
登壇者:広瀬すず、吉田 羊、石川 慶監督
1989年にイギリス最高の文学賞であるブッカー賞、2017年にノーベル文学賞を受賞し、二つの世紀を代表する小説家となったカズオ・イシグロの鮮烈な長編デビュー作「遠い山なみの光」を、『ある男』(22)で第46回日本アカデミー賞最優秀作品賞含む最多8部門受賞を果たした石川 慶監督が映画化した『遠い山なみの光』は9月5日(金)にTOHOシネマズ日比谷 他 全国ロードショーとなる。
8月11日(月・祝)に広瀬すず、吉田 羊、石川 慶監督が長崎を訪問、TOHOシネマズ 長崎にて行われた特別試写会の舞台挨拶に登壇し、作品の舞台となった長崎の人々に作品の完成を報告した。
長崎プレミア上映後、温かい拍手に迎えられて登場した広瀬すず、吉田 羊、石川監督の3人。はじめに主演の広瀬が「朝、雨が降っていたんですけど、皆様ここに無事に来てくださってとても嬉しく思います」と挨拶。吉田が「楽しんでいただけましたでしょうか?」と問いかけると大きな拍手が響き、「悦子の故郷である長崎に映画とともに帰って来られたことを嬉しく思います」と続けた。石川監督は「雨の中どうなるかなと思いながら来ましたが、本当にこんなにたくさんの方に来ていただいて、この長崎という場所で上映できたことを、本当に嬉しく思います」と話した。
長崎の印象を聞かれた3人。「長崎に来たのが2回目」と話す広瀬は「前回はロケで地元出身の福山雅治さんに案内してもらう形でした。自分で街に出歩く機会がまだなく、今日は平和祈念像に献花したり、学生の皆さんと会わせてもらいました。撮影では長崎に来ることができなかったのですが、主人公・悦子がここで生きたんだなという目線で見たときにここにしかないものを肌で感じることができたと思います。“悦子”として見落としていたものがあるんじゃないかなと不安に感じるほどエネルギーあふれる街だと思いました」と撮影を思い返すように話した。

父が長崎出身という吉田は「幼い頃から年に一度は父の実家に足を運んでいました」と話すと客席からは驚きの声が上がった。車で家と実家の往復だったことから長崎の街をほとんど知らなかったという吉田は「昨日長崎入りして教会や貿易で栄えた街ならではの活気づいた雰囲気がある一方で、焦げ付いた建物がまだ残っているなど歴史と記憶が混在する唯一の街と感じました」と話した。

制作段階から何度も長崎に足を運んできた石川監督は初めて長崎の街を訪れたときの印象を「小説を読んでイメージできていなかった山並みや地形、港、稲佐山から見下ろす景色というのはこういうことなのかと来てみて初めて分かった。長崎を訪れたことで情景をイメージしながら撮影を進めることができました」と振り返り、「長崎の皆さんの前で初めての上映となったが、長崎の空気を感じてもらえていたらうれしいです」と笑顔を見せた。
昼間に平和公園を訪れて献花を行ったことに触れると、「静岡出身で、戦争に触れられるものが身近になかった」と話す広瀬。「映画やお芝居を通じて戦争のことを知っていくにつれて、語り継いでいかなければならないことと実感してきた。平和公園を訪れたことはいい経験になったと思います」と話す。映画の中で平和祈念像を見ていた広瀬にとっては初めて見た実物は想像以上に大きくて「本物だ」という感動もあったという。小学校の修学旅行以来、2回目という吉田は「自分の体は大きくなったはずなのに、どこか像がもっと大きく見えた。戦後80年経っても世界の何処かで戦争や紛争が起こっていることに対する長崎の市民の皆さんの反戦の想いが込められていると感じました。改めて長崎を最後の被爆地にという決意を強く感じることができました」という。撮影前に何度か訪れていたという石川監督は「2日前の式典も出席して、同じ像だが感じ方も変わりました」と話し、「いろんな人の想いやここに悦子がいたんだなとしみじみ感じながら献花させてもらった」と振り返った。

同じ九州出身の吉田は正月に毎年長崎を訪れ、父が手作りしていた鯛を使った長崎のかまぼこ入りの玉子焼きを食べていた思い出を紹介。「長崎ならではの細麺の皿うどんを広瀬さんや石川監督にも味わってほしい」と話した。「麺を揚げてるから歯茎に刺さって痛いんですよ」と冗談交じりに話すと客席のあちらこちらから笑い声が上がった。「ストイックですね」と答える広瀬に吉田は「長崎には中華街があるのでぜひ」と続けると食べに行きたそうな素振りを見せる広瀬の姿に会場は笑いに包まれた。
長崎で行ってみたいところを聞かれた広瀬は「教会を見てみたい」と即答。「毎回車で通るだけなので街を散策して教会に行ってみたいです」と続けた。石川監督は「被爆80年ということで被爆された方の話を聞く機会が貴重でした。実際に会って話を聞いてみるのは文献などとは全く違う。今でも鮮明に覚えています」と振り返った。
映画の公開を目前に広瀬は、「私自身も、確信的な手触りを感じながらお芝居するというよりは、これで大丈夫だったのかな?とか後からでもいろいろ蘇ることが多くて、今だに不安なんですけれど、戦後80年という年にこういう題材を多くの方に届けられるというのはすごく……、どんなふうに届くのかなと、きっと人それぞれ解釈も違って、最後の悦子の姿を見て蘇る感覚になる方もいらっしゃるかもしれないし、新しい気づきや発見を得るというほうに感想を持ってくださる方もいるかもしれない。いろんな可能性がたくさん詰まった作品だと思うので、不安がある一方で、こうして長崎の皆様にまず観てもらえたのがすごく嬉しいです」と話す。吉田は、「ちょうど1年前この時期に長崎編の撮影をしていて、9月からイギリスで約3週間撮影をしていました。1年前のことではありますけれど昨日のことのようにその時の景色が思い出されて、この映画はいろんな見方ができる映画で、重層的にいろんなテーマが流れているので、観る人の属性や年齢やいろいろなものによって感じることが変わる映画だと思う。今日観てもらって何かしらの感情を持ち帰っていただき、また時間が経って出会う自分の気持ちや記憶とまた向き合う時間を持っていただけたら嬉しいなと思います」と静かに話した。
石川監督は「この映画を作っているときにカズオ・イシグロさんに観ていただくこと、長崎の皆さんに観ていただくこと、というのが2つ特別な想いとして自分の中にあって、今日こうやって長崎の皆さんにお見せできたというのがすごく嬉しいですし、カズオ・イシグロさんが生まれ故郷である長崎を思い描きながらロンドンで書いた小説。映画化して長崎の皆さんに届けて、皆さんの物語としてここから広がっていってくれると本当にこの物語にとってこれ以上の喜びはないのかなと思っています」と語った。
1950年代の悦子を長崎弁のセリフで演じた広瀬は「男女や世代などで細かく変わる長崎弁のニュアンスをクランクイン前から試行錯誤していました。セリフの中にアドリブを織り交ぜるなど、普段だったらやっていることがなかなかできなかった。撮影中にアドリブが効かなくて現場が静まりかえることもありました(笑)」と続けると客席からは笑い声が上がった。苦労した長崎弁だったが「方言の壁を感じつつも、愛らしい音感なので肌なじみも良かったかなと思います」と笑顔を見せた。
全編英語での演技に初挑戦した吉田は「厳密に言うと『いただきます』など日本語も織り交ぜているんですけど、30年イギリスで暮らした悦子の咄嗟の一言はどっちだろうか?という話になり、アドリブで日本語の台詞を交えることになったんです」と明かした。撮影の半年ほど前から英語の台詞に向けて準備を進めていたという吉田。撮影の1ヵ月前にイギリス入りして発音矯正と同時にホームステイしたことについて「30年イギリスに住んでいる役なので現地の気候や風土がもたらす体の変化を実感しつつ撮影に臨みたかったんです。水質も硬水なのでシャワーを浴びるだけでボサボサになってしまう髪やガーデニングで土いじりをする習慣があるので日焼けするなど現地で体験したこともあえてケアせずに役づくりに取り入れました」と語った。
カンヌ国際映画祭で「ある視点」部門に正式出品された同作。カンヌを訪れたときのことを聞かれた広瀬は「カンヌでどのように受け取られるか、日本でもどう受け取られるか分からずにドキドキしていた。解釈やちょっとした日本語のニュアンスや表情など日本人だからこその表現がどう伝わるのか読めなかったが、いいように咀嚼してもらえたような反応を見られたり、カンヌという街が映画への愛に溢れていることを実感できたりしました。なかなか行けない街だったのでいい経験でした」と振り返った。映画祭の会場に向かう車がイシグロ夫妻と同じだったという吉田はカズオ・イシグロについて「チャーミングな方だが頭の回転も早く、最初は夫婦の英語での会話を聞いていたがついていけなくなってしまうという場面もあった。楽しい時間を過ごさせてもらいました」と話す。石川監督は「シナリオから編集に至るまで細かくアドバイスいただいて、ノーベル賞作家であることを忘れさせるほどチャーミングな方でした」と振り返る。
会場には馬場長崎県副知事と鈴木長崎市長、映画制作をバックアップしてきた長崎観光連盟の明石さんも訪れた。鈴木市長は「70年ほど前の長崎や長崎市が誇る名誉市民でもあるカズオ・イシグロさんの作品を美しい映像と見事な演技で表現してもらい、ありがとうございました」とお礼を述べた。馬場副知事は「それぞれの方々が抱えるトラウマや葛藤、記憶に入り込んだようで夢中になった」と感想を話した。映像制作のサポートに携わっているという明石さんは「このような素晴らしい作品に少しでも携わることができたことを誇りに思う。映画が長崎を知ってもらい、訪れてもらうきっかけになれば」と期待を込めた。
「長崎の皆さんの希望になるような作品になれば」と期待を込める広瀬。「長崎の皆さんを先頭にこの映画を大きく広げてほしい」と呼びかけた。吉田は「戦後80年で近年では日本被団協がノーベル平和賞を受賞するなど世界中が原爆に意識を向けるこのタイミングで地方プレミアが長崎を皮切りにしていることに大きな意味を感じます。カズオ・イシグロさんの記憶の中の長崎を描いている側面もあるため多くの余白がある。その余白を実際に長崎に住んでいる皆さんの記憶で埋めて、それぞれの映画に仕上げてもらえればうれしいです」と話した。石川監督は「このストーリーは自分たちの上の世代の方々の記憶でもあり、原爆の記憶の話でもある。戦後80年、記憶がどんどん遠くなっていくときに我々の世代がきちんと受け取って語り直さなければならないとイシグロさんからカンヌで伝えられた。想いを込めて作った映画。いろんな解釈があると思うがどれが正解というわけではなく、皆さんの記憶で埋めてもらえればという言葉が正解なのかなと感じながら聞いていました。ぜひ長崎の皆さんから大きく広げてもらえれば」と締めくくった。
公開表記
配給:ギャガ
9月5日(金) TOHOシネマズ 日比谷 他 全国ロードショー
(オフィシャル素材提供)