インタビュー

音楽ドキュメンタリー『ミシェル・ルグラン 世界を変えた映画音楽家』冒頭映像&監督インタビュー 解禁

©-MACT PRODUCTIONS-LE SOUS-MARIN PRODUCTIONS-INA-PANTHEON FILM-2024

 9月19日(金)よりヒューマントラストシネマ有楽町ほか全国順次公開の音楽ドキュメンタリー『ミシェル・ルグラン 世界を変えた映画音楽家』。この度、冒頭映像と監督インタビューが解禁された。

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 このたび解禁された冒頭映像は、若き日のミシェル・ルグランのインタビューから幕を開ける。インタビュアーに「あなたはバッハになれると思いますか?」と問われ、「無理だろうね。なれないよ」と微笑みながら答えるルグラン。その映像はやがて、彼の人生最後の舞台――2018年12月、フィルハーモニー・ド・パリでの公演へと移る。支えられながら歩みを進めたルグランは、舞台に上がると穏やかに観客へ挨拶し、指揮台に立った瞬間に一転して真剣な眼差しに。指揮棒が振り下ろされた瞬間、場面は変わり、名曲「キャラバンの到着」とともにオープニングが始まる。その先に待ち受ける、彼の最後の公演を刻んだ胸を打つ瞬間をぜひ劇場で体感して欲しい。

【冒頭映像】 2025.9.19(金)公開 | 映画『ミシェル・ルグラン 世界を変えた映画音楽家』
『シェルブールの雨傘』『ロシュフォールの恋人たち』などを手掛けた映画音楽の巨匠、ミシェル・ルグラン。ジャック・ドゥミ監督作などに寄せた珠玉の映画音楽や秘蔵・密着映像、インタビューをもとに、“音楽家の人生”と“最後の舞台”に迫るドキュメンタリ...

 併せて、本作を手がけたデヴィッド・ヘルツォーク・デシテス監督のインタビューも公開。市の清掃員からドキュメンタリー監督へと転身したという異色の経歴を持つデシテス監督。映画業界の表舞台とは無縁だった彼が、いかにして巨匠ミシェル・ルグランのドキュメンタリー制作に辿り着いたのか。さらに、ルグランの集大成を捉えるべく、亡くなるまでの2年間にわたり、その魂と向き合った制作の過程について語っている。インタビュー全文は以下掲載。

インタビュー全文

Q.あなたの映画『ミシェル・ルグラン 世界を変えた映画音楽家』では2つの主要な軸が絡み合います。ひとつは非常に多様な方向性を見せるミシェル・ルグランの音楽的伝記。もうひとつは、あなたが彼の最期の2年間を撮影した未公開の映像です。この映画を作ろうという願望やアイデアは、どこから生まれたのですか? 野心的な試みであり、ミシェル・ルグランの協力を得るのは簡単ではなかったことでしょう?

 始まりは大昔のことです。私の両親は1968年の『華麗なる賭け』を観に行って、出会いました。映画館を出ると劇中でノエル・ハリソンが歌うテーマ曲「風のささやき」の45回転LPを買ったのです。何年もの間、両親はこの曲を聴いて愛し合っていたので、私は母の胎内で聴いていたことになります。成長して、この有名な曲がミシェル・ルグランという作曲家の作品だと知りました。それから彼や彼の作品について調べ始めました。奇妙なことに、私が子どもの頃に見ていた「イルカと少年」「銀河パトロールPJ」といったテレビアニメの大半の音楽は、ミシェルによるものだったと気づいたのです。私はかつて、カンヌの音楽院でバイオリンのレッスンを受けていました。そこでイヴリー・ギトリスという紳士に出会ったのですが、当時は知らなかったものの、彼はミシェルの親友の一人でした。すべてのものが知らぬ間に、私をミシェルの元に導いていたのです。1983年、私は母に連れられて『愛のイエントル』を観に行きました。衝撃的でしたよ。『ミシェル・ルグラン 世界を変えた映画音楽家』の中でカトリーヌ・ミシェルが言うように、私もミシェルの最高傑作は『愛のイエントル』だと考える一人です。ミシェルの創造的才能の極致です。あの作品で私は完全にミシェルの虜になりました。
 私はそれから何年も映画のメイキングや予告編を作っていましたが、2010年にミシェルの映画を撮りたいと本気で熱望し、その実現を真剣に考え始めました。そこでロンドンにいる彼のマネージャーにメールを送ったのですが、返信はありませんでした。2017年、アニエス・ヴァルダとジャック・ドゥミの作品群の権利を手に入れたMK2から連絡があり、カンヌ国際映画祭で国際的に宣伝し販売するために2本の予告編を制作するように依頼されました。もちろん喜んで引き受けましたよ。2週間、ミシェルの音楽に浸れて、天にも昇る気持ちでした。予告編を納品した後、ミシェルが私的なコンサートのためにカンヌに来ることを知りました。コンサートの終わりに、私が存在するのは『華麗なる賭け』の曲のおかげだと告げずにはいられませんでした。彼は私を見て笑いながら、それは素晴らしいことだし、あの曲を書いて本当によかったと言ってくれました。それが私たちの出会いです。彼の代理人がいたので名刺を渡しましたが、ミシェルについての映画を作るというアイデアには乗り気でないように見えました。後に彼は電話をかけてきて言いました。「ミシェル・ルグランについての映画を作りたいなら、彼と知り合うことが必要だ。ミシェルは簡単な人ではないので、少しの時間を一緒に過ごしてみて、うまくいくかどうかを確認したほうがいい」――それが2017年6月のことです。私はルグランの家を訪ねて、面接を受けることになりました。あの日のことは一生、忘れません。ミシェルは、映画の企画について正確に話すように注文をつけてきました。私は全員に話を聞きたいと伝えましたが、みんな死んでしまったから難しいだろうと言われました。ああ言えばこう言うタイプの人を相手にしているのだと気づきましたよ。あの時点では彼が私を引き留めるとは思えませんでした。そこで、もし機会があれば自分自身についてどんな映画を作りたいかを尋ねました。それが彼を刺激したのでしょう。彼は私に言いました。「一緒に来なさい。アイデアはたくさんある」――私たちの最初の話し合いは5時間も続きました。あらゆることについて語りましたよ。ゴダールからオーソン・ウェルズ、うつ病まで。それから数週間で撮影を始めました。最初の撮影は、ル・グラン・レックスで行われた『ロシュフォールの恋人たち』の50周年記念コンサートでした。

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Q.ミシェル・ルグランの音楽生活の大半に密着できたのでしょうか? それとも逆に非常に厳しく制限されたのでしょうか?

 私は天才を相手にしていました。ミシェルはこの言葉を好みませんでしたが、否定できない事実です。いずれにせよ一般的な人間ではありません。ミシェルとの仕事は非常に複雑でした。それにもかかわらず、不思議なことに、事態はとんとん拍子に進みました。当初は私の自己資金で撮影していたのですが、それを知って、ミシェルは私に対する見方を変えました。あれが本当のきっかけです。なぜだか不思議に思いましたが、彼の助手の話では、芸術的な試みに自己資金をつぎ込む人をミシェルは評価していたようです。とはいえ、それで彼のコンサートを撮影することを認められたわけではありません。そこには徐々にたどり着きました。私が自費を投入するリスクを冒すほど彼を敬愛していることが伝わったのです。

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Q.あなたが本当のファンだということが伝わった――彼にとってはそれが非常に重要だったんですね。

 彼が公然と言ったことはありませんが、映画を撮り進めているうちに、私はミシェルの遺言を撮影しているのだと感じました。これは何のてらいもなく言えます。

Q.完成した映画は、まさに遺言でした。

 残念ながら、そうなりました。私には彼が素の自分を見せてくれていると感じていました。私たちの間には本当に特別な何かがありました。ちょっとした親子のような関係です。映画の中でジャック・ドゥミが彼を起こさないように合図する場面には感動しました。実はミシェルは眠ってなどいませんでした。でも私はそのままにしたのです。観客が眠っていると思うなら、それで構いません。しかし実際は瞑想していたのです。それは作曲する前の儀式でした。彼はソファに座って私に言いました。自身を自らの宇宙に解き放ち、何かが下りてくるのを待つのだと。

Q.興味深いのは、あなたがミシェル・ルグランの感じの悪い側面も見せるところです。彼の気性の荒さ、時には他人に強く当たるところもあなたの映画では描き出されます。彼と働いた人たちには知られていたものの、必ずしも一般大衆には知られていなかった側面です。もちろんこの映画で最も重要な点ではありませんが、驚きもあります。規格外の人物の複雑さと矛盾を見せるのは、興味深いところです。

 そうですね、それは私が望んだことです。ミシェルの相続人、子どもたちや妻のマーシャ・メリル、そしてミシェル本人が私に与えてくれた自由です。ある日の朝食時、ミシェルは私の手を取って言いました。「この映画を作るためには自由が必要だ。君がやりたいようにやるんだ。私はコントロールしたくない。君の好きにやらせたい」と。彼の言葉には二つの意味で感謝しています。まずは、彼のような完璧主義者から信頼されたことに。それは大きな贈り物でした。そして、この自由に対してです。ミシェルは創造において自由な人でしたが、あの言葉で私にも同じ自由を与えてくれました。私は聖人の映画を作るつもりはありませんでした。彼の本当の姿を伝えたかったのです。確かに誰にとっても簡単ではない瞬間がありましたが、それは彼という人間の重要な一部です。ミシェルは本当に子どもでした。85歳の男性の体に12歳の子どもが宿っていたことを理解しなければなりません。「おもちゃがないから楽しくない」と言いかねない人なのです。ミシェルは現代のピーターパンでした。

Q.この映画であなたが記録した非常に珍しい瞬間の1つに、ミシェル・ルグランが作曲している場面があります。ミュージシャンのドキュメンタリーでは見たことがないものでした。通常、コンサートやリハーサルの様子は見られても、作曲するところは見せてくれません。

 あれは彼が仕事を始める前に瞑想している場面に続くものです。私はミシェルに曲を書いているところを撮影したいという強い願望を伝えていました。考えてみると言われたのですが、彼にとって簡単な決断ではありませんでした。なぜなら作曲している時の彼は自分が“全裸”のように感じ、弱さをさらけ出していると感じていたからです。そこまでの信用を得られたことが信じられません。彼はカメラを持つ私を完全に受け入れて、約1時間半も撮影させてくれました。私はその間、彼が鉛筆で楽譜を書くのをそばで見ていたのです。

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Q.あれは撮影用ではなかったのですか?

 いいえ、この映画は、フィルハーモニー・ド・パリでの最後のショットを含め、すべてがリアルです。ミシェルがカメラを見たと指摘する人もいました。しかしフィルハーモニーのコンサートの日、ミシェルはカメラがどこにあるのか、誰がステージにいるのかも知らなかったのです。あれは紛れもない一度限りの瞬間でした。

Q.この映画が真摯で直接的なアプローチを採用しているのは明らかです。同時にフィルハーモニー・ド・パリでの最後の部分は、一種のサスペンスとして構成されています。物語の中に物語があって、ドラマツルギーの点ではフィクション映画に近いものがあります。

 それは編集チームのマルゴット・イシェールとヴァンサン・モルヴァンとの共同作業の成果です。私が二足のわらじを履きつつ生で体験したフィルハーモニー・ド・パリでの瞬間は、課題でした。私はミシェルが音楽を担当した抜粋映像の編集者、すなわちミシェルの直接の協力者です。しかし同時に彼のステージでの最後の瞬間を記録する映画監督でもあったのです。コンサートが終わってから数日後に我に返った時、私たちは何か常軌を逸したことを経験したのだと話しました。まるでステージでミシェルの死を経験したかのようでした。ある時点では、誰もがそれで終わりだと思っていましたし、私たちは視聴者がこのサスペンスに没頭できるような編集を目指しました。

Q.この映画で使われた多数の資料や記録についてお聞きします。例えばスタン・ゲッツとミシェル・ルグランの共演のような特別な瞬間を記録した貴重な映像があります。これらの記録映像が、あなたが集めた証言や撮影した映像と非常に鮮やかなモザイクを形成しています。ミシェル・ルグランがどれだけテレビに出演していたのかが分かりますね。彼は公人、歌手でありショーマンであって、影にとどまるただの作曲家ではありませんでした。記録映像に関しては、どのように取り組んだのですか?

 フランス国立視聴覚研究所に何があるのかを調べて、32時間分の記録映像を見つけました。とてつもない量です。映画で使ったのは、ごく一部にすぎません。ミシェルは間違いなく最もテレビ出演の多い芸術家の1人でした。
 『ミシェル・ルグラン 世界を変えた映画音楽家』では重要な瞬間に焦点が当てられています。映画音楽ではドゥミとのコラボレーション、『華麗なる賭け』や『愛のイエントル』などです。しかし一般の人々にはあまり知られていない要素も扱われています。例えば1950年代の出来事やフランスのシャンソン界におけるミシェルのコラボレーションについてなどは、他ではあまり言及されていないと思います。キャリアの重要な段階を振り返りながら、フランスの1950~1960年代に彼がどれほどの足跡を残したかを示すことが、私には重要に思えました。若い世代がミシェルのことを理解し、彼がフランスと世界の芸術に何をもたらしたかを理解するためには不可欠でした。

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Q.最後にひと言お願いします。

 私の友人は、この出会い、この映画が“輪を閉じる”ものだと指摘しました。ある意味、ミシェルは私の誕生に立ち会っていました。両親が「風のささやき」を聴きながら愛し合っていたからです。それに彼は私の芸術的で音楽的な人生を形作った人です。そして今度は私が彼の人生の最期、彼がとても恐れていた死に向かうのに立ち会いました。音楽家としてだけではなく人間としての最期の日々を記録できたことで、彼がこれまで以上に輝きを増して生き続けると思うとうれしいです。

公開表記

 配給:アンプラグド
 9.19(金)よりヒューマントラストシネマ有楽町、新宿武蔵野館ほか全国順次公開

(オフィシャル素材提供)

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