インタビュー

『メイド・イン・ジャマイカ』ジェローム・ラペルザ監督 単独インタビュー

©All Rights Reserved. Herold & Family 2007/Lawrence Pictures 2007

映画を通して、ジャマイカで何が起きているかということを理解していただければうれしいね

 ルーツから現在に至るまでジャマイカのレゲエ・シーンを追いつつ、ジャマイカという国とそこに生きる人々の姿を生々しくとらえた音楽映画『メイド・イン・ジャマイカ』。強烈なメッセージと熱いエネルギーが迸るレゲエ・ミュージックに負けないくらい、ジェローム・ラペルザ監督が熱く語ってくれた。

ジェローム・ラペルザ監督

 フランスのヨンヌにて1948年に生まれる。10代の頃から映画製作を始め、69年にはモーター・レースを題材に取り上げたドキュメンタリー『Continental Circus』(音楽を手掛けたのはフランスのプログレッシヴ・ロック・バンド、ゴング)を制作してフランス国内外で絶賛を浴びる。また、70年にはピンク・フロイドやフランク・ザッパが出演した音楽イベントを追った『Amoungies(Music Power – European Music Revolution』を監督。以降も、トリエステ音楽祭でグランプリを受賞した『Hu-Man』(75年)など劇映画からドキュメンタリー、TVCMまで、幅広い作品を手掛けてきた。また、80年にはサードワールドの魅力に迫ったドキュメンタリー『Third World – Prisoner In The Street』を監督し、カンヌ国際映画祭でも上映される。この映画での出会いをきっかけにして、25年以上にも及ぶジェローム・ラペルザとサードワールドとの信頼関係が始まった。『メイド・イン・ジャマイカ』は、長年ジャマイカを追ってきたジェローム・ラペルザだからこそ撮ることのできた音楽ドキュメンタリーと言えるだろう。

ジャマイカの空気を生々しく感じさせてくれましたし、レゲエのエッセンスに触れることができた作品でしたが、この国、そしてこの音楽に魅了された理由をお聞かせください。

 音楽好きじゃないとしても、この映画から必ず何か感じるものはあると思う。音楽的にはメロディやバイブなど、いろいろな部分に強烈な魅力がある。ただし、そこには社会的な発言が反映されている。社会で何が起きているかということを、彼らなりに表現しているんだ。
 レゲエが特別な音楽であるのは、ジャマイカの人々が奴隷の子孫だという背景がある。3000万人もの人々がアフリカから奴隷として運ばれたという歴史があるわけだが、それが70年代半ばになって新たな展開を見せ、ジャマイカ人が自分たちのアイデンティティーを模索し始めたんだ。それまで喪失させられていたアイデンティティーを再構築しようとし、その手段が音楽だったわけだ。音楽によって、自分たちの物語を伝えるという表現方法を見つけた。ジャマイカのため、そして自分たち自身が前に進むためにも必要なものだった。それは、ゲットーの日常から発する声、社会的な発言だ。音楽でゲットーの問題を語っている。他の世界の人々が聞いても共感できるものがあり、レゲエが持っている普遍性につながっているとも言えるだろう。ボブ・マーリーが80万枚というアルバムを売り上げたというのは、何かしらの意味がある。レゲエは反逆の音楽であり、音楽世界で彼はチェ・ゲバラのようなイメージで捉えられている。ティーンエイジャーの頃にボブ・マーリーのポスターを貼っていたという人は少なくないのではないかな。それは正義を象徴するものでもあり、時代背景的には60年代で、マーティン・ルーサー・キング牧師が登場したり、ブラック・パンサーのムーブメントがあり、オリンピックのブラック・パワーといったものが呼応している。目覚めの時であり、意識が生まれた時であったと思う。それが世界的な現象として広まっていったわけだ。60歳代になったボブ・マーリーの世代、30~40代の人たち、そしてティーンエイジャーという三世代にわたって聴かれているというのはとても素晴らしいことであり、珍しいことでもある。だからこそ、私はこの映画を撮る価値があると思ったんだ。
 私は80年に『Third World – Prisoner In The Street』という映画をカンヌ国際映画祭に出品し、その後は世界規模で公開されて評判を得たわけだが、その時から26年後、一つのリポートとして映画を撮ってみたい、その価値があるのではないかと思ったんだ。この素晴らしい音楽が伝える世界観を表現したかった。それを語る彼らが永遠に生き続けられるわけではないので、その伝説を引き継ぐという意味でも描く価値があると思った。ボブ・マーリーやピーター・トッシュらが生き証人として歌い語った言葉を、バニー・ウェイラーを通じて残したかった。また、レゲエという名称を生み出したトゥーツ・ヒバートも伝説的なミュージシャンだし、サードワールド、グレゴリー・アイザックスも重要な存在だ。
この映画はいわば、“ミッション・インポッシブル”的な感覚で捉えていただいていいと思う。素晴らしいキャストが勢揃いし、ルーツ・レゲエ世代からダンスホール世代へとレゲエの精神が引き継がれていく様を描いている。また、若い世代はダンスホール・ミュージックという新たなジャンルを生み出し、世界中に広がっていく。そのジャマイカン・ヒップホップのアーティストたちは今、アメリカの有名ミュージシャンとコラボレートしている。大変なセールスを記録しているパフ・ダディやジェイ・Z、ジャネット・ジャクソンなどのヒップホップのミュージシャンたちにとっても、レゲエが大きなベースとなっているということが分かるだろう。レゲエとソウルが良い形で融合していく様をこの映画で表現したかった。
 私はジャマイカのミュージシャンたちと接して一緒に仕事をし、楽しみながら親密な時間を築くことができた。互いに対するリスペクトもこの映画から感じていただけるのではないかな。日本であろうとアメリカであろうと、観客の方々はレゲエ好きでなかったとしても、この音楽の多様な側面を発見していただけると思う。第三世界の国であり、地図上においては点でしかない小さな実験場のような所でも、世界中に伝播していくようなクリエイティビティを生み出す力があると分かっていただけるだろう。また、この映画を通じて、人権や自由という問題を考えてほしいと願っている。

監督はこの映画を、最初から明確な意図を持って構成され、それにしたがって撮られたのでしょうか? あるいは、カメラを回しながらインスピレーションを得ていかれたのですか?

 まず、音楽を全曲、娘と一緒に選んでいった。歌詞をベースにね。脚本を作るような形で、テーマに呼応する音楽を選んだんだ。基本的にはバニー・ウェイラーが語っているように、音楽が銃に置き換えられるといった状況を描いている。ドキュメンタリーの形をとりながら劇場映画のように撮るということで、音楽を全曲撮影前から決めたんだ。ロケ場所なども全てあらかじめ決めていた。エキストラも使ったし、振り付け、衣装、メイクなど全てセッティングしていた。ただ、ライブだけはリアルな撮り方をした。そこから湧き出る真のエモーション、臨場感を大切にしたかったからね。
 例えば、2人のDJがいて、ボクシング・マッチのように掛け合いをする、ダンサーもいる……というのは最初に撮影したシーンだった。ボーグルはとてもセクシーでパワフルな存在だ。彼がエロスとタナトスの両方を体現しているシーンと言っていいだろう。そこから急にカットしてドラマが始まってゆく。彼が撃たれて殺されてしまうからだ。彼の葬式シーンはテレビのアーカイブを使用している。教会の中で彼の棺の前で人々がダンスをしていた。その場にはもちろん、司祭もいるがね。政治的なリーダーよりも音楽界のリーダーがリスペクトされている状況が反映されているだろう。それから、エレファント・マンがギャングについて語り、ボーゲルとダンスをしているバウンティ・キラーが誰々を殺すと歌い、それがグレゴリー・アイザックスの曲「Kingston 14」につながっていく。そこにある重要な言葉「Saturday night carnival, Sunday night funeral(註:土曜の夜はお祭りで、日曜の夜は葬式だ)」には、彼らの全てが象徴されている気がするね。これが最初の10分間だ。ここが第1章で、次の章につながっていき、ジャマイカでは何が起きているかということが次第に見えてくると思う。レゲエの大スターたちが語っているシーンに、新しい世代がリンクしていく。彼らはみな、ゲットーのフレンチ・タウンなどから出てきたミュージシャンたちだ。
そんなわけで、サーフィンをするように自由に撮っていったというよりも、あらかじめ構成を決めてそれにしたがって作りこんでいったと言ったほうが正しいね。


 ただ同時に、私はジャマイカのことをよく知っているので、何でも起こり得るということも分かっている。もちろん、ボーグルがガソリン・スタンドで射殺されることは分からなかったが、撮影中にも映画に参加していたジャマイカ人クルーで殺された人は4~5人いるし、そういった現状を私は把握している。だから、監督のビジョンとしてのスタイル、フレーミング、照明やカメラの置き方なども自分なりに追求しているが、常に5テイクほど撮っていく中で、少なくとも音楽の部分はリアルな撮影を心がけた。ニュース映像なども使いながらドラマを盛り上げてゆき、ドラマ性を妨げないようにしながらリアリティも提示してゆくという姿勢だった。グレゴリー・アイザックスのシーンが撮れたのも偶然の産物じゃない。そのようにセッティングしたからこそ、彼らも協力してくれたんだ。何テイクも撮るというのは彼らに課していたことだが、それにきちんと答えてくれた。そういう意味では構成された状況だったが、同時にそこにはリアリティもあるということを理解していただきたい。生レコーディングだけでも大勢の人間が携わっていたわけで、例えば、50人を一遍にサーフボードに乗せてサーフィンするような感覚とでも言ったらいいだろうか。ドキュメンタリー映画というよりも劇場映画のように撮っていったんだ。彼らを役者のように扱ったし、撮影前から練習してもらい、どういうキャラクターになるのかというのは私もあらかじめ分かっていたので、どういうリアクションを引き出せるかというところで調整しながら描いていった。アーティストが自分たちの物語をどういう風に語っていくかということが分かっていたから、このように撮れたんだ。
 映画が出来上がった後も、多くのアーティストが私に協力してくれた。ヴィム・ヴェンダースがサポートしてくれたし、ポリスのアンディ・サマーズなども「音楽を描いた映画として、素晴らしい作品だ」と評価してくれた。本当に多くの方々にサポートしてもらったよ。映画を通して、ジャマイカで何が起きているかということを理解していただければうれしいね。

 30分間ほど時間をいただいたのに、1問につき10分の答え……。熱い、レゲエに負けないくらい熱い監督だった。それほどに熱い情熱を注いで撮りあげたこの映画、熱いジャマイカの音楽のみならず、ジャメイカンの熱いうちなる叫びが観る者の身も貫くかのようだ。盛夏にピッタリの映画だ。

 (取材・文・写真:Maori Matsuura)

公開表記

 配給:ヘキサゴン・ピクチャーズ
 2008年7月5日より渋谷シネ・アミューズほか全国順次ロードショー!

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