インタビュー

『パラダイス・ナウ』ハニ・アブ・アサド監督 単独インタビュー

イスラエルのあの土地に関しては、ユダヤ人とアラブ人両者が平等に権利を与えられているはずだと、私は思っている

 聖地エルサレムを擁する領地を巡り、宗教的な背景も相俟って、イスラエル政府とパレスチナ勢力の間で続く長い闘争はやがて、自爆攻撃に赴く人々を生み出した。彼らは狂信的なテロリストなのか? 実行に向かう彼らの思いは?――自爆志願者となった2人のパレスチナ青年の48時間の葛藤と友情を描いた『パラダイス・ナウ』。2006年ゴールデン・グローブ賞最優秀外国語作品賞をはじめ、世界で数々の映画賞に輝いた本作で監督・脚本を務めたハニ・アブ・アサドに、複雑なパレスチナ問題を背景とする本作が描く自爆攻撃者の真実について話を聞いた。

ハニ・アブ・アサド監督

 1961年10月11日、イスラエル北部の都市ナザレに生まれる。イスラエルのパスポートを持つパレスチナ人。19歳でオランダに移住し航空力学を学び、卒業後の数年間、飛行機のエンジニアとして働く。
 その後、プロデューサーとして映画やテレビの世界に入り、チャンネル4の「Dar O Dar」やBBCの「Long Days in Gaza」といったような、外国への移民者やドキュメンタリーに関するテレビ番組を制作する。92年に初めてのショートフィルム『Paper House』を監督。13歳のパレスチナの少年が家族の家を破壊され、その後自分で家を建てようとする冒険を描いた『Paper House』は、NOS Dutch televisionで放送され、映画祭でいくつかの国際的な賞を受賞した。
その後も『The 13The』『Nazareth 2000』『Rana’s Wedding』『Ford Transit』を発表、いずれも高い評価を受けている。
 本作『パラダイス・ナウ』は99年から構想を練り始め、2004年にナブルスで撮影をした。現在、78ヵ国で上映され、2006年ゴールデン・グローブ賞最優秀外国語作品賞をはじめ、世界で数々の映画賞に輝き、第78回アカデミー賞外国語映画賞にもノミネートされた。

日本には、武士のように大義のために自死することを悪とはしない哲学がかつてはあったり、戦時には神風特攻隊というものがありましたので、残された手紙などから彼らがどんな思いで死に赴いたのか、ある程度は知ることができます。ただ、自爆攻撃というのはやはり、どうしてもファナティック(狂信的)な印象がぬぐえず、これまでは理解しきれない部分もありましたが、今回の映画で彼らにもさまざまな葛藤があることがよく分かりました。監督ご自身も、そういうことを世界に伝えたくて今作を作られたのですか?

 おっしゃる通りだ。私は映画というメディアを使って、非常に複雑な要素をもったこの自爆攻撃というものを描きたかったんだ。映画というのは複雑なものを描くのに非常に良い手段であって、政治というのは物事を非常に単純化してしまう傾向にある。何でも白か黒かで割り切ってしまい、しかも小さな事実を大きなことのように見せかける力も政治にはある。しかし私は政治家ではなく映画作家なので、この複雑な人生における出来事を映画を通して皆さんにお伝えしたかったんだ。

マイケル・ウィンターボトム監督の『グアンタナモ、僕達が見た真実』という映画のモデルとなった、無実の罪で米軍収容所に拘束された青年たちが「欧米ではアラブ人というだけでテロリスト扱いされる生きにくい世の中になった」と語っていましたが、本作はアメリカでも多くの賞を獲得しましたね。この映画によって、アメリカ人の認識を少しでも変えられたと思われますか?

 変えられたと思いたいし、常に何かを期待して映画を作るわけなんだが、それは決して簡単なことではない。映画を通して人々に何か疑問を投げかけることができるのであれば成功だと思っているし、私としては非常に光栄なことだ。また、人々に疑問を投げかけるだけではなく、このことは正しいのか間違っているのかということを自分自身にも問いかけることができる。実際に映画の中で描く人物というのは、自分はその立場になりたくないという人だったりすることもあるからね。
 この映画をご覧になった方々に議論を喚起することができたのは、すごくうれしいことだ。しかし、人々の認識を変えるというのはまた別の話で、アメリカ政府は未だにアラブやイスラムを非人間的な世界として断じているし、残念ながら今のところ、政治的には何も変わっていないと思う。
 唯一変化があったと思われるのは、私が少しお金を得ることができたのと、ちょっと名前が知られるようになったということくらいだね(笑)。

議論を巻き起こしたということですが、この映画を拝見する限り、自爆攻撃を肯定的にも否定的にも描いていないと思いました。誤解の余地のない描き方をされていたにもかかわらず、どのような批判的意見があったのでしょうか。

 まず、これは今まで誰も触れたことのなかったトピックだったということもあるし、それぞれが心の中で勝手に想像するしかない、非常に暗いテーマを内包した作品だ。そして、実際に映画を観て衝撃を受けた場合、そこにあったものが自分の想像と異なっていたら、中には、“そんなことがあるわけはない”と自分のもともとの考え方にあくまで固執する人々もいるのだろう。ただ、この映画に関して否定的なコメントをしたのは、実際に映画を観ていない人たちなんだよ。

それは最もやってはいけないことですね。

 そうなのだけどね(笑)。

いろいろとリサーチをされたと思いますが、どんな方たちに話を聞かれたのでしょうか。

 私はパレスチナ人だから、毎日侮辱を受けるという事態に直面しているので、どうしてそういう行動をとるのかということに関してはよく理解できるんだ。しかし、事実に出来る限り忠実であるために、次のような方々にインタビューをした。まずは、実際に自爆攻撃をした方たちの遺族。政治的に自爆攻撃にかかわっている彼らの友人たち。それから、自爆攻撃を試みたが何らかのミスで爆発しなかったために生き残った方たちは今、イスラエルの刑務所にいるんだが、彼らに接見した弁護士の方にも会っていただいた。彼らは実際にスイッチを押したが死ななかった方たちなので、自爆攻撃とは何かを語れる唯一の証人なわけだ。その点、弁護士の方が重要な話をいろいろと聞かせてくださったので、この映画を作る上で非常に参考になった。

失敗した人たちは刑務所に入れられるということですが、途中で逃げ出した人たちにはどういう運命が待っているのでしょうか。また、自爆攻撃の実行者にはどういう人たちが選ばれるのですか?

 逃げた人たちも大体の場合、イスラエルの刑務所に収監される。イスラエル側の言い分としては、彼らを送り込んだ組織が失敗した者たちをむごく扱うのを懸念してそういう措置をとるということだが、実際には、イスラエル当局に関係者の名前を漏らすという危険があるにもかかわらず、組織はそうした行動も理解できるとして、逃亡者を自由にさせているんだ。ただ、イスラエルの秘密警察が彼らの居所を突き止めて逮捕し、刑務所に収監してしまうんだよ。
 また二つ目の質問に関しては、自爆攻撃をする人々というのは組織に選ばれるわけではなく、志願者が密かにコンタクトをとってきて希望を伝えるんだ。その後、実際にどこでいつやるかということは、計画する側が決めるけどね。

逃げた人たちに寛容であるというお話には驚きました。てっきり、家族まで厳しい立場に立たされるかと思っていました。

 そういうイメージはあるかもしれないね。実は私自身、パレスチナ人であるにもかかわらず、マスメディアから受けた影響なのか、逃亡者に対して寛容であるとは思っていなかったんだ。しかし現実は、信じていたことはまるで違っていた。ましてや、あなたは日本人だ。この問題にかかわりの薄い日本人であるあなたが、そんな風に信じても無理はないよ。

そうした認識には、マスメディアの責任も大きいですね。

 その通りだ。政治的な雰囲気がそれを許してしまっているんだろう。

ファナティック(狂信的)なイメージが覆されたという意味でも、例えばメッセージ・ビデオ収録のシーンが印象的で、実際に流されたものは非常に怖く狂信的に見えるわけですが、撮影の現場では本人はしどろもどろ、ビデオは回っていなかったり、他の人たちはものを食べながら見ているし……とあの気の抜け具合が妙にアイロニカルに映っている気がしました。

 あれもまた、非常に現実に近いシーンなんだ。
 ファナティシズム(狂信的行為・態度)に関しては、どこの世界においても、どんな政治的活動をしている人々もファナティックなのではないだろうか。例えば、自由主義が一番だとか、現代のこの豊かな生活が最高だなどと思い始めたら、それはファナティックになっていると私は思うね。パレスチナ人の場合も、抵抗運動のやり方は自爆攻撃しかないと思いこんでいる人もいて、そうした極端な方法を選んでいるんだ。私はこの映画で、あのような状況下でどうしたらいいのか分からずに葛藤する、あれしか抵抗の仕方を知らない主人公の姿を描きたかったんだよ。

ハーレドは「平等に生きられなくても平等に死ねる」と言い、サイードは「イスラエル人が加害者と被害者を同時に演じるのなら、僕らもそうするしかない」と言っていました。大変重い言葉でしたが、自爆攻撃に赴く者たちはそういった意識を持っているとお感じになったのですか?

 このように感じていたとは思うが、実際にこういう言い方をしたのを聞いたわけではないし、リサーチの際に話を伺った弁護士の方も、彼らからは特別な言葉は何も聞いていないと言っていたね。だから、これらのせりふは私の創作なわけだが、リサーチを経て分かったことから、物事の本質にでき得る限り近づけるようなせりふを作り上げたつもりなんだ。

プロデューサーがイスラエルの方だということですが、この映画を作るにあたって、どのような部分で思いを一つにされたのですか?

 共同製作者のアミル・ハレルがイスラエル人だが、彼はロジスティック(物流)を担当していて、資金の面ではかかわっていないんだ。私は人種差別主義者ではないので、彼がイスラエル人だということにこだわりはなかった。イスラエル人と一緒に仕事をするのは問題ないんだが、もしも彼が、占領している土地はユダヤ人にのみ属すると信じているシオニストであったら、うまくはいかなかっただろう。私は友人や仕事上のパートナーを、肌の色や文化的背景、宗教などで判断したことは一度もない。その人の思想的立場が大切なんだ。長く熾烈な紛争のもとになっているイスラエルのあの土地は、ユダヤ人だけのものではないし、アラブ人だけのものでもない。どちらにも平等な権利が与えられているはずだと、私は思っているんだ。

2日前(2月8日)、ハマス(イスラム原理主義の代表的組織)とファタハ(パレスチナ解放機構の最大党派)が挙国一致内閣設立に合意したということですが、それについてはどう思われますか?

 ……両者が合意した? そのニュースは初耳だ。それを聞いていたら、私は心臓発作を起こしていたかもしれない(笑)。実は、4年前からニュースを聞くのを止めてしまってね。それにしても、両者が統一政府に合意したというのは本当のことなのか? あぁ、神様、ありがとう! すばらしいニュースを聞かせてくださってありがとう! 私は出来事の背景を語っていたり分析しているニュースは読むんだが、日々のニュースは読むのを止めたんだ。そうしたニュースは安っぽくて扇情的で空疎なので、読んでいても頭痛がするだけだからね。

これから本作をご覧になる方々に向けて、メッセージをお願いします。

 日本の皆様、私はパレスチナの映画作家ハニ・アブ・アサドです。『パラダイス・ナウ』という映画を作りました。これから日本でも公開が始まります。この美しい国には初めて来ました。ここに来られたこと、そして私の映画が劇場公開されることをとても光栄に思っています。映画をご覧になって、ぜひ皆様で語り合ってください。私は黒澤 明監督や北野武監督の映画が大好きです。日本の大勢の方々がこのパレスチナ映画をご覧になっていただけることを願っています。

 何に驚いたかといって、監督がハマスとファタハの挙国一致内閣設立合意のニュースを知らなかったことだ。もしかしたら私は嘘をお教えしたのかと猛烈に不安になったが、家に帰って確認すると、外務省のサイトでも発表されていたので間違いはなかっただろう。まだまだ予断の許さない状況ではあるようだが、このまま和平プロセスが進み、この映画で描かれているような悲劇が二度と起こらないことを願わないではいられない。インタビュー後、監督は「ちょっと母に電話をしたいのだが」と言って退出された。このニュースを確認しに行かれたのだろうか。

(取材・文・写真:Maori Matsuura)

『パラダイス・ナウ』作品紹介

イスラエル占領地のヨルダン川西岸地区の町ナブルス。貧困で人々は苦しみ、時折ロケット爆弾が飛んでくる。
幼馴染みのサイードとハーレドは、お茶を飲んだり水パイプを吹かし、ナブルスのほぼ全ての若者がそうであるように、暇をもてあましている。自動車修理工として働いているものの、そこには未来も希望もなく、貧しい家族の生活を助けるためにできることは何もない。閉塞感とフラストレーションと絶望がないまぜになった、占領下でのどん底の生活。
しかしある日、サイードは自爆志願者をつのるパレスチナ人組織の交渉代表者ジャマルに、「君とハーレドはテルアビブで自爆攻撃を遂行することになる」と告げられる。親友同士の彼らは、もしどちらかが殉教者として死ぬことを考えているならば、残ったもうひとりも死ぬことを望むだろう。彼らはチームとしてこの任務に選ばれたが……。

原題:Paradise Now、2005年、フランス・ドイツ・オランダ・パレスチナ、90分)

キャスト&スタッフ

監督:ハニ・アブ・アサド
出演:カイス・ネシフ、アリ・スリマン、ルブナ・アザバル、アメル・フレヘル、ヒアム・アッバス、アシュラフ・バルホウムほか

公開表記

配給:アップリンク
2007年3月10日(土)より東京都写真美術館、UPLINKにてロードショー

(オフィシャル素材提供)

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