インタビュー

『クロッシング・ザ・ブリッジ ~サウンド・オブ・イスタンブール~』アレキサンダー・ハッケ 単独インタビュー

©corazon international & intervista digital media

世界の人々は一つの文化で結ばれていると、私は思っている

 ヨーロッパとアジアのはざ間にあり、諸文化が混交することで独自の魅惑的な音楽を生み出してきたトルコ。特に、2000年来の伝統的な音楽と最先端のクラブ・カルチャーが共存するイスタンブールの音楽シーンは、新たなスポットとして世界中から注目されている。そんなイスタンブール音楽の“いま”を追ったのは、激しくも究極的な愛を描いた『愛より強く』で世界的にその名を知られたドイツ系トルコ人、ファティ・アキン監督。本作『クロッシング・ザ・ブリッジ ~サウンド・オブ・イスタンブール~』で、監督と共にイスタンブール音楽の秘密と魅力を探る旅に出た、ドイツ・ロック界の重鎮バンド、アインシュテュルツェンデ・ノイバウテンのアレキサンダー・ハッケが単独来日し、インタビューに応えてくれた。

アレキサンダー・ハッケ

 ドイツのインダストリアル・ミュージックやノイズ・ミュージックの代表的前衛バンド、アインシュテュルツェンデ・ノイバウテン(Einsturzende Neubauten)のギターリスト/ベーシスト。「崩壊する新建築」なる名を冠したこのグループは、1980年、旧西ドイツのベルリンの壁に隣接した廃墟街・クロイツベルグ地区で、スクワッティング(空きビルの不法占拠)をして生活する若者たちによって結成された。リーダーはブリクサ・バーゲルト。一般的な楽器の代わりにハンド・ドリルやドラム缶など様々な電動工作機械・廃材を駆使するパフォーマンスで注目を集め、85年には初来日も果たす。現在はレコード会社を経由せず、インターネット上のサポーター・システムにより精力的に活動している。
 http://www.neubauten.org/(外部サイト)
 25年間のバンド活動を経て、2005年にソロ・アルバム「Sanctuary」をリリース。2004年ベルリン国際映画祭で金熊賞を受賞したファティ・アキン監督作『愛より強く』の音楽製作に携わり、本作では、主役を演じることとなった。

この映画に出演することになったきっかけは?

 イスタンブール音楽の映画を作るのは、ファティ・アキン監督の夢だったんだが、ドキュメンタリーなのでなかなかプロデューサーが見つからなかったんだ。でも、『愛より強く』という映画が大成功を収めたおかげで、今作にもプロデューサーが付き、ようやく製作が可能になったわけだ。私はファティとハンブルクで知り合い、よく一緒に飲みに行ったり、遊んだりしていた。仕事で組んだのは『愛より強く』が初めてで、一緒にイスタンブールに行き、ボスポラス海峡沿いで音楽をやっているジプシー・バンドをプロデュースした。ジプシー・バンドは英語もドイツ語も話せず、ファティもほとんどトルコ語が分からなかったんだが、すごくうまくコミュニケーションがとれたことに感動して、イスタンブール音楽に関する映画を一緒に作ったら楽しいんじゃないかといういうことで始まったんだ。

アキン監督はもともと、イスタンブール音楽がお好きだったのですか?

 ファティはドイツ育ちのトルコ人なので、トルコの音楽は昔からよく聴いていて、特にセゼン・アクスの大ファンで、彼女だけでも映画を作れると言っていたくらいだ。彼は今回、イスタンブールに3ヵ月間行って、さまざまなジャンルのイスタンブール音楽をリサーチした。私も1ヵ月滞在したけど、すごく勉強になったね。トルコの音楽シーンがよく理解できたよ。

イスタンブールに1ヵ月滞在されたということですが、一日をどのように過ごされたのですか?

 リサーチの間は毎朝8時に起きて、いろいろなアーティストに会い、1~2時間経ったらホテルに戻ってきてシャワーを浴び、また行って……の繰り返しだった。夏の盛りだったから、すぐに汗まみれになってしまったので、毎日6回くらいシャワーを浴びていたよ(笑)。アーティストに会ってはシャワーを浴びるというのが一日のルーティーンになっていたな。道路はものすごい渋滞で、車でイスタンブールを動くのは地獄だったよ。おまけに運転が乱暴なんだ。渋谷なんてまだ、天国だね(笑)。

イスタンブール音楽は、いわゆる西洋の音楽とは全く異なるリズムとメロディーを持っていますね。何度かセッションもされていましたが、この音楽の中に入り込むことには苦労しませんでしたか?

 確かに、リズムとハーモニーが西洋の音楽とはだいぶ違うので、それが一番勉強になったね。まず、トルコ音楽のリズムは9分の8拍子で(……と言ったところで、実際にそのリズムを手拍子で実演するアレキサンダーさん)、西洋のミュージシャンにとってはすごく複雑なんだ。このリズムで曲を作った場合は、演奏しながら頭の中でリズムを数えてしまい、音楽に気持ちが入らなくなってしまうこともある。でも、トルコでこのリズムの中に浸ったことで、私もだいぶ慣れることができた。トルコの人たちはどんなに若くても、このリズムを体の中に刻み込んでいる感じで、15~16歳のベリー・ダンサーなどもごく自然にリズムに乗りながら、ダンスで感情を表現している。リズムに対する概念が完全に覆されたね。
 ハーモニーに関しては私も、クラシック音楽のハーモニーなどは昔から好きじゃなくて、ギターも変則的なトーンで弾いたりしていたが、トルコ音楽はまた全然違ったハーモニーだったのが新鮮だったね。違和感はなかったし、とにかく面白かった。
 最初は私も、“トルコの音楽は違う”と思ったよ。でも、その世界の中に入っていったら、体でリズムを感じることができたんだ。だから、この映画のメッセージにも通じると思うが、どんな国に行っても、思いや人間関係は変わらないんだということが心底理解でした。人間はみんな同じで、表現方法は違ってもその中に入っていけば、きっと理解できるようになる。トルコはイスラム教の国で、キリスト教の国から来て、アラーの神を信じないドイツ人にはその音楽を理解することはできないと思うのは間違いで、そうした考え方を変えることこそが大切だと思うね。

例えばヒップホップにしても、アメリカと違って、ドラッグや暴力を煽っていないことに感動しましたが、そのことについてはどうお考えですか?

 私は西ベルリンのノイケルンで育ったんだが、そこはトルコ以外で一番トルコ人が集まっている場所なんだ。だから、昔からトルコ人は身近にいたんだが、イスタンブールに行ってよく理解できたのは、ドイツのトルコ人とイスタンブールのトルコ人はだいぶ違うということだった。ドイツのトルコ人はアメリカの影響をどっぷりと受けていて、マッチスモ(男らしさ)を信奉しているんだよね。体を鍛えていてアグレッシブで、ちょっとヒップホップ系のギャングスターを気取っているところもあるんだけど、イスタンブールで出会った若者たちは、ヒップホップ系でもすごく優しくて心が温かく、ドイツのトルコ人たちとは正反対だったんだ。それには本当に驚かされたし、感動したよ。ちょっと面白い話なんだけど、イスタンブールのトルコ人は「ドイツから来たトルコ人はすぐに分かる」と言うんだ。ドイツのトルコ人はケンカを売っているような歩き方をしているんだそうだ(笑)。

ジェザのラップはものすごい早口で驚きましたが、生でお聴きになっていかがでしたか?

 ジェザはライブだともっとインパクトがあるよ。自分の声を楽器にして、フリースタイルの即興をやるときなんかは、本当にすごい迫力なんだ。もちろん、トルコ語でラップをやっているが、言葉は分からなくてもそのすごさは伝わってくる。彼は若いがとてもまじめで、語っている内容も人生をリアルに伝えるものなので、彼のラップは絶対にライブで体感してほしいね。

多くのミュージシャンが登場しますが、“イスタンブール”という言葉が多く歌詞の中に出てくる気がしました。やはり、ミュージシャンの皆さんはイスタンブールに対して特別な思いがあるのでしょうか?

 イスタンブールはトルコでもとても特別な場所で、さまざまな文化が融合している地でもある。アジアとヨーロッパ、キリスト教とイスラム教とユダヤ教が混在している。それだけ自由があるということなんだ。ミュージシャンたちは、たとえ他の場所で生まれ育ったとしても、自分たちの音楽を表現できる地はイスタンブールだと感じているんだよ。

アレキサンダーさんが一番影響を受けたアーティストはどなたでしたか?

 一人ひとりのアーティストがすばらしく、それぞれが全く違った経験をさせてくれた。例えば、ジェザと彼のヒップホップ・グループとイスタンブールを周り、彼らの目になってイスタンブールを発見できたし、トルコの公衆浴場でアイヌールの歌を聴いたときも深く心揺さぶられた。それぞれがみんな、魅力的なアーティストだったので、誰との出会いが一番良かったとか、深い体験だったとは言えないんだ。全てが、音楽を発見する長くすばらしい旅だった。ケシャンというジプシーの町に行ったときにはバーでレコーディングをしたんだが、ちょうど結婚式の時期で、毎日幾つかの結婚式があって音楽が演奏され、大騒ぎだったのも楽しい経験だったね。とにかく、どの音楽もすばらしくて、優先順位を付けることなど、私には出来ないよ。

アレキサンダーさんがこの映画で一番伝えたかったことは何ですか?

 この映画で伝えたかったのは、人間にはそれほど大きな違いはないということだ。つまり、世界の人々は一つの文化で結ばれていると、私は思っているんだ。

アインシュテュルツェンデ・ノイバウテンとしての来日コンサートの予定はないのですか?

 ノイバウテンでのツアーは過去3回あった。85年と89年、ラストが93年だった。その後、13年間も日本に来られなかったのはとても悲しいことだったね(注:このインタビューは2006年11月に行われた)。他にもいろいろとプロジェクトはあったんだが、ノイバウテンのコンサートは莫大な費用がかかるので、さまざまな問題が発生して頓挫してしまったんだ。でもようやく、単独だが来日を果たせたので、今回はもっとネットワークを広げて、もう一度、ノイバウテンのツアーを実現させられたらと考えているよ。

日本の音楽に触れる機会はありますか?

 日本の音楽は大好きだし、たくさん聴いているよ。ゼニゲバ等、エクストリームな音楽ばかりだけどね(笑)。

 インダストリアル系の音楽は好きな方で、アインシュテュルツェンデ・ノイバウテンという名前を聞いただけで、ロックにどっぷり漬かっていた80年代を思い出して胸がトキめいたが、そのメンバーのお一人にインタビューができるなんて夢にも思わなかった。最近は音楽映画がブームということもあり、たまにミュージシャンとお会いできる機会があるのはうれしいことだ。80年代のドイツからはジャーマン・メタル以外にも、さまざまなタイプの音楽が発信されたが、どちらかというとインテレクチュアルなイメージがあって、難解なことを語りそうなミュージシャンが多かった。でもって、アインシュテュルツェンデ・ノイバウテン、“崩壊する新建築”ですよ? アレキサンダー・ハッケさんは、そんな名前をつけている伝説的なバンドのメンバーなわけで、“もしかしたら怖い方かも……”と思いながらビクビク会いに伺ったら、ご本人はとんでもなくフレンドリー。お話を聞かせていただいてつくづく納得したが、心を世界に向けて大きく開いているユニバーサルな方なのだ。だからこそ、異文化のカルチャーを尊重し、その中に入っていけるのだ。
 インタビュー後におっしゃった言葉が印象的だった。「私が着ているTシャツはメキシコ製、帽子はボスニア製、この体はドイツ製、そして今、日本にいる」。

(取材・文・写真:Maori Matsuura)

『クロッシング・ザ・ブリッジ ~サウンド・オブ・イスタンブール~』作品紹介

 金属片やチェインソーなども楽器として使用し、80年代に日本でも人気を博した、アインシュテュルツェンデ・ノイバウテンのメンバーであり、ベルリン・アンダーグラウンドの重鎮アレキサンダー・ハッケ。彼が最初にイスタンブールとその音楽に出逢ったのは、映画『愛より強く』(06)の音楽制作をしている時だった。イスタンブールの音楽シーンの魅力に取り付かれた彼は、その魅力の秘密を求め、現地の音楽家たちとセッションを重ねていくことにした。
 西洋音楽をやり続けてきたハッケにとって今回の旅の目的は、エレクトロニカや、ロック、ヒップホップ、そして民謡や大衆音楽に至るまで、幅広いジャンルを奏でるイスタンブール音楽の多様性に最大限触れること。そして、町のあらゆる所に溢れ、そこに住む全ての人たちから深く愛されているイスタンブールの生きた音楽シーンをカメラに収めることである。

英題:CROSSING THE BRIDGE The Sound of Istanbul、2005年、トルコ・ドイツ、上映時間:92分)

キャスト&スタッフ

監督:ファティ・アキン
出演:アレキサンダー・ハッケ(アインシュテュルツェンデ・ノイバウテン)、ババズーラ、オリエント・エクスプレッションズ、デュマン、レプリカス、エルキン・コライ、ジェザ、イスタンブール・スタイル・ブレイカーズ、メルジャン・デデ、セリム・セスレル、ブレンナ・マクリモン、シヤシヤベンド、アイヌール、オルハン・ゲンジェバイ、ミュゼィイェン・セナール、セゼン・アクス

公開表記

配給:アルシネテラン
2007年3月24日より、シアターN渋谷ほかにてロードショー

(オフィシャル素材提供)

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