インタビュー

『息もできない』ヤン・イクチュン インタビュー

どんな環境でも諦めずに希望を求めて生きるのも、また人間なのでしょう

 2009年の東京フィルメックスで大きな話題を呼び、初めて最優秀作品賞と観客賞をダブル受賞した『息もできない』が公開される。俳優として活動しながら、数々の障壁を乗り越え初めての長編監督作品である本作を完成させたヤン・イクチュン監督に話を伺った。

ヤン・イクチュン

 1975年生まれ。商業高校卒業後、数々の職業に就く。21歳から兵役につき、除隊後は演劇を学び映画の道に。『品行ゼロ』(2002)、『私たちの幸せな時間』(2006)などに出演する。2005年に短編映画『Always Behind You』で初監督、監督としては初めての長編となる『息もできない』では、制作・脚本・編集・主演も担当。さまざまな困難を乗り越えて完成させ、内外の多くの映画祭で高い評価を得た。

監督として初の長編映画である本作を完成させるまでの道のりは、かなり大変だったと聞いています。俳優としても活動されているにもかかわらず、監督をやってみたいと思った最大の理由は何ですか?

 監督になりたくてなったのではないのでお答えすることはちょっと難しいのですが、最初、私は俳優でした。俳優をやれば、演技を通じて自分の心の中にある鬱屈したものや怒りを上手く吐き出せるかなと思ったのですが、役者としては駆け出しなので作品を選ぶわけにもいかないので、なかなかそうできませんでした。
 ちょうどその頃、私を演出している監督というのはどういう存在だろうという好奇心がわきました。ホウ・シャオシェン監督が韓国に来た時に語った記事を雑誌で読んだのですが、「皆、流れていく川のように、自分の感情をそのまま流してはいけない。日々思ったこと、心の中にあることを岩に刻み込め」という言葉が、俳優では満足できないけれど監督をやってみようと踏み出すひとつのきっかけになりました。2005年に短編を、43分あるので実質的には中編の演出を行い、監督としての第一歩を踏み出しました。
 このように、俳優では自分の感情を上手く吐き出せないという悩みが演出を行うきっかけになりましたが、今振り返ると、この悩みは最初から私の中にあったような気がします。

今回自ら演じられたチンピラ、サンフンのキャラクターの中に、ご自身の姿はある程度反映されているのですか? 反映されているとしたら、どのような部分ですか?

 この映画の主人公のサンフンが持っている感情は、私が持っている感情そのものです。私自身にはいろいろな側面がありますが、そのなかのひとつを100%サンフンに投影したような気がしています。もちろん、私はサンフンのように日常から暴力をふるっている人間ではないですし、どちらかというと殴るのも殴られるのも嫌な小心な人間ですが、それでも自分の中に何か鬱屈したものがあります。これまでの人生でひどい目にあった、誰かに裏切られた、そういう経験が心の中に澱(おり)のように溜まっているわけですが、それらはそのまま外に出すことは出来ませんよね? そのまま暴力として表に出せば、刑務所行きになってしまいますから。でも、それを外に出してしまった人間がサンフンだと思います。
 私の場合はたまたま映画を作るという立場にいたので、自分の心の中に溜まってきたもの、鬱屈したものをサンフンに表現して貰ったわけです。例えば父との関係で父に対して不満に思っている、父に嫌な気持ちを抱いていても、子供は直接言ったり表現したりしませんが、心の中では渦巻いていると思います。それが外に表れたのがサンフンではないでしょうか?
 考えてみると、私に限らず俳優には日常生活では凄く小心な人が多い気がします。日常生活では小心ですが、いざ演技となったら心の中にあるものを外にはき出す能力を持っているのが俳優ではないでしょうか? サンフンという人間も、実は非常に弱い人間だと思います。家族や社会はまるで狩猟をする狩り場で、私たち人間を駆り立てる狩人のような気がします。家族や社会の中で、ネズミや狐やウサギといったいろいろな動物たちが駆り立てられている。どんなに弱いネズミやウサギのような存在でも、追い詰められて窮地に陥れば、生きていくために歯をむくと思います。サンフンも同じように、家庭や社会という狩り場で駆り立てられて、振り向いて歯をむいた弱い動物ではないでしょうか? 生きていくために鎧をまとった弱い動物ではないでしょうか? 自分自身も、小さい頃は自分の家族や家庭、あるいは社会や学校がまるで狩りの場所のような、自分が追い立てられる獣のような気がしていました。それは自分以外の多くの友人も同じでしょうし、あるいは日本の若い人たちも同じかもしれません。駆り立てられているような、それに対して何とか自分の身を守っていかないといけないような、そういう感情に追い込まれたことがありました。

多くの韓国映画で日本人が感じることだと思いますが、味付けが濃い、感情表現が激しいと思います。今回の映画のサンフンも最初から最後まで汚い言葉で毒づいていますが、何らかの意図で誇張しこのようなキャラクターにしたのですか? あるいは実際にこのようなチンピラは韓国では普通にいるのでしょうか?

 もちろん、映画の中のキャラクターなので想像で作り上げた部分もありますが、まさにリアルで、こんな奴は韓国には掃いて捨てるほどいます。  例えば自分が経験したのですが、ある時超満員の地下鉄に乗っていた時、後ろの車輌から周囲をはね飛ばしながら駆けてきて外に飛び出していった奴がいました。若い男でしたが、皆が「何だ、無礼な奴め」と怒っていると、ホームに降りてこちらを振り返った眼が怒りに震えていて、まさに「俺に触れたら殺すぞ!」といった目つきでした。この男も、1人のサンフンではないかと思います。
 また、ある時小さなバスに乗っていたら、車内で高校生らしい子供が携帯ゲームをやっていました。音がうるさいので「少し静かにしてくれよ」と言ったら、全く無視してゲームをやっているので、隣に座っていた中年の男性が「おい、少し静かにしろよ」と注意したら、それでも無視していました。「静かにしろと言っているんだよ、このガキ!」とおじさんが言ったら、その子がゲーム機をバン!と叩きつけて「うるさいんだよ、オヤジ!」と言いました。でも、彼はわざとそうやっているのです。わざとトラブルを起こそうと思って、そのような態度をとっているのです。自分の中にある生き難さや鬱屈したものをどう表現したらいいのか分からない、だからわざとトラブルを作って歩いているので、そういう若者はたくさんいます。
 もうひとつ、20歳の頃、日本の秋葉原のような韓国の龍山(ヨンサン)という電気街で友人とアルバイトをしていましたが、その友人の父親は、後で分かったのですがヤクザでした。毎日肉体労働でアルバイトをして、酒を飲んで、電車で帰るのですが、会社の帰宅時間でぎゅうぎゅう詰めの電車の中で、その友人が突然ライターを取り出して、「おい、たばこはないか?」と聞きます。何をするつもりなのか不安に思ったのですが、1本渡したら、車内で火をつけてたばこを吸い始めました。周囲の人は「なんだこいつは?」という顔で怒っているのですが、周りをじろっと眺めて「何か文句があるのか?」と言うのですね。その場の大人たちは何も言えずに首を垂れ、ぎゅうぎゅう詰めなのにだんだん周囲から人が少なくなっていく。彼もきっと何かの生き難さを抱えていて、わざとそういうことをしていたのだと思います。  そういう人間、生き難さを抱えて自らトラブルを引き起こすような人間は世の中にたくさんいると思いますし、私もたくさん見てきました。ですから、この映画は決して誇張しているのではなく、リアルにこういう人間がいると思って描きました。

映画に描かれていた韓国社会における家庭内暴力や男尊女卑も衝撃的ですが、これにも誇張はないのですか?

 昔と比べると現在は大きく変わっていると思いますが、私の小さい頃には家庭の中では常に女性、母親が被害者でした。力を持っている者が強くて、その力を行使する。その力を持っている者の権力が向かう先が女性や子供であったわけです。これは非常に原始的な考えではないでしょうか? 人間は誰でも弱い存在ですから、社会的に力がある者、金がある者、権力がある者に対抗することは出来ないわけです。逆にその矛先は、弱いほうに向かってしまう。息苦しい韓国社会の中で、父親は家庭で加害者の役割をやらされている、母親は被害者の役割をやらされていたのではないでしょうか? 社会的には父も母も社会から圧迫されて力がない無力な存在なのに、無力でありながら父親は力を行使する側をやらされ、母親は力を行使される側をやらされていたのだと思います。
 そのように考えると、男女の差はありますが、社会的に力を持っているかいないか、権力があるのかないのかによって、人を加害者か被害者にする状況が韓国社会にあったのではないでしょうか? 権力を持っている者は逆にすごく弱いですし、権力を失うことを恐れますし、自分の行為と同じようなことをされるのではないかと恐れると思います。それは、社会でも家庭でも個人でも同じではないでしょうか? 国と国との争いでも、力を持っている国は逆に自分がしたようなことを別の国にされることを恐れるでしょうし。
 この映画のサンフンも考えてみれば非常に弱い人間だと思います。彼は暴力をふるっていますが、暴力をふるわれることは誰よりも怖い。そのことを恐れている弱い人間で、弱いからこそ自分から先に暴力をふるっているのだと言えるかもしれません。

高度成長期の日本でも父親たちは家庭を顧みずに働いてきましたが、監督は、韓国の歴史を考えると国が親たちを傷つけてきたと言われています。これは、具体的にはどのようなことを指しているのでしょうか? 分断国家として冷戦のフロントに立たざるを得なかったことですか?

 政治については詳しくないですが、社会も国も個人に犠牲を強要します。国が個人の幸福を追求する権利をまず認めてから何かを求めるのではなく、個人の権利を認めないのに愛国者になることを強要することがあったと思います。日本でも、戦前は神風特攻隊のように国のために命を捨てさせたことがあったと聞きました。実際に特攻隊に行った人は必ずしも国のために命を捨てて満足ではなかったでしょうし、自分の命を捨てることは自分の人生が終わることですから本当に怖かったと思いますが、そういうことを強制するような雰囲気があったのだろうと思います。そういう意味で、アメリカという国には、好きか嫌いかということを離れて韓国人から見ると不思議な点がありますね。自国民が中東で人質になったら、それがたった1人でも救うために国家が出てきますよね? でも、韓国には、国全体の運命の前では1人の国民の命は全く何の問題にもされてこなかった歴史がありました。そういう点を考えると、やはり今までの社会や国は、個人に犠牲を強要し、個人に傷を与えてきたと思います。
女子高校生のヨニと出逢ったサンフンは、強者から弱者への暴力のサイクルに反旗を翻すわけですが、サイクルから抜け出そうとして殺されてしまうわけです。監督ご自身は、結局暴力のサイクルには飲み込まれてしまうとお考えなのですか?
 私もご覧になった人に聞いてみたいのですが、この映画を観た時にそれでも希望はあると感じましたか? あるいは、やはり希望はないと感じましたか?

難しい質問です。生き残った人たちは生き続けないといけないですが、あの場所を抜け出すのはある種の理想ですね。にもかかわらず、理想を求め続けないと人間は生きていけないと思いました。

 すべての物事には二重の意味があります。世の中には絶対的な善はないでしょうし、絶対的な悪もないでしょうから、常に複数の意味を含んでいると思います。例えば、この映画の最後にサンフンが死んでしまうことに、更正しようとした人が途中で死んでしまった悲劇と理解することも出来るでしょうし、あるいはもう一方の私の気持ちとしては、サンフンは自分の中にわだかまってきた怒りや憤怒を投影した人物、人物であると同時に私の怒りそのもの、鬱屈した感情そのものです。それが死ぬことで、私の中の怒りやわだかまりが浄化された、心の中にため込んできたものを燃やし尽くして私が変わることが出来たと感じています。私個人は、ラストシーンで心の平安を得ることが出来たとも言えるので、いろいろな見方があるでしょうが。
 韓国でも、この映画を観た記者の方から、「サンフンを殺したヨニの弟のヨンジェが暴力をふるっているところで終わるのですから、暴力の連鎖ということですか?」という質問をたくさん受けましたが、確かに暴力の連鎖とも受け止めることが出来るでしょう。しかし、映画の冒頭のシーン、サンフンが男を殴った後にまた女を殴るシーンから、最後のヨンジェの暴力に至るまでの一連は、そこから始まってそこで完結しているわけではないと思います。この映画自体が人生のひとコマでしかないでしょうし、この映画の外にいろいろな物語もあり得るし、ヨンジェも暴力の連鎖で悪人になってそれでおしまいというわけではなく、他の生き方をしていく可能性もあるのではないでしょうか?<
 多くの監督さんも同じようにおっしゃっていますが、私は自分の考えが完成したから映画にすることは殆どありません。完成した映画自体は常に過程であり、進行中であって、それらが映画になっても、映画自体を完結した存在と捉えることは出来ないと思います。最後のシーンも、理屈で言うと暴力の連鎖と捉えることが出来ますが、あれを見ているのはヨニの視点ですから、ヨニがサンフンを見ている、かわいそうな弟と思って見ている、サンフンはヨンジュを見ている。それにサンフンの顔が重なるということは、サンフンもまた悲しい存在だと見ている。それを見ている、そこに2人の男の顔を見てしまうヨニ自身も、すごくかわいそうな悲しい切ない存在だと見ているのではないでしょうか? 同時に、そういう状況をスクリーンで見ている観客、私たちも人間の悲しさをそこに見ていると考えられるかもしれません。
 世の中にはなかなか断ち切れない暴力の連鎖があることを誰もが思うことではないでしょうか? でも、そういう中でも諦めずに希望を求めて生きるのも、また人間なのでしょうが。

 内外の映画祭で絶賛された韓国映画『息もできない』。日本のフィルメックスでも多くの観客から支持された秀作は社会から見放された若き男女を描き、崖っぷち経済の日本でも多くの支持を得られるだろう秀作だ。

 (取材・文・写真:Kei Hirai)

公開表記

 配給:ビターズ・エンド
 2010年3月20日よりシネマライズ渋谷他で公開

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