人は悲劇を乗り越えて更に強くなる。人間は崇高な存在であり、命は掛け替えのないものだ
1980年代、アフリカ・エチオピアのユダヤ人をイスラエルに帰還させるという大規模な移送作戦が敢行された。その“モーセ作戦”という史実を元に、人種を偽り、母と離れ、異国で生きることを余儀なくされた少年の心の旅を描いた感動の叙事詩『約束の旅路』。一人のエチオピア系ユダヤ人少年の人生を通して壮大な人間愛を映し、世界で絶賛されたラデュ・ミヘイレアニュ監督に話を聞いた。
ラデュ・ミヘイレアニュ監督
1958日、ルーマニアのブカレストに生まれる。80年、チャウシェスク政権のルーマニアを逃れ、フランスに移住。イデック(IDHEC/パリ高等映画学院-現FEMIS)在学中から、マルコ・フェレーリ監督の助監督を務めるなどしてキャリアを積んだ。93年に『Trahir』で長編映画デビュー。チャウシェスク政権下で生き延びるために、秘密警察に密告をした普通の男を描き、モントリオール映画祭でのグランプリをはじめ4賞を受賞して一躍注目される。2作目『Train de vie』(98)は、第二次大戦下の、とある中央ヨーロッパのユダヤ人が暮らす小さな村の物語。村人全員で、ユダヤ人を強制収容所へ輸送する列車を偽造し、村ごと逃げ出そうとするというユーモアと独自の視点でホロコーストの歴史を描き、デビュー作以上に絶賛され、サンダンス映画祭観客賞やヴェネチア国際映画祭国際批評家連盟賞をはじめ、数々の賞に輝いた。
本作『約束の旅路』で、さらなる国際的な評価を得て、興行的成功をおさめた後も、テーマを吟味し、徹底的にリサーチをするという製作手法は変わらず、寡作で知られる気鋭の監督である。現在、4作目の長編を準備中。
2度目の来日ですが、日本はいかがですか?
確かに2度目だが、10回目だとしても、日本文化は古くからの長い伝統があるので、数日間しか滞在できない私には日本について何か言う資格はないと思っている。2年前はフランス映画祭横浜で招いていただいたんだが、そのときの印象が大変良くて、私を迎えてくださった皆さんととても楽しい交流ができたことを思い出すよ。全く違った文化の国にやって来たということもあって、私にとってはすごく大きな発見だった。もちろん、日本の文学作品は読んでいたし、日本映画も見ていたけど、私がこの国について語るにはまだまだ、知らないことが多すぎるね。
こうしてグループ・インタビューを受けるのは、非常にフラストレーションを感じるよ。というのは、インタビュー中、私一人がバカみたいにしゃべり続けるというシチュエーションだからね(笑)。本当は皆さん一人ひとりがすばらしいお話を持っていらっしゃるはずなのに……。5人の方々の5つのお話を聴く機会を逸しているのは、本当に残念なことだ。
アメリカ・ロサンゼルスで出会ったエチオピア系ユダヤ人の方の体験談を聞いたことが製作のきっかけになったと伺っていますが、本作にはその方の実体験が多く反映されているのですか?
この映画は完全なフィクションではない。かといって、彼の経験そのものというわけでもない。彼自身、エチオピアからスーダンを経て、エルサレムへ行くまでの険しい道を辿ってきた方だが、彼のみならず、リサーチをしている段階で多くのエチオピア系ユダヤ人と出会ったので、そうした方々の経験も参考にさせていただいたという形だ。なおかつ、イスラエル当局の方たちからお話を伺ったし、私自身が創作した部分もある。いろいろな方たちのお話が私の想像力をかきたて、この映画が出来上がったんだ。
そのエチオピア系ユダヤ人の方から初めて話をお聞きになったとき、どのような感情がわき起こりましたか?
彼と出会ったときのシチュエーションというのがまた特別で、ロサンゼルス映画祭のブルジョワ的なオープニング・パーティでの席だったんだ。広々とした高級レストランが会場で、大テーブルの上には美しいナプキンと上等なワインが並び、周りにはスターも大勢いるという中で、彼は唯一裕福そうではなく、しかも唯一の黒人だった。でも、その瞳にはどこかスピリチュアルな輝きがあって、スターたちよりも私の目を引いたんだ。彼は自身が辿ってきた天涯孤独の人生を、冗談を交えながら私に語ってくれた。私たちはバーに席を移して朝の4時まで語り合い、私は彼の悲劇的な運命の物語に耳を傾けながら、笑ったり涙を流したりしたよ。これほど心動かされたのは初めての経験だった。私にとって彼は、生命の光を象徴するような存在だ。人は悲劇を乗り越えて更に強くなる、人間は崇高な存在であり、命は掛け替えのないものだ、決して絶望に屈してはいけないとつくづく感じたよ。
アフリカで唯一エチオピアにだけ存在するというユダヤ人とはどういう人々なのでしょうか。また、彼らはなぜ、困難に耐え命を懸けてまでもエルサレムに向かったのでしょう。
エチオピア系ユダヤ人の出自についてはいろいろな説があるが、彼らは2500~3000年前から存在していると言われているんだ。紀元前10世紀頃に在位したソロモン王とシバの女王の末裔であるという説や、失われたイスラエルの部族、ダン族の子孫であるとか、さまざまな説がある。
では、エチオピア系ユダヤ人がなぜ、あれほどの困難に耐えてまでもエルサレムに行こうとしたのかというと、それが彼らにとって世代を超えた唯一の夢であり、心の支えだったからだ。それに彼らは高地の村に住み、ラジオもテレビもなく外部との交流もない、いわば陸の孤島で生きているような人たちだから、エルサレムのことも町ではなく国だと思っていたんだよ。彼らにとってエルサレムのイメージとは、病も死もなく、働く必要もなく、川には黄金が流れている楽園そのものだった。そうした素朴な夢を信じていたため、大挙してエチオピアを発って難民キャンプのあるスーダンに向かったんだが、そこで待ち受けている危険については全く想像もしていなかったんだね。
ちょっと面白いエピソードがある。彼らは自分たちのことを世界で唯一のユダヤ民族だと信じ込んでいたんだ。1893年にジョゼフ・ハレビという白人のユダヤ人に初めて出会ったときには、ジョゼフが「私はあなたたちと同じユダヤ人だ」と言っても、「私たちは世界中で唯一のユダヤ人だ」と言って信じず、ジョゼフがヘブライ語でお祈りをしてみせたところ、ようやく信じたのだという。
また、“モーセ作戦”でイスラエルに行ったエチオピア系ユダヤ人も、イスラエルのユダヤ人が白人であることにものすごく驚いたんだよ(笑)。
“モーセ作戦”でイスラエルに移送された人々が政治の道具として扱われていたことに憤りを感じて映画を作られたということですが、この映画はあくまでも人間愛の物語となっていました。本作に体制批判をこめるおつもりはなかったのでしょうか。
体制を批判しなかった理由だが、これはイスラエルの政治の失態というわけではないからだ。イスラエルの政治体制というのはもっと複雑で、一枚岩ではない。エチオピア系ユダヤ人が好きな人もいれば嫌いな人もいるし、宗教界では彼らにイスラエルに来てほしいと思う人もいればそうでない人もいる。イスラエルは民主国家だが、宗教的な集団でもあるということは決して忘れてはいけない。
イスラエルの政治というのは本当に複雑だ。それに、イスラエルの政治家がエチオピア系ユダヤ人の入植を歓迎していないからといって、国民全員が人種差別主義者だとは言えない。もしも、この複雑なイスラエルという国の構造をもっとお知りになりたければ、実は今、私は“モーセ作戦”に関するドキュメンタリー映画を撮影しているので、これを観ていただければ、この国家について語るのは簡単ではないということが分かっていただけると思う。
それでは、どうして私が本作では人類愛を描くことに眼目をおいたかという点だが、一つの国家について理論的に語るのはドキュメンタリーでやればいいと思っている。フィクションではやはり、一人の人間の運命と共に旅をする形で描きたいし、観客の方々に感情移入をしていただきたい。それが私のやり方なんだ。とはいえ、一人の人間を通して語られることというのはもちろん、社会や政治、あるいはその国のアイデンティティーの全体ではなく、一部でしかない。ただ、日本映画においても、どれほど傑作であっても、日本のことを全て語っていると自負できる作品はないだろう。私の作品もある事象のごく一部を語っているにすぎないが、観た方たちが何かを考えるきっかけになればと願っているんだ。
また、一つの国家について語るとき、戦いの歴史からのみ定義付けるのは間違っている。イスラエルをパレスチナとの闘争からしか見ないのは誤っているし、日本という国を第二次大戦における中国との関係からのみ捉えるのは非常に愚かなことだ。それは恐ろしく単純化した見方であって、国家とその文化が築き上げてきた複合的なものを無視してしまうことになだろう。
一つ付け加えさせていただくと、私自身はパレスチナ人に対して深い思いがある。隣人であるイスラエルの人々が享受している全ての権利を得た上で、彼らが平和な社会で自由に暮らせるようになる日が来ることを、心から願っているんだ。
難民キャンプでのシーンでは、さまざまな医療団体を登場させていますが、どのような意図があったのでしょうか?
それは私の意図が働いたのではなく、歴史的な事実をそのままお見せしただけだ。80年代のスーダンではどちらかというと“世界の医療団 Medecins du Monde”が活発に活動していて、私の友人や知り合いもその一員だった。他にも、高等難民弁務官事務所(UNHCR)、移住政府間委員会(ICM、現・国際移住機関[IOM])、赤十字、スウェーデンから看護師を派遣してスーダンの教会と協力して活動している団体など、いろいろな医療団体が入っていた。それから17年経った今は、“世界の医療団”はかなり撤退してしまい、高等難民弁務官事務所も移住政府間委員会のメンバーもほとんどいなくなっている。唯一残っているのは“国境なき医師団 Medecins sans frontieres”なんだ。“国境なき医師団”というのはとても勇気のある団体で、アジアで津波があったとき、みんなが一斉に送金するなど、津波被害者救済はちょっと流行めいた事態にもなっていたが、その際に「アジアはもう十分だと思うので、今度はアフリカにお金を送ってほしい。アフリカでは何百万人もの人々が今も飢餓で苦しんでいる」と発言して、物議をかもしたこともあるんだよね。
この映画はアイデンティティーを探す旅でもありました。主人公のシュロモは、国境も人種も宗教も超えた一人の人間としての自分を見出せたかどうかということは単純には言い切れないと思いますが、監督ご自身も葛藤があったという中で、今アイデンティティーということに関して思うのはどんなことですか?
私は偉大な哲学者ではないので、アイデンティティーのことを語るというのは適任ではないが、例えばシュロモのように、私自身、ルーマニア人でありながらフランスに住んでいて、ユダヤ人でもあり、世界各地を旅行して歩いている人間だから、“いったい自分は誰なんだ?”と考えることは常にあった。それはすなわち、世界との関係において自分を規定することでもある。
いま世界は、インターネットやラジオ、テレビ、本、映画を通して、他者や他文化との対話が簡単かつ恒常的に出来るようになっているね。ただ、世界中でコミュニケーションのあり方が劇的に変化したおかげで、一人一人のアイデンティティーが深いところで揺さぶられている。その結果、他者に対して暴力的になったり、壁を作ってしまうという傾向も生まれているのだと思う。
でも、自分のアイデンティティーを守るために他の異文化を拒否したり、その影響を否定するのではなく、お互いの豊かな部分を与え合うことが大切だ。自分のアイデンティティーに誇りを持った上で、他者のアイデンティティーも尊重し、良い部分は受け入れて自分を豊かにし、自分の文化の良いところは他者に与えるということをすべき時に来ているのだと思う。今も世界では多くの戦いが行われているが、その人たちは自分のアイデンティティーの揺らぎを感じていて、その結果、強い者に寄り添うか、あるいは自分の殻に閉じこもろうかという葛藤があって、それが戦争という形になってしまっていると思うんだ。今のようにコミュニケーション分野のテクノロジーが発達した時代においてこそ本当に、自分と他者との対話を大切にすべきだね。自分のアイデンティティーを守ると同時に、他文化とも自由に行き来できることこそ、人間本来の姿であるべきだと私は信じているんだ。
最後に、今申し上げたことを比ゆ的に表現してみよう。昔は、一つの家があったとしたら、その家の窓は開け放たれ、ドアにも鍵はかけられていなかったので、隣人たちが自由に出入りしていたが、その家に住んでいる人たちは自分自身というものをしっかり持っていたので、何の問題も起きなかった。でも今は、他人が盗みに入るんじゃないかという猜疑心に凝り固まり、ドアや窓にしっかり鍵をかけて家の中に閉じこもり、マクドナルドのようなファスト・フードを食べながらアメリカ映画を見ているという状況にあるのではないだろうか。
フランス語の独特のアクセント――それが監督とお会いしたときの第一印象だ。チャウシェスク独裁政権から逃れ、22歳でルーマニアからフランスに亡命した監督のアクセントには、複雑な背景とアイデンティティーの葛藤が刻印されているかのような気がした。監督自身もまさしく、本作の主人公の一人なんだ。
来日したばかりで時差ボケを解消するまもなく、怒涛のインタビュー取材を受けているという監督だが、とてもフレンドリーで穏やかな方で、一つひとつの質問に時間をかけてじっくりと答えてくださった。2年前にフランス映画祭横浜で来日した際には、深夜のパーティでも、一緒に来日した本作の主人公シュロモの青年時代を演じたシラク・M・サバハくん以上に、朝まで大はしゃぎだったという目撃証言も……。映画監督は本当にタフだ。今回は短い滞在期間だったようだが、少しは日本を楽しむ時間がおありだったのならいいが。
(取材・文・写真:Maori Matsuura)
『約束の旅路』作品紹介
家族を失い、母と2人、歩いてスーダンの難民キャンプにたどり着いた9歳のエチオピア人少年。母は少年に命じた。生き延びるために、ユダヤ人と偽って、ひとりイスラエルへ脱出するように、と。母と別れ、故郷から遠く離れて、真実の名前を隠して生きる新しい地。そこで少年は愛情豊かな養父母に出会うが、別れた母とアフリカの大地への思いは抑えがたく、肌の色や宗教による壁、そしてユダヤ人だと偽り続けることに激しく葛藤する。やがて彼は成長し恋も知るが、故郷アフリカの窮状を知り、医師を志してパリへ向かう……。
(原題:Va, vis et deviens、2005年、フランス、149分)
キャスト&スタッフ
監督:ラデュ・ミヘイレアニュ
出演:ヤエル・アベカシス、ロシュディ・ゼム、モシェ・アガザイ、モシェ・アベベ、シラク・M・サバハほか
公開表記
配給:カフェグルーヴ、ムヴィオラ
2007年3月10日(土)より岩波ホールにてロードショー
(オフィシャル素材提供)