開でしたが、その後コロナ禍があり、映画製作の現場も大変苦しい時期を経ることになりました。その間に監督ご自身はどのように過ごされていましたか?

 そうですね……とても辛い日々でした。コロナ禍のあの時期、私はやはり不幸でしたね。ずっと家に閉じ込められ、行動を制限されたのですから。ある種、ひどい暴力を受けたようにさえ感じました。私は武士の心得の書である「葉隠」のことを考えました。侍だったら全く別の心持ちでこの困難にも対応できるかもしれないと。
 非常に残念なことに、コロナのおかげで映画は完全に破壊されました。イタリアでは3分の1の映画館が閉館しました。開くことを許されなかったからです。人々が外に出られるようになり、バスや地下鉄ではマスクをした人でギュウギュウ詰めになっていた頃でも、映画館は閉まったままでした。全くもって理に反した話です。公共施設としての必要性、映画文化の存在意義が問われてしまった事態でした。文化全体が過小評価されました。でも、私が思うに、芸術のない世界は存在する意味のない世界です。芸術、映画は人に内省を促します。自分自身の内奥を深く見つめさせるのです。芸術のない世界とはつまり、人が一日中何も考えずに行動し、内省もしないのを良しとする世界に思えます。コロナ禍が映画を破壊してしまったのです。
 実は先週、私はコロナに罹患しました。3回ワクチンを接種したにも関わらずです。あの頃、イタリアでは社会の分断がどんどん進み、酷い時期でした。例えばワクチンの接種に関しても反対派と賛成派がいて、私は3回接種しましたが、1度もやっていない友人もいます。互いの考えに反論し合い、自分と同じ意見を持たない者を批判したり、ひどく恐れたりもしています。他者への不信感が生まれ、権力や政治への不信も増大しています。社会的分断はかくも深いものでした。
 コロナ禍のビフォア・アフターがあり、今はアフターの時期ですが、あの時期を経て、考える力さえ低下した気がします。家にいて、ものすごく長いドラマを何時間もダラダラと見続ける。その手のドラマは批判精神を失わせます。映画の場合は、まるで“カタナ”を研ぐみたいに(笑)、批判精神の刃を研ぐ訓練をさせてくれますね。でもドラマ・シリーズは、メッセージもなく毒にも薬にもならないような物語を、見ている人が飽きないように疲れないようにたれ流していきます。しかも結末をどんどん先延ばしにします。物語の死を先送りするのです。映画にしろ小説にしろ、作品が終わるというのはある種、死を迎えるようなものです。つまり、作者が伝えたかったメッセージがそこで結末を迎えるということですが、テレビ・シリーズはその死をどんどん遠ざけていきます。とりたてて理由もなく、視聴者に喜びだけを贈ります。私たちは喜びだけでなく、他者の苦しみや痛みも贈られるべきなのに。そして現実世界ではますます、思考停止させられた私たちは孤独や不信、恐怖をやみくもに募らせてゆく。例えば今は、イスラム教徒やユダヤ人に対する反感や、中国の覇権に対する不信感、アメリカの陰謀説に対する恐怖心などがどんどん膨らんでいますね。人間性の危機の時代にあると思います。……ちょっと話が複雑になってしまいましたね(笑)。

 ダウン症を障がいではなく個性ととらえ、溢れんばかりの愛で末っ子とのちょっとドタバタな日々を楽しむ一家と、思春期の真っただ中で罪悪感を抱えながらも弟を恥じてしまう兄。人生のさまざまな地点で初めての経験に戸惑いながらも、少しずつ乗り越えて成長していく兄弟の物語を、温かいユーモアを散りばめながら紡いでみせたチパーニ監督。一つ質問を投げかけると、無限の如く話が展開し深まっていくのはやっぱり知性派イタリア人。所要時間を10分近く超えてしまったけれど、伺いたかったことはまだまだあった。

 生への慈しみをユーモアと愛情たっぷりに描き、最後は胸の奥にポッと灯りをともしてくれるような素敵な映画がイタリアからやってきた。そのユニークな発想と豊かな表現力で魅了するジャコモ・マッツァリオールの原作も併せて読んでいただきたい。

 (インタビュー・文:Maori Matsuura、写真:オフィシャル素材提供)

公開表記

 配給:ミモザフィルムズ
 1月12日(金)よりシネスイッチ銀座、新宿シネマカリテ、YEBISU GARDEN CINEMA、 アップリンク吉祥寺ほか全国順次ロードショー!

(オフィシャル素材提供)

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