インタビュー

『ドキュメンタリー沖縄戦 知られざる悲しみの記憶』太田隆文監督 オフィシャル・インタビュー

©浄土真宗本願寺派(西本願寺) 青空映画舎

 日本で唯一、地上戦が行われた沖縄戦。それを描いた映画やドラマは少ない。『ドキュメンタリー沖縄戦 知られざる悲しみの記憶』では、その当時を知る体験者、専門家の証言を中心に、米軍が撮影した記録フィルムを交え紹介。上陸作戦から、戦闘終了までを描く。この度、太田隆文監督のオフィシャル・インタビューが到着した。

本作の着想のきっかけを教えてください。

 僕はもともと青春映画を作っていたんですが、『朝日のあたる家』という原発事故を題材とした社会派映画を作ったことで、それを見たスポンサーから「沖縄戦を体験した人たちの証言を中心としたドキュメンタリー作品を作って欲しい」という依頼が来ました。原発に次ぐ題材として、沖縄戦は前から興味があったので渡りに船で、企画がスタートしました。

体験者と専門家の方々の証言が出てきますが、どういう方にお話を聞いたんですか?

 完成した時に、沖縄戦に詳しい専門家の方が「監督、よくあれだけの人を探し出してインタビューしましたね! 今ご健在の方でベストのメンバーですよ」と言ってくださったんですが、実は手探り状態でスタート、いろいろな方の紹介でお訪ねし、お話を伺うということを3年間続けたものをまとめたら、結果的にその道の第一人者と言われる素晴らしい方たちが揃っていたというのが本当のところなんです。映画の神様が導いてくれたんじゃないか?引き合わせてくれたんじゃないか? そんな思いさえするくらいに、素晴らしい方々と出会えたこと。ありがたかったです。
 作品をスタートする前、沖縄戦のことを詳しく勉強をしてから取材しなくては!と思っていました。僕は本当に沖縄戦のことを知らないので、周りの友人たちにも聞いたんです。すると彼らも沖縄戦について知らない。考えたら、学校の日本史の授業では、沖縄戦を含む太平洋戦争は3学期になってから。卒業式間近でバタバタと終わってしまう。だから、誰もが知らない。映画でも沖縄戦を題材にした有名作品は少なく、『ひめゆりの塔』(リメイクを含め数本)と『沖縄決戦』しかないない。終戦記念日に放送されるドラマでも本当に少ない。だから多くの人が沖縄戦を知る機会がないことが分かりました。
 そこで僕自身が沖縄戦の歴史をしっかりと勉強するよりも、ゼロからスタートしたほうがいいのでは?と思えました。詳しく勉強すると専門的になり過ぎることがある。それより一般の人と同じレベルでスタートしたほうが、映画を観る観客の視点で取材ができる。例えばアメリカに住んでいる人にアメリカを案内してもらうと、現地の人はアメリカでは左ハンドルということはわざわざ説明してくれない。当たり前だから。でも、アメリカを知るにはそこからスタートしたほうが分かりやすい。沖縄戦も同じ。何も知らない状態からスタートして、少しずつ勉強しながら3年間取材。映画自体もそんな形にすれば、何も知らない人が観ても分かりやすい作品になる!と考えました。

構成はどのように考えましたか?

 取材を続けて分かったのは、沖縄戦は一言で言えないということ。真珠湾攻撃だと「日本軍がハワイを奇襲して、アメリカ軍に大きな打撃を与えた」と一言で言えるんですが、沖縄戦は、上陸作戦があり、首里城の戦闘があり、集団自決があり、対馬丸事件があり、いろいろな事件や戦闘を全てまとめて沖縄戦なんです。ミッドウェーや真珠湾とはかなり違う。取材していくうちに気づいて、様々な事件をできるだけ取り込み、沖縄戦の全貌が分かる構成にしました。

劇中で「集団自決については話せなかった」という方もいらっしゃいました。終戦から75年で、体験者の方々も高齢となり、皆さんの証言を映像に収められたのは貴重なことだと思います。このタイミングで撮影ができたことについてはどう思いますか?

 この映画は体験者の証言が中心。多くは高齢者。現在80代の方々は当時5、6歳。なので、細かな記憶がなく、後で親や兄弟から聞いた話で補足したとも聞きます。幼い頃の記憶なんです。現在90代の方は当時15歳くらい。中学生なのでしっかり記憶している。でも、年齢的に今もご存命の方は少ない。
 中でも集団自決=集団強制死の話は特に難しいものがありました。今も一切話さない方もいらっしゃいます。アメリカ軍に家族が殺されたということではなく、追い詰められ自らの手で家族を殺さなければならなかった方もいて、今証言すると、生き残った人や関係者から「あいつがあんなことしなければ、***も生きていたのに……」と批判されたり詰めよられたりもする。本人も自責の念に駆られる重い十字架を背負っている。過去の話で終わらせることができないんです。だから、死ぬまで話せない。ただ、今回、そんな集団強制死について、お二人の方に当時のことを話してもらえました。
 他にも80、90歳になってきて、自分も先が長くないと思え、「語りたくなかったけれど、伝えておくべきじゃないか?」と思い、誰かに話したいという方もいたと聞きます。逆に、すでに亡くなっていてインタビューできなかった方もいます。そんな一人が大田昌秀元知事。鉄血勤皇隊(少年兵)として戦闘に参加された方です。本当にお話を伺いたかったです。ですが、地元の方が「今の時点で沖縄戦を伝えるベストの証言者を選択をしていますよ」と言ってくださるので、意義がある作品になっていればと思っています。

この時代に公開する意義に関してはどう思いますか?

 「ドキュメンタリー沖縄戦」と言うと「歴史の勉強」だと思われがちですが、新型コロナウィルス感染が大変なことになって緊急事態宣言が出た今の状況と、とても似ています。戦時中、政府は「飛行場を作れ、軍隊の手伝いをしろ!」と県民に指示するのに、ほとんど人件費も払わず補償もしなかった。今の政府は「店を閉めろ」「外出するな」「テレワークだ」「旅行へ行くな」「家で過ごせ」「熱が出ても4日間、自宅にいろ」と要請しますが、小さすぎるマスク2枚と10万円の寄付金のみ。PCR検査さえ、なかなかやってくれない。同じ構図です。
 いずれも「国民は政府に従えばいいんだ。でも死んでも知らないよ~」みたいな対応。その背景にあるのは何か? 沖縄戦を見つめることで見えてきます。それは「歴史の勉強」じゃなくて、今の時代を見つめることになる。答えを過去で探すことができます。

日本vs米国だけではなく、日本軍や教育の酷さにフォーカスしているように思いましたが、その理由を教えてください。

 僕が沖縄戦と聞いた時、思い出したのは、住民が隠れるガマ(壕)に向かい米兵が火炎放射器を使う残酷な映像。ニュースで見ました。だから「沖縄の人たちは米軍に酷い目に遭わされた」と思っていたのに、体験者の証言を聞くと、アメリカ軍からも酷い目に遭ったけれど、日本軍からも酷い目に遭ったことが分かってきました。中には、アメリカ軍の方が親切だったと言うおばあちゃんもいます。飴やチョコレートをくれた。もちろん、アメリカの作戦ということでもありますが……。反対に日本軍は住民をガマから追い出したり、食料を奪ったり、「泣いている子どもを殺せ、米兵に見つかるだろ!」と親に命じる者さえいたそうです。結論を言えば、沖縄県民は、日本軍とアメリカ軍の両方に踏みつけられた。
 考えてみると、戦争というと「敵と戦うもの」と思いがちですが、自国の軍隊にもひどい目に遭う。それも戦争。そして沖縄戦は、住民の避難経路も考えずに遂行され、14歳から70歳までみんな動員された。その背景にあったのが軍国教育。そこを見つめないと、ただ、アメリカと戦ったというだけでは沖縄戦は見えて来ない。そこを追求することで「戦争」の本質が見えてくる。軍隊は国民を守らないと分かってきます。

今日本では戦争はないですけれど、教育の話だとかは、今にも通じるものがありますね。

 そうなんです。なぜ県民が犠牲になったか?というと、大きな理由は教育。「自分を犠牲にしても国を守れ」と教えることによって、死を恐れずに軍に協力する。そんな教育が戦争を推進した。今の時代と共通することがあります。あの当時の子どもたちは「大きくなったら兵隊さんになって国を守るのが日本人のあるべき姿!」と思い込んでいた。現代は「いい成績をとって、いい大学に入って、いい会社に入ると安定した生活ができる!」という優秀なサラリーマンになることを目指す。両方とも国策。優秀な兵隊を育てる。優秀なサラリーマンを育成する。「それ以外はダメだ」という風潮。当時「戦争は嫌だ」と言えば「非国民!」と罵倒された。今「勉強は嫌だ!」というと「落ちこぼれ!」と蔑まれる。しかし、軍国教育のために多くの犠牲者が出た。戦後の教育で日本は経済大国になったが、与えられたことしかできないサラリーマンばかり育てたので、20年を超える不況から脱することができない。新しいこと、違ったことができる人たちを育ててないので、アジア諸国にどんどん抜かれている。やっていることは戦前と同じ。なのに、どっぷり浸かっているので実感できない。沖縄戦を見つめることでそんなことも見えてきます。

インタビューをする際に工夫した点はありますか?

 講演会等で語る機会がある方が多いので、こちらはひたすら聞かせてもらうだけで、特に何かする必要はありませんでした。ただ、お話を伺い、自身のクラスメートや友達が死んで行く中で自分だけ生き残ってしまった罪悪感。申し訳なさ。それに苛まれる。だから、生き残った自分は、せめて体験を世の中に伝えることが責任、自分の使命なんだ。同じ悲劇を繰り返させてはいけないという思いを感じました。人生に対して、世の中に対して真摯に考え抜いた言葉なので、僕があれこれ映画技法を使わなくても、あの方たちのインタビューを前面に押し出すだけで、観客にもしっかりと伝わると思います。

『朝日のあたる家』の制作時は、原発事故の被害者の方々に取材したんですよね?

 『朝日のあたる家』の撮影前に取材した時は、東日本大震災の1、2年後ですから、皆さんまだ打ちのめされた状態で、いろいろなことを把握しきれていなかった状態。事故が進行する中での取材でした。が、沖縄戦は75年前。証言者はこの75年間ずっと考え続けてきた方々なので、お話も分かりやすく組み立てられていました。ただ、目の前で多くの人が死んで行く姿を見つめた方々。1時間聞いているだけで、こちらがヘトヘトになります。同じ内容のものを文章で読んでも、同じものを感じることはできないでしょう。そこからも体験者の「言葉」の重さ、貴重さを感じます。

話しながら泣かれる方はいらっしゃいましたか?

 向こうは何回も話しているし、必死に伝えようという想いで話してくださるんですけれど、聞いているこっちが泣きそうでした。でも、僕が悲しみに打ちのめされるなら、映画を観た観客にも同じ悲しみが伝わると考えます。CGを使ったリアルな戦争映画のシーンよりも心に響くんじゃないかと思っています。

ナレーションを宝田 明さんと斉藤とも子さんにお願いした理由をお教えください。

 アナウンサーが原稿を上手に読むだけでは沖縄戦は伝わらないと思えました。証言者が戦争を体験した人なのに、ナレーターが戦争を知らない若い人ではダメ。そこで戦争に対して「想い」や「経験」がある人をと考えました。宝田さんは子どもの頃に満州から引き揚げて来た経験がおありだし、斉藤とも子さんは『ひめゆりの塔』の映画にも出演していて、実際にひめゆり学徒だった方々に会って話を聞いています。どちらも戦争に対する強い「想い」をお持ち。それがとても大切だと感じて、お二人にお願いしました。

宝田さんとのエピソードは?

 宝田さんにナレーションのお願いに行った時に、取材したおばあちゃんやおじいさんの話をしたら、ご自分が満州から引き揚げてきた時の話を聞かせてくれました。ティッシュで目頭を押さえながら話され、その途中で「よし、分かった。やろう」とおっしゃってくださって。「残りの人生は、戦争の悲惨さを伝えることに費やしたい」とのことで、講演活動もされています。そういう方とご一緒できたことで作品が一段と伝わるものになった。ある意味で宝田さんもまた、証言者の1人だと思えています。

斉藤とも子さんの戦争に対する想いについては聞いていらっしゃいますか?

 彼女のお父さんも満州から引き揚げてきた方なんです。帰国途中、朝鮮半島を歩いて横断しているとソ連兵に見つかり銃を向けられて「お前は日本人だろう?」と言われた時、近くにいた朝鮮のお百姓さんが「そいつは日本人じゃない、朝鮮人だ!」と言って助けてくれたそうです。でなかったら、捕まってシベリア送り、殺されていたかもしれない。その時お父さんが殺されていたら、自分は生まれていない。そんな話をあるインタビューで読みました。
 だから、斉藤さんも広島の原爆の被害者の方々についての論文を書いたり、沖縄でも講演会もされてりしているのではないか? 『朝日のあたる家』の出演をお願いした時も、「私も原発事故の被害に遭った方々に何かできることはないか?と思っていました」と出演してくださいました。役者さんって可愛くて綺麗な特別な人たちと思いがちだけど、そんな想いを抱えて仕事をする方もいます。今回は「沖縄戦」という大きな悲劇を伝える作品。斉藤さんのような思いを持つ方に参加して欲しかったので、お願いしました。

昨年沖縄で完成披露上映会を開催して、1000人以上の方に観ていただいたと聞きましたが、沖縄の方たちの反応はいかがでしたか?

 ご高齢の方が多かったです。戦争を体験された方もいらっしゃったでしょうし、詳しく勉強されている方もいたので「これは違うぞ!」と言われないか?と心配だったのですが、3回の上映後、3回とも拍手が起きました。上映後に声をかけられて「作ってくれてありがとう!」「必ず全国で上映してくださいね、沖縄戦を伝えてくださいね!」と何人にも言われました。「多くの人に伝える」という映画の意味を感じました。例えば専門家の方が講演会をしても、1度に100人200人の前でしか話せない。1年に何回講演できるか? でも映画は全国の映画館で公開できるし、何万にも伝えることができる。映画の力は大きい。テレビの力はもっと大きいけれど、なかなか沖縄戦を扱ってくれない。1度放送するとおしまい。映画は映画館以外でも上映できる。DVDやケーブル、ネット配信にも展開できる。沖縄の皆さんの思い、全国に伝えたいです。

本作で特に注目してもらいたい部分はありますか?

 これも沖縄の専門家の方が言ってくださったんですけれど、「沖縄戦のドキュメンタリーはたくさんあります。ただ1つの事件、1つの戦闘を詳しく描いたものが多い。『この作品を観たら沖縄戦全体が分かる』という作品は意外にないんですよ。約2時間で全貌がほぼ分かるのは今回の作品が初めてですよ」という評価を頂きました。また、監督である僕自身が知識ゼロからスタートし、勉強しながら制作したので、専門的になり過ぎず、中学生が観ても分かる内容になっています。「歴史を勉強する難しいドキュメンタリー」というつもりで作ってないし、悲しい話ばかりじゃなくて、途中に「へーそうなんだ」というエピソードも入れて、1時間45分、退屈せずにいろいろなことが分かる作品。若い方にもぜひ観て欲しい。沖縄戦だけでなく、今の日本。そして未来が見えてくる作品。映画館で観ていただけると嬉しいです。

公開表記

 配給・宣伝:渋谷プロダクション
 2020年7月25日(土)より新宿K’s cinemaほか全国順次公開

(オフィシャル素材提供)

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