
登壇者:川村元気氏(映画プロデューサー、映画監督、⼩説家)、森 直⼈氏(映画評論家)
進行役:⽴⽥敦⼦氏(映画ジャーナリスト)
製作:A24×主演:セバスチャン・スタン×監督:アーロン・シンバーグの映画『顔を捨てた男』が、7月11日(金)ヨりヒューマントラストシネマ有楽町ほか全国公開となる。
6月25日(水)、東京都内にて特別試写会を実施し、上映後に一足早く本作を鑑賞した、川村元気氏(映画プロデューサー、映画監督、⼩説家)、森 直⼈氏(映画評論家)をゲストに迎え、⽴⽥敦⼦氏(映画ジャーナリスト)が進行役を務めたトークイベントが行われた。
A24製作『顔を捨てた男』は、サンダンス映画祭を⽪切りに各地の映画祭で⾼い評価を受け、主演のセバスチャン・スタンが第74回ベルリン国際映画祭で主演俳優賞(銀熊賞)、第82回ゴールデングローブ賞(ミュージカル/コメディ部⾨)の主演男優賞を受賞し、アメリカで⼤ヒットした話題作。顔に極端な変形を持つ俳優志望のエドワード(セバスチャン・スタン)が外見を劇的に変える過激な治療を受け、念願の新しい顔を手に入れる。別人として順風満帆な人生を歩み出すかに思えた矢先、かつての自分の「顔」にそっくりな男オズワルド(アダム・ピアソン)と出会い、想像もつかない方向へと運命が逆転していくという、究極の不条理劇だ。
上映後、作品の余韻に浸る観客の前に、進行の立田敦子(映画ジャーナリスト)の呼び込みで川村元気(映画プロデューサー、映画監督、⼩説家)と森 直人(映画評論家)が登壇。川村は「(本作は)面白いだけでなく、監督の頭の中の迷宮を覗き見たような感覚になる映画。今日はそういった話を出来れば」と、深堀トークがスタート。

◆まずは、感想から――
川村は、本作の原題「A Different Man」であることに触れ、言葉の響きが似ていることから「真っ先に思い浮かべたのは『エレファント・マン』。デヴィッド・リンチ監督に対するリスペクトや愛を感じました。時代設定は明言されてないですが、セットデザインや16ミリフィルムでの撮影も含めて1980年ぐらい雰囲気がでていて、監督は好きな映画を再投射しているようにも感じた。僕もそういう時代の映画を見て育ったので」とコメント。また続けて、今年1月に逝去したリンチを思い出し「もういないんだという悲しさも感じた」と感慨深げに語った。

対して森は「やっぱりルッキズムとアイデンティティという主題が共通している『サブスタンス』と比べたくなる作品。『サブスタンス』は、それらをかなりストレートに扱ったパワー・タイプの作品である一方、『顔を捨てた男』は、自己肯定感と他者評価、あるいは当事者性と演技、倫理と道徳、ポリコレと現実など、周りに渦巻いてる多様な問題もすごく丁寧に扱っている。しかもそれが単純な二元論とか肯定否定ではなくて、皮肉な反転とか意外な衝突を繰り返すという、見事だなと思いました」と大絶賛した。
◆映画のテーマや俳優について――
立田から、クリエイター目線で本作のテーマをどう思ったか問われた川村は「まず着想がすごい!」と絶賛。「本作は、『ワンダー 君は太陽』でモデルとなった男の子が『自分が描かれている作品を劇場で観たらどう思うか?』というところから着想を得たらしいんですが、それがめちゃくちゃ面白い」と背景を明かしつつ、「自分の映画がどう観られるか、演出家としてなにをやっているのか、役者になにをやらせているのか、みたいな監督の考えがこの映画の中にも全部入っていて。それは、作り手ならではの着眼点。いろんな角度から監督の自伝をやっているように思いました」と分析。森は「主演のセバスチャン・スタンという俳優は『アプレンティス:ドナルド・トランプの創り方』でも、トランプにそっくりですごかったですが、聞くところによるとスタンが本作で演じているエドワードはシンバーグ監督にそっくりらしい。エドワードは監督の自画像なんでしょう」と続けた。また、劇中、キーパーソンとなるオズワルド役を演じたアダム・ピアソンに話が及ぶと、立田は「アーロン・シンバーグ監督は(口唇口蓋裂の治療を受けた)経験があり内気な性格だったが、アダム・ピアソンという当事者でありながら前向きな、いわゆる“陽キャ”な人と出会い、外見のコンプレックスが影響して“陰キャ”になったと思っていたそれまでの自分は一体何なんだ?とアイデンティティが崩壊したと言っていたようです」と監督の言葉を明かし、実体験が登場人物の設定に大きな影響を与えていると解説。

続いて、本作のひとつのテーマでもある「ルッキズム」に話題が移ると、川村は「昔から『美醜』を扱った作品はありましたが、最近はインスタグラムのフィルターを使って見え方を変える、誰もが“簡易的な整形体験”をしているような時代。価値観は時代でかなり変わってきていて、『エレファント・マン』だったり、かつての映画で描かれてきた登場人物は、今や特別な人の話ではなくなって、むしろ現代的なのかもしれない」と考察。
また、森は「この映画の主人公エドワードは自分の外見がコンプレックスだった一方、それが個性でもあった。外見が変わったことで、その特殊な個性を捨ててしまった事実に気づくんですよね。しかも、それがオーディションになると強烈な個性として捉えられて上位にくることもある。この映画は、どんどんぐるぐるぐるぐる価値観の順位が変わっていくような面白さがある。これはクリエーションの世界の話になるのでかなり面白い」と、役者志望の主人公がオフブロードウェイでオーディションを受ける描写とあわせて紹介。続けて川村は、「俳優という商売は、オーディションで取りに行くプロセスもありますが、その役に選ばれないと仕事がもらえない。そのしんどさというのが、実は映画の冒頭から溢れているわけですけど、まさにおっしゃったように、イケメンだったら役にありつけるわけではなく個性が大事で。監督も俳優をやろうとしたことがあるのか?と感じるくらい、俳優の個性についても考えさせられましたね」。そして、「迫真の演技派(セバスチャン・スタン)と、当事者(アダム・ピアソン)という対極のアプローチの俳優をキャスティングした点も良い」と森。このキャスティングについて、監督でありプロデューサーの視点でどう思うかを聞かれた川村は「自分の中に確信がないと出来ないキャスティング」と話した。
◆映画の構造について――
森が「ある種、1段目はルッキズムの話、2段目はクリエイターの話かもしれない」と話すと、立田が「すごくレイヤーがある作品」と続け、映画の構造についての話題へ。川村は「一人の人間にはいくつも人格があって、監督が自分という人格をいくつかのキャラクターに振っている。マトリョーシカのように自分を分裂させる、実はそれ自体は結構やるやり方ではあるが、監督は、この映画を通して自分は一体何になりたくて、どういう人間なのか、自分の正体を知りたかったんじゃないかと思いました。今後の作品をどういうふうに生み出すかには興味があります」と語った。一方、森は『ジョーカー』を引き合いに出し、「作品の雰囲気もちょっと近くて、アーサー・フレックともどこか精神的には共鳴するようなところもあるような気がします。内面の闇を掘っていく映画という構造で。単純化せずに完成度が高いのですごい」と太鼓判を押した。

◆A24らしい不条理劇について――
川村は「不条理劇特有の“一体自分は今、何を見させられてるんだろう”と混乱する時間って、豊かだと思っていて。映画館でしか味わえない。それは、デヴィット・リンチの映画を観ていても思うことなんですけど。それを、この映画を観てる時にずっと味わい続けていました」とコメント。その後、立田から「エドワードに共感しますか?」と聞かれた森は、あまり競争社会に乗らないタイプの人間ですがと前置きしつつ、「美醜、才能、個性など敗北感は誰しも感じるものだと思います。その中で、自分の自己肯定感とか尊厳を、どう見つけていくか。この作品は、そうした本当に普遍的なものを描いている。『これは答えのない問いである、だからこそ考え続けましょう』そういうことを言っているラストだとも思った」と話した。
予定時間が過ぎるほど、濃密に作品を掘り下げたトークイベントは終了。理想と現実が反転する、究極の不条理劇(スリラー)『顔を捨てた男』は7月11日(金)よりヒューマントラストシネマ有楽町ほか全国公開される。
公開表記
配給:ハピネットファントム・スタジオ
7月11日(金) ヒューマントラストシネマ有楽町ほか全国公開
(オフィシャル素材提供)