インタビュー

『GROW -愚郎-』榊 英雄監督 単独インタビュー

©2007「GROW」製作委員会

量が質を生むというのではないですが、今は出来る限り撮り狂いたい時期ですね

 俳優として多くの作品に参加している榊 英雄が、『GROW -愚郎-』で初の長編映画監督に挑戦している。17歳の冴えない高校生の前に突然現れたちょっと怪しい中年高校生トリオが繰り広げる青春ストーリー。強烈なキャラの登場人物が織り成す笑って泣ける男の成長物語を撮ることになった経緯を、監督自らが熱く語る。

榊 英雄監督

 1970年6月4日生まれ。
 95年古厩智之監督の『この窓は君のもの』でデビュー。『VERSUS ヴァーサス』(00)、『ALIVE アライヴ』(02)、『突入せよ! あさま山荘事件』(02)、『あずみ』(03)、『楽園 流されて』(05)、『嫌われ松子の一生』(06)、『棚の隅』(07)など多くの作品に出演。
 監督としても、オムニバス映画『監督感染』の1篇『終着駅の次の駅』(主演:西島秀俊)で高い評価を得る。

俳優になろうと思ったきっかけは?

 福岡の大学に通っていた当時、ちょうどその頃流行っていた『ダンス甲子園』のようなブレイクダンスをやっていたのですが行き詰まり、“これはやはり、東京に行かないといかんばい”ということで、卒業後東京に行きました。その直後、「ぴあ」という雑誌に「ぴあフィルムフェスティバル」の結果発表と、グランプリを受賞した古厩智之監督の『この窓は君のもの』の主演男優募集が載っているのを見つけました。一般公募だったのでさっそく応募したら受かったのが、この世界に入ったのがきっかけです。撮影は93年の夏頃でした。ですから、芝居らしい芝居は全く未経験のまま、現場に入ってから僕の俳優としての人生が始まりました。

多くの映画に出演されていますが、監督になろうと思うようになったのはいつ頃からですか?

 古厩さんが『この窓は君のもの』で監督協会の新人賞を受賞したパーティで阪本順治さんや林 海象さんとも面識が出来ましたが、何も知らずに勉強もしていない俳優志望の若い奴がフリーでやっていくのは大変なことで、バイトをしながらなかなか役が付かない時期が5年ぐらい続きました。そういうときには鬱憤が溜まり排他的になりがちですが、ある人から「自分で脚本を書いてカメラを回したら、監督と主演ができるのではないか?」とはっぱをかけられて撮り始めたのがきっかけです。ですから、20代の中盤から後半はずっと自主映画を撮りまくっていました。役者には、ある時期はしかみたいに自分で撮りたいと思う奴は多いのですが、飽きてしまったり、「自分には出来ない」と諦めたり、何らかの理由をつけてやっていない後輩や先輩はたくさんいます。たまたま、僕自身は自分で撮っていきたいという明確な自己確認が出来たわけです。それから10年間、いろいろな現場に助監督として入ったり、自分の中での段階を踏みながら劇場用映画を撮りたいという気持ちはずっとありました。『突入せよ! あさま山荘』や『嫌われ松子の一生』に出演した頃には、明確に監督と俳優をやりたいという意志を持っていました。

その頃撮られていたのはビデオですか?

 ビデオです。フィルムは全く触っていないです。「インデーィズ・ムービー・フェスティバル」の第1回で入選させていただいた1作目の『ランチタイム』という作品は41分です。次に撮った同棲カップルの話は、ちょうどジョン・カサヴェテスに憧れていたので、カサヴェテスが12日間で撮ったと聞き僕も12日間で撮ろうと思い、2Kの古いアパートで暮らす男と女の話を41分で作りました。他にもいろいろ撮りましたね。5分もの、10分もの、41分もの……。でも、一番長いのが今回の映画です。

『GROW』の原案も、自分で考えたのですか?

 いいえ、この映画の原案は後藤克秀さんという、普段は整骨医の院長さんをやっている映画好きのおっちゃんが考えました。後藤さんと「最近は、男が男を成長させる映画があまりないね」「ないですね」「こういうのがあったらどう思う?」「あったら良いんじゃないですか?」「もしこういう本があったら撮る?」「あれば撮りますけれどね」といった話をしたのですが、そのまま流していました。しばらくすると本当にプロットを書いてきたので、「面白いですね、でも本にしたほうが良いですよ」と言ったら、次に会ったときには本が出来ていました。そして、「初めてにしては面白いですよ。なかなか書けないですよ」といったら、徐々に脚本の形になっていきました。「はい、英雄ちゃん」「ここ良いじゃないですか、素晴らしいですね。普通の仕事の方が、映画を撮りたいと一生懸命脚本を書く、そのバイタリティは尊敬します。すごい! 自分でお金を集めて、ぜひ撮って下さいよ」と言ったら、「これ、英ちゃんに撮って欲しいんだけど」と頼まれたので、「そうすか」と答え、もう1回本を読んだ後で、3人を寺島さんたちのようなおっちゃんに変更できるのなら撮りますと話しました。「良いアイデアやな。それでええわ」ということになり、「お金のことなどしっかり準備が出来るなら、撮りますわ」ということに。だから、全く後藤先生とのお付き合いの中で出来た映画で、偶然に近いですよね。普通は、自分のオリジナルでデビューしたいとか思い描くじゃないですか? でも、偶然知らない方の想いを脚本にしたものを自分が引き受けて撮ったことは、すごく不思議だと思います。後藤さんは、映画の神様からの使いでしょうか? 本当に感謝しています。

その後藤先生とは、どのようにして知り合ったのですか?

 北村龍平監督のお知り合いの中の1人でした。よく映画の試写会やイベントにいらっしゃっていたので紹介され、ちょこちょこ一緒に食事をしたりしていただけです。最近では、北村龍平監督がハリウッドに行く前に撮った『LOVEDEATH -ラブデス-』という映画で僕がチーフ助監督やキャスティングをやっている姿を後藤さんも見ていたらしく、「撮りたいものないの?」と聞かれたので、「撮りたい気持ちはやまやまなのでこういった動きをしているのですが、もう少し勢いを得てやりたいものを撮りたいんですよね」と答えたのを覚えていていただいたのが、このようになったのだと思います。本当に出会いと出会いの繋がりでしか生きていないので、それ以外何もないですね。それで何とか繋がって、恐らくこの取材の現場まで来ていると思います(笑)。

最初の脚本段階では、この3人組はどんな設定だったのですか?

 おじさんという設定ではなく、(桐谷健太さんが演じた主人公と)同年配に近い設定でした。

それをおじさん3人組にしようと思った理由は?

 直感的に、若い世代の設定ではいじめられっ子とそれを助ける3人組のお兄さんの関係がうまくいかないと思ったからです。切り口としてはもう少し波状がないと面白くないと思っていたので、この3人組の学生の幽霊を定時制に通っている40、50のおっちゃんという設定にすれば面白いと思いました。寺島 進さんも、木下ほうかさんも、菅田 俊さんも、俳優としては先輩ですが、こういう先輩方を配置して撮れれば面白いかなというのは本当に直感ですね。あまり具体的には考えていません。

映画を見ていて、このいじめられっ子はどこかで見たことがあるなと思っていたら、『パッチギ』の国士舘大学の応援団団長役の桐谷健太さんで……。

 そうなんですよ。『パッチギ』の続編の撮影が終わってから、1ヵ月間で15キロ体重を落としていますから。素晴らしい俳優だと思います。彼は三池崇史さんの『クローズ ZERO』にも出ていますが、色々な意味で活躍してくれると思います。

話の流れ的には同じような映画もあるかもしれませんが、このおじさん3人組が一番のポイントでしたね?

 と、思いますね。話の筋的には、どうしても論法が何種類かしかありませんから、どこかで見たことがある話、どこかで見たことのある設定はどうしても多くなります。それをどうやるかというところは、監督としての発想が勝負だと思いました。役者もやっている分どうしても、こういう人をこういう風な配役にすればという妄想はすごく多いのですよ。寺さん(寺島 進)とは、たまたま最近の現場でよくご一緒していたので、“寺さんが学生服を着て、この三人衆の1人になれたら面白いのではないか?”と思ったのですね。後は正直突飛な話でもないし、“シックスセンス”が出てくるだけでこれは幽霊だなと判るぐらいなので、「馬鹿馬鹿しくて良いB級の娯楽作品だったら撮りますよ」と後藤さんに話しました。それほど狙いもつけずに、ど真ん中のど正面で、最後はこうなるだろうということをちゃんとしっかりやりつつ、自分の世界観を出すという戦いをしました。

この3人は、以前からの仕事を通じてのお知り合いですか?

 はい、3人の先輩は、いろいろな現場でお会いしています。『ALIVE アライブ』という映画に出演した時には菅田 俊さんがいらっしゃっいましたし、木下ほうかさんとは『ぼったくり~風営法全史か~』という作品でご一緒させていただきました。寺島 進さんは、十数年前に『エレファントソング』という作品の現場にエキストラみたいな形で入れさせていただいた時に面識が出来ましたが、本当に親しくしていただいたのはこの2~3年ぐらいです。木下ほうかさんは、CHEというシネカノンがやっているバーに飲みに行ったときに、たまたまカウンターで金を払った相手でした(笑)。何か面白い人だなと思ったので、お酒が入っていた勢いで聞いてみると俳優さんだということで、それ以降すごく可愛がっていただきました。だから、本当にこの3人とは出会いです。面識がありますし、俳優として一緒に芝居をしたこともあるので、逆に遠慮せずに言える、なおかつ喧嘩も出来る。油断はしたくなかったので、この3人にぜひとお願いしました。遠藤憲一さんも深浦加奈子さんも同じですね。桐谷健太は初めてです。共演はないですね。

この3人は、いつもはどんな方ですか?

 芝居馬鹿、役者馬鹿という言葉がありますが、本当に芝居が大好きです。ただし、3人ともそれほど現場では話す人ではないので、ずっと静かにしていますね。

桐谷健太さんはどんな方ですか?

 健太は、普通の27~28歳の可愛い大阪のお兄さんですね。彼のほうが3人より元気でアドリブを出したりアイデアを出したり、3人に「こういう風にやりたいんですが?」と提案したり、一番活発にやっていました。何度でも同じことが出来るというと失礼ですが、ねばり強い俳優さんです。集中力はダントツですし、別れのシーンは6テイク角度を変えて撮らせてもらいましたが、ほぼ同じことをずっとやってくれています。逆に先輩の3人のほうが「これはあかんな」と襟を正したりしたので、皆いい顔になったと思います。やはり、芝居は共演者同士の化学反応だなと思いましたね。どちらかが手を抜くと良いものにならないですね。そういう意味では良かったです。常に立ち位置に立ってもらっていますし、皆初歩的なことから始めました。

撮影は実質何日間ぐらいでしたか?

 8日から9日です。半日ぐらいは雨で潰れたので、たぶん8日半だと思います。8日半でよく撮れたなと思いますね。

どこかで泊まりがけで?

 いやいや、撮影は東京都内と近郊で、毎日元渋谷パンテオンの裏から出発しました。例えば廃墟がありますが、あれは第三京浜の都筑で降りたところにある工場を借りました。川は鶴見川ですし、学校は三崎口にある高校です。敦の自宅は大泉の東映の近くにあるロケセットですし、陸上競技場は厚木でお借りしました。もうバラバラです。

初の長編監督で、想定外のことはありましたか?

 想定外で失望したことは今のところありません。撮れば撮るほど、自分の出来るところと出来ないところが見えるので、そういう点は良かったですね。今までも、映画を撮ることによって失望を感じたことはないです。今のところ、まだまだ希望に満ちあふれているというか、長編1作目なのでそんなものなのかなという気がします。たぶん、これからいろいろな戦いがあるとは思いますが。逆に、自主映画を渋谷や下北沢で暴れながら撮っていた頃に比べると幸福ですよ。お弁当があって、バスで送ってもらえて、ギャラももらえるじゃないですか。当時の仲間はほとんど辞めていきましたが、ソニーのビデオカメラDCR-VX1000を買うだけでも何十回ものローンを組んで、ソニーのDVテープ1本で1000円や800円するじゃないですか? だから、飯を食おうと思っても金がない。その中でどうにかして撮っていく作業と比べると、今は幸福ですよ。自主映画時代にそういうことをやっているので、今回は時間がないとか予算がないといった苦労があまり無かったですね。「じゃあこうしますよ、ああしますよ」といった、妥協ではなく調和が出来たというか。そういう風に常に切り替えていますが、いつも予算上これぐらいしかできないと正直に言ってもらえるので、その中で出来るが限り最良なものをやらせて下さいとお願いします。助監督をやっていたおかげでそういった計算が出来るので、作品を作るためにレベルを下げるのではなく、良い意味での発想が出来ました。映画は当然1人では出来ません。人と人が出会って生まれる総合芸術だなってあらためて感じたので、僕にとってすごく良い成長の場でした。僕のほうが“GROW”出来たと思います。

映画を見る側に立つと、どういった作品や監督が好きですか?

 まず、小津安二郎監督が大好きですね。あと、スタンリー・キューブリックの『突撃』が大好きです。最近亡くなりましたが、ベルイマン監督の『サラバンド』も、アントニオーニの『欲望』も好きですね。もちろん、ジョン・カサヴェテスも大好きです。『アメリカの影』『チャイニーズ・ブッキーを殺した男』『フェイシズ』が大好きです。監督よりも、1本1本の作品が好きになるような気がしますが、今村昌平監督も大好きです。最近では、『アヒルと鴨のコインロッカー』が面白かったですね。僕は渋谷FMというラジオで番組を5年ぐらい続けています。役者という仕事をやっていると現場でしか人間関係に出会わないので、そこで始まってそこで終わるのはつまらないと思っていました。渋谷FMは僕の九州時代の先輩がやっている会社ですが、その先輩に「ラジオの番組、やらせて下さい」と頼み、「何で?」と聞かれたので、「出会いや知り合う場が欲しい」と答えました。役者同士で愚痴を言っていても全く創作的な意味がない、映画や音楽を作る人を呼びたいということで、5年前に始めたわけです。最近では、『ドルフィンブルー』の前田さんや、行定 勲さんといったいろいろな監督に来ていただきました。毎週1回放送なので、放送のために月に最低4本の映画を見るから、年間50本です。元々は、東京に来てから映画を見始めた男なんですよ。それまではデート・ムービーしか知らずに、『ゴースト』で泣いたとか、子供の頃に見た『ジョーズ』『E.T.』ぐらいしか知らなかったのですが、『この窓は君のもの』の現場の助監督さんたちは映画学校出身だったので、「トリュフォーを知らないと恥ずかしい」とかいうのが普通でした。“そういう無知はいけないの?”から始まりましたが、いろいろな作品を見ることによって、映画好きになってしまいました。子供の頃から映画を見た経験はありませんね。父親の好みで、テレビの映画を説明を受けながら見たことはよくあります。最近だと、今、アップリンクでかかっていた『ジェームズ聖地に行く』、アレが素晴らしいです。ぜひ。本当に地味で有名な役者さんは出ていませんし、監督は新人ですが、すごく世界観があって、ちゃんとエンタテインメントしています。あと、『ミリキタニの猫』、あれも素晴らしかったです。単純に街角で画を書いているおじいちゃんに声をかけ、「俺を撮ってくれたら画を上げる」という人間関係から9.11があって、自分の家に引っ越させて、一生懸命社会保障番号を捜してあげて、市民権をチェックしたり、最終的には自分の姉と偶然何十年ぶりかに会ったり、ああいうのってすごくうれしいですよね、映画での出逢いは。

次回作の予定は?

 次回作は10月クランクインの予定で、原作は『ぼくのおばあちゃん』という、326(ミツル)君というイラストレーター兼アーティストの絵本小説です。僕もおばあちゃんっ子でしたが、その326君と面識があって、「あれ大好きなんだけど、原作の映画権は誰か獲っている?」と聞いたら、「誰も獲っていません」というので、「俺にくれ」から始まって、今回と同じチェイスフィルムに亀石という僕の同級生の仲間がいて、『終着駅の次の駅』を共同脚本で書いた男ですが、彼と一緒にやろうというのがこれです。これが順調にいくと今年の10月にクランクインする予定なので、今準備をしています。それから、来年の春から夏頃に、以前撮った同棲カップルの自主映画を長編バージョンで撮ろうと動いています。この作品で20代の自分を整理したいという気持ちがあるので、以前は僕が原作・脚本を書きましたが、あえて女性の脚本家兼小説家の方に依頼をし、今ちょうど第三稿まで出来たところです。その他にも2本原作権を押さえている作品があって、それもやりたいと思っています。たまたま原作を押さえて撮る映画が二つ、三つと続きましたが、元々オリジナルでやりたい気持ちもあります。来年の春撮る予定の同棲カップルものは半分オリジナルに近いですが、今はあまり考えすぎないで、自分が撮りたいものを撮っていきたいなという時期ですね。量が質を生むというのではないですが、今は出来る限り撮り狂いたい時期です。いずれにしても、たぶんその後には壁にぶち当たるはずなので、今は出来る限りいっぱい、ビッグ・バジェットでなくてもやりたいなという気持ちがありますね。

 エネルギッシュな語り口からは、役者同様、監督としても新たなチャレンジを続けようとする榊 英雄の想いが伝わってくる。一見らしくないいじめられっ子と中年高校生トリオが主人公の『GROW -愚郎-』、ある程度お約束の展開が見えているとはいえ、気が付いたらハマっているような楽しめる作品だ。単館レイトショーだが、忘れずに映画館でチェックして欲しい。

(取材・文・写真:Kei Hirai)

公開表記

 配給:チェイスフィルム エンタテインメント
 2007年9月8日よりQ-AXシネマにてレイトショー

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