インタビュー

『胡同の理髪師』ハスチョロー監督 インタビュー

©2007「リアル鬼ごっこ」製作委員会

映画監督は最も辛くて苦労の多い職業なので、私は辛い宿命を背負わされた哀れな人間だと思います(笑)

 オリンピックを控えた建設ラッシュの中、急速に姿を消しつつある北京の旧市街・胡同(フートン)の一角で、数十年間変わらずに理髪業を営む老人の姿を描いた『胡同の理髪師』が公開される。モデルとなった老人チン・クイに自分自身である理髪師を演じさせ、深い味わいのある作品を作り上げたのがモンゴル出身のハスチョロー監督。急速な経済開発の影で失われつつある古き良き庶民の生活を、素人の起用により描いた背景や撮影の苦労話を聞いた。

ハスチョロー監督

 1966年生まれのモンゴル族。1989年に内蒙古大学を卒業、内蒙古撮影所に勤務。多数のテレビ・シリーズを手がけ、国内の各賞を受賞する。2000年に『草原の女』で長編映画に進出。以降、多くの作品を手がけ、映画監督としても高く評価される。

この作品を撮ろうと思ったきっかけは?

 最初に知ったのは全くの偶然なのですが、北京の胡同に80歳をはるかに上回る年齢の理髪師がいることをテレビで見ました。その理髪師は毎日、三輪自転車に乗って、自分のなじみ客を訪ねては髪を切り、孤独なお客さんには話の相手になっている。そういうご老人がいることを、たまたま知ったわけです。特に印象に残ったのは、その理髪師がとても素敵なおじいちゃんだということで、白髪と上品な雰囲気が強い印象を残しました。それが2002年のことですが、以降ずっとこの件には関わっていませんでした。ところが、突然2005年になって映画にしたいと考え、生きていれば恐らく90歳を超えているであろうこの理髪師の消息を求め、胡同中を探し回ることになったのです。この老人を捜し当てることが出来たら絶対に映画に撮りたいと思いましたが、もし探し出すことが出来なかったら、映画に撮ることは諦めようと思いました。ですから、あの時、チン・クイさんを探し出すことができなかったら、この映画は存在しなかったわけです。

この作品を、ドキュメンタリーではなく、ドキュメンタリータッチのフィクションにしようと思った理由は? そのほうがより深く内面を描き出せると思ったのですか?

 おっしゃるとおりです。映画監督としては、映画を撮る度にそのテーマにとって一番ふさわしいスタイルを取り入れるので、この作品ではドキュメンタリー・タッチの劇映画にしました。また、カメラはずっとフィックスされ、まるで1枚1枚の写真のように撮っていくようなスタイルを取り入れました。そして、結果的にこの作品が皆さんから受け入れられている事実は、私の選んだ方法が正しかったことを証明していると思います。

撮影時に苦労したことは?

 最初に探していた理髪師のチン・クイさんにお会いし、チンさん自身に主役の理髪師役を演じていただこうということになった時、多くの人から「それは危ないのではないか? 難しいのではないか?」と反対されました。もっとも、私も、同じような危惧は少なからず感じていたのですが。90歳を過ぎると1日1日が大変貴重で、明日生きているのかどうかも判りません。ですから、撮影期間中は手に汗を握る日々でした。撮影スタッフ全員が、同じ気持ちだったと思います。毎日ドキドキしながら、チンさんの健康状態を観察していました。
 撮影期間中、出演者とスタッフ全員が同じホテルに宿泊していましたが、たまたまチンさんの部屋は私の部屋の向かいでした。規則正しい生活を送っているチンさんは、いつも6時に起床していたので、毎朝、私はチンさんの部屋に動きがあるのか耳を澄ましていました。撮影期間中は、それぐらいチンさんの健康について神経をとがらしていました。
 撮影ではいろいろなことがありましたが、スタッフはチンさんに対して家庭的な雰囲気で接しました。でも、食事はチンさんだけが別格の待遇で、スタッフと一緒に食べることはありませんでした。なぜなら、チンさんには、日頃から食べているものをいつもと同じ時間に食べて、健康を維持してもらうことがとても大切だったからです。チンさんのご家族に食事を作ってもらい、手配した車でホテルまで運び、いつもと同じ時間にいつもと同じ食事が出来るようにしました。
 普通、映画の製作は監督中心に動くので、撮影時間が10時間、12時間と長くなってもスタッフは黙ってついてきます。でも、今回の撮影はチンさんを中心に回っていたので、チンさんが「今日は疲れた」と言えば撮影を中止せざるを得ませんでした。ですから、この作品の撮影は、スタッフにとって割と楽だったと思います。1日にワンシーンぐらいしか撮らなかった、撮れなかったので休みが多かったからです。でも、監督の私はそれどころではなく、とてもドキドキしていました。撮影が長期化すれば経費が増加してしまうので、毎日冷や冷やしていました。

逆に、撮影中楽しかったことは?

 では、二つほどエピソードをご紹介します。
 チンさんは、とても頑固な人でした。皆で麻雀をしている場面がありますが、別の人がしゃべり終えたら、すぐに続けてチンさんがしゃべらないといけないシーンがあります。でも、チンさんはお年なので耳があまり良くなく、どうしても次の台詞までかなりの間が空いてしまい、上手くつなげられませんでした。何テイク撮っても駄目だったので、ワイヤレスのイヤホンを買ってきて、チンさんにつけてもらいました。そうすれば、「次はチンさんの台詞ですよ」という私からの指示がちゃんと伝わるからです。ところが、それでも撮影はうまくいきません。チンさんは麻雀を続けていて、チンさんの番がきても台詞を言おうとしません。同時録音で撮影しているので、どうしても台詞も一緒に録らないといけないのに台詞を言ってくれない。イヤホンをつけてもらったのにどうしたのだろう? と思っていたら、チンさんの娘さんがやってきて、「イヤホンをはずしてあげたら、ちゃんと台詞を言うと思います」と、こっそり私に言いました。チンさんは、自分が高齢で聞こえないから出来ないと認めたくなかったのです。強がりなチンさんは、どうしてもそれを認めたくなかった。さっそくイヤホンをはずしてあげたら、次のテイクでは上手く撮れました。
 もうひとつは、ラストに近いシーンです。チンさんの家に入ってきた息子が、動いていない父親の姿を見て死んでいると思いますが、「誰だい?」とチンさんが言い、生きていることが判るという場面です。あのシーンはとても長いのにテストの時は1回でOKでしたが、本番になると11テイクでも駄目で、その間だけでフィルムが1巻ぐらい無駄になりました。本当に困り果て、どうしたのだろうと思い、それでも12回目を撮ったら、何とかOKになりました。後でチンさんの娘さんが、「監督、どうして先ほどのシーンはなかなか出来なかったのだと思いますか? お父さんは本当に頑固ですが、あの時はお腹が痛くトイレにとても行きたかったみたいです。それが原因で上手くできなかったようですが、そのことを絶対に言わないのです。絶対にそういう弱みを見せませんからね」と言っていました。でも、腹痛に耐える雰囲気が起き上がってよろよろしている雰囲気とピッタリだったので、これは不幸中の幸いでした。このように、“自分は絶対に年を取っていない”と頑固に思いこんでいるからこそ、80年間も理髪師を続けることができたのだと思います。映画の中では、毎日5分遅れる時計を必ず毎日自分で直していますが、“自分は年寄りではなくまだまだ若いのだ”というチンさんの心意気が、長生きをして本当に愛らしいお年寄りになった理由だと思います。

チンさんを始め、出演者の多くが一般の方だったそうですが、一般の方に演技をつける際、難しかったことはありますか?

 確かに皆プロの役者さんではないので、演技の演出では大変な苦労がありました。台詞回しや動きのリズム、そういったことが自分から出来ない人たちばかりだったので、一から十まで事細かに教えながら撮影を進めていきました。ですから、1カットを撮るのにさえものすごい数のテイクを重ねています。何度も撮り直したので、とても時間がかかりました。そういうことも撮影時の苦労のひとつでしたが、とにかく皆さんお年寄りなので、具合が悪いとか、耳が良く聞こえないとか、体の動きが鈍いとか、そういったことが本当に多々あり、そちらでも苦労の連続でしたが、これらの問題をひとつひとつ解決しながら撮影を進めていきました。
 ここでエピソードをお話しますが、アマチュアの方を演出するのがいかに大変か、というのは例えばこういうことです。
 チンさんのアップがあるシーンで、ニュウニュウという猫がカセットテープを壊してしまう場面があります。振り返ったチンさんが、アップで「ニュウニュウ」と言うのですが、そこを撮るのに二十数テイクかかりました。3~4秒程度の本当に短いカットです。プロだったら1回でOKになるような簡単なシーンですが、ここでも大変な苦労をしました。十数回めのテイクでも、目線も全く上手く出来ないので、なぜ駄目なのか? と考えました。猫は言うことを聞いてくれないので、最初は何もない場所に向かってチンさんに「ニュウニュウ」と言ってもらっていました。これが原因かと思い、猫を抱いた小道具係をその場にしゃがませました。でも、また出来ないので、どうしてかな? と考えました。その小道具係は出っ歯で面白い顔でしたが、黒い革ジャンを着ていたので、暗い部屋の中だから歯しか見えない、まるで歯だけが浮き上がっているような感じになります。それで、目が悪いチンさんは道具の係の歯が猫だと思っていたのです。毎回歯のほうを向いて変な顔をしているので、上手く撮れなかった。ようやくこのことに気づき、その小道具係をどかせて別の人に猫を抱いてもらい、もう1回、チンさんに「ミュウミュウと言って下さい」と頼むと、十数回目でやっとOKのテイクが撮れたわけです。

この映画で描かれている中国社会の問題、経済の自由化や競争激化により弱者が切り捨てられている問題は日本でもここ数年表面化していますが、これらについてはどのように感じていますか?

 中国は、今や1ヵ月単位で大きな変化を遂げています。これまで、西北地区に多い農民や牧畜民は特に貧しい生活をしていると言われていました。ところが、去年、別の映画を西部地域で撮影したのですが、最も貧しいと言われていた人たちですら小学校の学費は無料になっていましたし、医者にかかる時も健康保険で無料検診が受けられるようになっていました。中国のように14億人もの膨大な人口を抱える国が、経済的に豊かになることは容易ではありません。しかし、こういった貧しい地域でさえさまざまな改善がなされていることは、とても素晴らしいことだと思います。かつては幹線道路しか整備されていませんでしたが、今では山奥の村々まで舗装された道路が通じています。そして、この経済の発展と同時に、文化の面でも、人間の素養の面でも飛躍的な発展があったと思います。人間の文化レベルは、経済水準と密接な関係にあります。食べるものも着るものも充分ではない人たちに、文化の水準だけを問うことは出来ません。人間、腹が減っていては、文化だの何だのと言っているわけにはいかないのです。中国におけるこの数年来の大きな変化、特に北京オリンピックを目前としたさまざまな変化はとても良い方向で進んでいますし、とてもうれしいことだと感じています。アジアでは、中国は日本と並び大きな経済力を持つ国なので、国力を着実につけ、日中間での経済的・人的交流がどんどん進んでいるのは、とても喜ぶべきことだと思います。

この映画で描かれているチンさんの生き方もひとつの理想だと思いますが、監督にとっての理想の生き方とは?

 私にとっての理想的な生き方は、自分が成し遂げたいことが出来ることです。それが、生きていることの意味になるからです。でも、それを実現するは本当に難しく、必ずしも皆が自分のやりたいことが出来るわけではありません。大部分の人が受動的にしか生きていないはずです。他人から強制されたことをやむを得ずやっている人が大部分ではないでしょうか? しかし、自分のやりたいことを一生続けることができれば、しかも何らかの成果がその中で上がってくるのなら、そういう生き方こそ一番理想的で幸福ではないでしょうか?

監督にとって、映画監督は天職ですか?

 たぶん、神様は私に最も辛くて苦労の多い仕事を与えて下さったのだと思います。映画監督は一番大変な職業だと思います。監督が撮影現場で楽しんでいたら、良い映画が撮れるわけありません。ですから、私は辛い宿命を背負わされた哀れな人間だと思います。可哀相でしょ? 本当に(笑)。

 モンゴル出身ながら、民族も文化も異なる北京の片隅に暮らす老人の姿を、見事に描いたハスチョロー監督。日本人が見ても全く違和感なく入っていくことができるその世界は、まさに万国共通だ。声高にメッセージを訴えずににこやかに語る姿からは、逆に荒っぽい改革が進む現在の中国に対する鋭い視線を感じた。

 (取材・文・写真:Kei Hirai)

公開表記

 配給:アニープラネット
 2008年2月9日(土)岩波ホールにてロードショー

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