インタビュー

『わが教え子、ヒトラー』ダニー・レヴィ監督 インタビュー

映画で歴史的な真実を語ることはできないし、語る必要もない。コメディーにおいては特にそうだ

 ユダヤ人がヒトラーのスピーチ・コーチだった!? ヒトラーをユーモラスかつトラウマを抱えた悩める人物として描き、ドイツ本国でセンセーションを巻き起こした『わが教え子、ヒトラー』。自らもユダヤ人であるダニー・レヴィ監督が、あえてタブーに挑戦した理由を語ってくれた。

ダニー・レヴィ監督

 1957年、スイスのバーゼル生まれ。バーゼルの舞台に出演したのち、1980年以降ベルリンに拠点を移す。若いカップルの純愛を型破りなストーリー展開で綴った監督デビュー作『イカれたロミオに泣き虫ジュリエット』(86)が、ベルリンでロングラン・ヒットを記録。『Robby Kalle Paul』(88)、『I Was On Mars』(91)に続く短編映画『Ohne Mich』(93)ではミュンヘン映画祭最優秀監督賞を受賞した。その翌年、シュテファン・アルント、ウォルフガング・ベッカー、トム・ティクヴァらと制作会社〈X-Filme Creative Pool〉を設立し、同プロダクションの初期作品として『盗聴2』(95・未)を監督した。監督&主演を兼任した『ショコラーデ』(98)では、ババリア映画賞の作品賞と撮影賞を獲得。その後はテーマパーク向けの360度パノラマ映画やミュージック・クリップなどを手がけ、近作のコメディ『Go For Zucker!』(04)ではドイツ映画賞の作品賞、監督賞、脚本賞など数多くの賞に輝いた。

今回はウェブの映画サイト向けのインタビューとなります。

 10年後にはウェブ・マガジンが主流になるのかもしれないね。もしかしたら、それのみになっているということもあり得ると思う。

ヒトラーに関してはこれまで何度か映画化されていますが、以前からずっとこの題材を取り上げたいという思いがあったのですか?

 ヒトラーを題材に映画を撮ることを私の人生プランに組み込んでいたわけではないけど、ヒトラーは私にとって重要な人物だとは感じていた。だから、彼を題材にいつかは映画を創らなければいけないとは考えていたんだ。そうこうしている内に、私の中で次第にアイデアが熟していった。ナチスを題材とした映画のコンセプトとして、これまでとはまた違った形の映画を創ろうと考えて今回に至ったわけだ。これまで創られた多くの映画には、ナチスに対する畏敬の念がどこかにあったと思う。でも私は、そうしたものはナチスには全く値しないものであるという批判的な考えを抱いてきた。例えば、『ヒトラー ~最期の12日間~』は映画としては素晴らしいと思うが、無意識の裡にナチスの栄光を描いているところがあった。だから、今回の映画をコメディーにすることが私にとっては重要だったんだ。コメディーは既成概念を破ることができるし、“ポリティカリー・インコレクト”(註:人種・民族・宗教・ジェンダーなどに対して偏見が含まれていない表現であることを示すポリティカリー・コレクトの逆)であることができる。
 この映画に対してはさまざまな反応があるが、私はそれでいいと思っている。

近年、なぜヒトラーを題材にした映画が増えてきていると思われますか?

 ナチスは、ドイツではまだ克服できていない過去の遺物なんだ。ドイツ人は今もなお悩んでいる。ただ、2006年にサッカーのワールドカップがドイツで開催されたことをきっかけに、ドイツ人は自分たちを愛するという新たな感情を獲得するに至ったんだ。ドイツの国旗が掲げられると、ドイツ人は自負と誇りに罪と恥の意識が混在するような感情を味わうものだ。ドイツ人の裡にはそのような歴史的な傷とでも言えるものが残っており、膿んだまま癒えずにいる。それはどうしてなのかと考えた時、ドイツ国民がナチスという存在を受け入れた原因というものが歴史的に究明されていないからだと私は思ったんだ。つまり、市民化・文明化されたドイツという国家において、なぜあれだけの大量殺戮が行われたのか、その理由が未だに解明されていない。だからこそ、ナチスやヒトラーを題材とした作品が多く生み出されているのではないかと思う。

これまでの映画とは違ったアプローチを目指したということですが、監督がこの映画にこめた今日的なメッセージがありましたらお聞かせください。

 これがメッセージだというものはない。そもそも私がこの映画を創ろうと思ったのは、ごく個人的な理由からだった。私はユダヤ人として、自分の家族が亡命を余議なくされた国に戻ってきている。私自身がドイツ文化の一部だと思っている。私の母親の家族は当時、ドイツから国外に亡命した。母はベルリンで生まれ育ったが、亡命せざるを得なくなった。そういったこともあって、私自身ドイツのあの歴史を何らかの形で清算しなくてはいけないと思ったんだ。どうしてあのような大量殺人が可能であったのか、個人的にも知りたいという思いは人一倍かもしれない。今回の映画を創ることによって、ナチスが台頭した原因について人々が改めて考え始めるのであれば、私はある種の貢献ができたと思う。この作品を通して何かを教えたいのではなく、新たな問題提起ができればうれしいし、私の作品に刺激されて新しい形でのディスカッションが起きるといいと考えたんだ。
 この映画を創るにあたり、アリス・ミュラーという心理学者が説いている“ブラック・エデュケーション”という概念が私に大きな影響を与えた。つまり、当時子どもたちが暴力を受け、権威主義的な環境で育っていたということは、私自身知らなかったんだ。つまり、家庭の中においても子どもを虐待するということが日常茶飯事だったわけだ。子どもは暴力を受けると、大人になって今度は他人に暴力を振るおうとする。そういった現象はヒトラーに限ったことではなく、あの当時のドイツ国民全体に言えることなんだ。だから、これが私の映画において最も重要なアイデアであると言える。

ウルリッヒ・ミューエさんは大変素晴らしい役者さんでしたが、残念ながらこれが遺作となってしまいました。彼に対する思いや、現場でのご様子をお聞かせ願えますか?

 私自身、以前からウルリッヒ・ミューエの大ファンだったんだ。悲劇でも今回のようなコメディーでも彼は本当に素晴らしかった。テレビでも舞台でも映画でも活躍している俳優だった。グリュンバウムを配役を考えていた時、彼のことが心に浮かび、ぜひオーディションに来てほしいとお願いしたところ、有名な俳優にも関わらずちゃんと来てくれたんだ。でも、来てもらったものの、この役には合わないと思い、その時は断ってしまったんだよ。で、その後は他の俳優を探したんだが、見つからなかった。それでウルリッヒに電話をして、もう一度オーディションに来てくれないかとお願いをし、快諾してもらった。そういう経緯を経て彼に決めたんだ。
 彼自身、このプロジェクトをとても気に入ってくれた。撮影中、グリュンバウムという役がどこまでコミカルであっていいのかということを、彼とよく議論したよ。ヒトラーの役は大変コミカルなわけだが、それに対してグリュンバウムはそれとは違った存在だ。歴史的にいっても、彼を笑いのタネにすることには限界がある。つまり、ユダヤ人であり、強制収容所から来ているわけだからね。だから、コメディーの英雄的な存在にすることはできなかった。しかしその中でも、いくつかのシーンにおいては彼がコミカルに描かれても許されると思った。それに関しては、ウルリッヒ自身とても喜んで演じてくれたよ。そして編集作業に移った時、ウルリッヒがどれだけ素晴らしく演じてくれたかということを再認識した。
 撮影中は彼自身、胃癌には気づいていなかったと思う。彼が知ったのはポスト・プロダクションの頃だったはずだ。『善き人のためのソナタ』がオスカーを受賞したのは2007年2月だったが、その当時は彼も癌を克服できると信じていた。彼を失ったことは私自身、今も悲しい気持ちでいっぱいだ。

どうして、最初のオーディションではミューエさんがグリュンバウムの役に合わないとお考えになったのですか?

 彼があまりに優しすぎ、フレンドリーすぎて、無害な人物に見えると思ってしまったんだ。もう少し悪知恵のありそうな印象の人がほしかったんだよ。グリュンバウムというのはもっとアンビバレント(両義的)な役だと考えていたから。ただ単にポジティブな印象だけではなく、懐疑心・猜疑心を抱いている人物として描きたかった。でも、この映画を見返してみると、改めてウルリッヒで良かったと思ったよ。知的だが、どこか計算されたずる賢さも感じさせる演技をしている。

ドイツ本国では公開されてさまざまな反応があったと思いますが、どんな反応、どんな議論があったのかお聞かせください。

 まず、ヒトラーを演じた俳優ヘルゲ・シュナイダーはドイツですごく有名なコメディアンなんだ。だから、彼がヒトラーを演じるということ事態、ビッグ・ニュースだった。全く想定外のことだったからね。だから、この映画を観る前、人々は笑いの連続なのだろうと思ったようだ。モンティ・パイソンのコメディーのような映画ではないかと。でも、実際に観てみると結構ハードだったので、落胆したり驚いたりしたようだね。コメディーと聞くと皆さんはおそらく、ただ単に最初から最後まで笑えるという期待をもって観るのものなのだと思う。でも、それは私の目的ではなかった。自分のこれまでの人生を振り返ってみても、自分の気持ちの中でもこのテーマは悲劇的にとらえられるものであって、そういう思いが心を支配していた。
 ドイツでの反応は実にさまざまだった。全く面白くないという人もいた。そもそもこのテーマを笑いのタネにしてはいけないという人もいた。なんと、「ヒトラーを笑いのタネにしていいのか」とアンケートまで取られてしまったんだ(笑)。で、私は驚いてしまったんだが、ドイツ国民の60%が「ヒトラーを笑いのタネにしてはいけない」と答えたんだ。すごくショックだった(笑)。
 もうひとつ物議をかもしたのは、ヒトラーをこれほど人間的に描いて許されるのかということだった。つまり、ヒトラーは苦しみを抱いている可哀想な人間として、観客の同情心を誘うような描き方をして良いのか、と。私がああいった形でヒトラーやナチスを描くことによって、彼らを赦しているんだと受け止める人々も多かった。私は決して赦してなどいない。ただ、理解したいだけなんだ。私自身がユダヤ人なので、残念ながらまだ理解するには至っていない。先ほどアリス・ミュラーの“ブラック・エデュケーション”について触れたが、この映画の中に含まれている要素は、ドイツよりも海外でより理解されている。アメリカ、日本、ロシアなどの国々で理解を示してくださる方々が多い。一方、ドイツ人は全く聞く耳を持っていない。あれだけの殺人者の場合、子ども時代どうだったからああなったんだというアプローチは、ドイツではタブーなんだ。私自身は、ヒトラーのみならず、当時そういう教育を受けてしまった子どもがドイツ中にたくさんいたということを、一生懸命説いているつもりなんだが、それについては議論をしようとしないし、受け入れようという土壌は今のドイツにはない。おそらく、このテーマに関してはドイツ人の思考は停止してしまうのかもしれない。

ドイツ人の中で傷が癒えていないということも、背景にあるのでしょうか。

 他の民族を大量虐殺したという事実自体にトラウマを抱いているんだ。日本もおそらくそうだと思うが、第二次世界大戦時に第三帝国と同盟を結んでしまったということは、トラウマになっているのではないかな。結局、東京も空襲でやられてしまって、瓦礫から立ち直らなくてはならなかったね。ドイツ人はどちらかというとマゾヒストなところがあって、このテーマを題材にしたがる傾向にある。でも、このことを新たな形でテーマ化するのは健康なことだと思うね。残念ながら、これは事実として起きてしまったことなので。ドイツにいると、ナチスの残した足跡はまだ身近に感じられるよ。

主人公の名前をアドルフとした理由をお聞かせください。

 当時、アドルフという名前はユダヤ人の中でもポピュラーだったんだ。だから、ユダヤ人であってもその名を持っていることは非常に現実的だった。アドルフ・ヒトラーとアドルフ・グリュンバウムの間に、親戚のような関係性を持たせるのはすごく面白いことだと、私は思ったんだ。つまり、一つのメダルの表と裏のようなものだ。当然ながら、これは勇気のいるやり方だったけどね。「ファシストに会ったら、キスを」という引用が映画の冒頭に出てくるが、これも同じ方向で考えられる。つまり、ファシストに会ったらそれを拒否するのではなく、まずは感情移入をして理解してみようというメッセージだ。

“Die Wirklich Wahrste Wahrheit Uber Adolf Hitler(ヒトラーに関する真実中の真実”というサブタイトルにはどんな思いをこめられたのですか?

 まず、サブタイトルはアイロニックにしようと考えていた。でも後で、これは決してアイロニックではないということに気づいたんだ。この作品の中には私が説明したかった、皆さんに聞いてほしかった真実が含まれている。だから、このタイトルは両義的だ。このテーマでさまざまな映画が作られているが、史実を反映したものがすごく多い。それに対して、私の作品は史実に基づいていないところがたくさんある。つまり、人間的な真実を説明するのに違うやり方を採っているんだ。真実を表現するのはコメディーのでも可能だと、私は思っている。今回のサブタイトルは、『ヒトラー ~最期の12日間~』という映画に対する一つの回答と考えていただいてもいいかもしれない。『ヒトラー~最期の12日間』は、12日間でヒトラーがどうなっていったのかということを信憑性のある形で再現していると主張している映画だ。これはちょっと滑稽だよ。というのは、あれは真実ではないと思うから。私はどんな映画であっても真実を届けることはできないと考えている。私にとって、映画はあくまで芸術だ。いくら映画が真実を再現しようと試みたとしても、映画は偽りでしかないんだ。映画で歴史的な真実を語ることはできない。そうである必要もないと思う。コメディーにおいては特にそうだ。

監督がグリュンバウムだったらこういう行動を取るだろうと考えながら、脚本を書かれたのですか? あるいは違うとしたらどうなさっていたと思いますか?

 私自身があの時代に生きていたら、どういう行動をとっていたかということは考えた。あの独裁体制の中で、どれだけ市民としての勇気を全うしていけるのかというのは、答えを出すのが大変難しい問いかけだ。自分の命が危険に脅かされている時に、どれだけモラルを維持することができるのかというのは想像することさえ難しい。だから、グリュンバウムが置かれていたのは、大変困難な状況だった。そんな中で彼はすごくうまくやったと思う。私自身は彼のように賢くいられたかどうか自信がない。彼のような勇気があったかどうかも自信がない。だから、グリュンバウムは一種の英雄だと思っているよ。

実在した人々を描く上で苦労された点は?

 大変難しかったけれど面白かったのは、いろいろな音楽を奏でるオーケストラを編成できたということだった。ヒトラーを演じたヘルゲ・シュナイダーはコメディアンだが、ジャズ・ミュージシャンでもある。ウルリッヒ・ミューヘは旧東独出身で、あちらで演技の勉強をした役者だ。ゲッペルスを演じたシルヴェスター・グロートも旧東独出身だが、彼が属していたのは新派(ニュー・スクール)で、ウルリッヒは旧派(オールド・スクール)だった。その他の俳優は皆、西側出身だ。とても難しかったのは、そうしたさまざまなバックグラウンドを持っている人たちを集めて、いわばオーケストラを編成したということだね。何より難しかったのは、ユーモアを共有することだった。つまり、みんなが同じ土俵に立って、共に笑えるコメディーを作っていくことが大切だったんだ。難しくはあったが、この試みはうまくいったと思うよ。
 私自身はそれほど細かい指示は出さなかった。「もう少し大きい声で」「小さい声で」「もう少しゆっくり」といったことくらいしか言わなかったね。私はカメラの後ろにいただけだ。だから皆さん、監督という職業を過大評価しすぎていると思うね(笑)。ほとんどは俳優が一生懸命働いてくれるからうまくいくんだ。だから、監督の重要な仕事はキャスティングだね。良い配役をすれば、後は俳優がちゃんとやってくれる。それに、他のクルーもよく働いてくれるし。働いていないのは監督だけだよ(笑)。

 「映画で歴史的な真実を語ることはできないし、そうである必要もない、特にコメディーでは」と言う監督。でも実のところ、映画、そしてコメディーこそ、時には物事の本質を伝えるのに最高かつ最良の手段であることを心得ていたからこそ、批判が巻き起こることを承知でこの映画を送り出したのだ。ヒトラーを風刺する映画はドイツ国外では数多く創られてきたが、ドイツ人自らがより自由な思考と手法でこのテーマに対するべきだという問題提起となっているという意味でも、この映画の意義は大きいかもしれない。
 それにしても、この映画を最後に『善き人のためのソナタ』で忘れ難い名演を見せたウルリッヒ・ミューエが死去したのは本当に残念なことだった。彼の最後の日々を監督から直に伺うことができたのが、私にとってはせめてもの喜びだった。

 (取材・文・写真:Maori Matsuura)

公開表記

 配給:アルバトロス・フィルム
 2008年9月6日(土)、Bunkamura ル・シネマ他にてロードショー!

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