
登壇者:堀ひかり(東洋大学文学部准教授)、佐野明子(同志社大学文化情報学部准教授)、武田一義(漫画家)
MC・モデレーター:藤津亮太(アニメーション部門プログラミングアドバイザー)
10月29日(水)、第38回東京国際映画祭にて、アニメ-ション部門 シンポジウム「『桃太郎 海の神兵』から『ペリリュー ー楽園のゲルニカー』まで国産アニメーションは戦争をいかに描いたか」が実施され、映画『ペリリュー ー楽園のゲルニカー』の原作者であり共同脚本を務めた武田一義が登壇した。
終戦80年記念作品として大きな注目を集める映画『ペリリュー ー楽園のゲルニカー』の原作者であり共同脚本を務めた武田一義と「戦争と日本アニメ 『桃太郎 海の神兵』とは何だったのか」の編著を務めた堀ひかり(東洋大学文学部国際文化コミュニケーション学科准教授)、佐野明子(同志社大学文化情報学部准教授)が東京国際映画祭アニメ-ション部門シンポジウム「『桃太郎 海の神兵』から『ペリリュー ー楽園のゲルニカー』まで国産アニメーションは戦争をいかに描いたか」に登壇。戦後80年にあたる本年、国産アニメーションと戦争の関係についての議論が交わされる中で武田一義が本作に込めた想いを語った。
冒頭、藤津氏から原作の制作経緯を問われた武田は今から10年前、終戦70年の際に当時の天皇皇后両陛下(現上皇・上皇后)がペリリュー島に慰霊で訪れたという報道を見て「皇室の方々が行かれる場所なのに自分は知らなかった」というところからペリリュー島の戦いについて興味を持ったこと、またペリリュー島の戦史研究家の平塚柾緒氏に実際に取材を行った際、そこで語られた兵士たちの姿は自分が抱いていたイメージと異なり、ごくごく普通の若者であり、この普通の若者たちが戦場にいたという「ありのままの姿」を描きたいと考えたこと執筆のきっかけだったと語った。

原作はかわいらしいタッチでありながら戦争が日常であるという狂気を描いていており、そのギャップが話題に上がるが、愛らしい3頭身のキャラクターデザインと悲惨な戦争描写の兼ね合いの難しさを聞かれると、3頭身のキャラクターに銃を持たせるなどのデザイン上のテクニカルな難しさを認めるも、可愛らしく愛おしいキャラクターデザインは読者の心が少しでも楽になるよう、また「読みたい面白い漫画」としてエンタメ作品である上での重要な要素であったと語った。
次に本作を史実に基づきながらもフィクションとして描くという判断に至った経緯について問われると、実在の人物をモデルにしたドキュメンタリーとフィクションのどちらにするか悩んだことを明かしつつ、最終的にフィクションを選んだのは平塚氏に「ドキュメンタリーでは名誉を守るためにあえて書かないこともあるが、フィクションであれば、架空のキャラクターとして書けるかもしれない」と助言されたことが大きいと語った。戦場に立つ人間には、善人も悪人も、真面目な人も不真面目な人もいる多様な姿があったはず。そうした多様な人々が戦場でどのような行動をとるのかを描く上でフィクションは不可欠だったと話した。この発言を受けて、堀氏は「ドキュメンタリーには名誉や個人の感情を守るための制約がありますが、フィクションには真実に迫る力があると感じました。特に漫画『ペリリュー』では、アメリカ兵の物語も描かれており、戦場に多様な人々が集まったという事実を、フィクションを通して提示しています」と語り、佐野氏は「あらゆる映画はフィクションであると言えるため、観客はフィクションか否かというよりも、引き込まれる作品かどうかで見ています。『ペリリュー』のような身近な設定のフィクションは、老若男女が感情移入しやすく、多くの人に観てほしい作品です」と評した。また、「ペリリュー」主人公の田丸が担う「功績係」は、仲間の最期を勇姿として手紙に書き記すものであるが、武田は、戦死者が実際には不名誉な最期であったとしても家族に「英雄として戦死した」という虚構の物語を伝えることもある役割であると話し、この設定について戦争を知らない私たちが戦争の事実を知っていく過程で、虚構と事実を意識しなければならないということを読者に提示するために掲げたものだと、熱い想いを語った。

そして、アニメ映画化に伴い、ありのままの戦場を描くことにこだわったことにも言及。爆発が起きた時、銃に撃たれ弾が当たった時、人間の身に何が起きてしまい、どう壊れてしまうのか。アニメーション映画のレギュレーションの中で表現の難しさを感じつつも、ありのままの描写に近づけようとする姿勢、特に兵器が人体を破壊するさまをきちんと描くということは、監督や制作陣と共に強く念頭に置いて取り組んだと明かした。
シンポジウム後半では『桃太郎 海の神兵』について堀氏、佐野氏より学術的な発表が行われ、制作の背景から映画の構成並びに作品が持つ独創性に言及した。当時の反響も紹介される中で、手塚治虫氏の感想も紹介され、「戦争」が今後どのようにメディアで描かれ、どのように人々に受け取られるかは個人の受け取り方に依存するという活発な議論が行われた。
最後は参加者からの質問に3名が真摯に答え、万雷の拍手喝采が巻き起こる中でシンポジウムは終了。終戦80年に本シンポジウムが実施された意義を会場全体が改めて深く感じ、映画『ペリリュー ー楽園のゲルニカー』公開への期待が膨らむ締めくくりとなった。
公開表記
配給:東映
2025年12月5日(金) 全国公開
(オフィシャル素材提供)





