イベント・舞台挨拶

『栄光のバックホーム』明治安田ヴィレッジ 上映イベント

©2025「栄光のバックホーム」製作委員会

 登壇者:松谷鷹也、鈴木京香、秋山 純監督、永島英器(明治安田 取締役 代表執行役社長)

 2013年、阪神タイガースにドラフト2位指名され、翌年からプロ野球界でプレーした、横田慎太郎選手の自著「奇跡のバックホーム」と、彼が2023年に28歳でその生涯を閉じるまで、母・まなみさんら家族と共に闘い続けた人生の軌跡を描いたノンフィクション「栄光のバックホーム」を映画化した『栄光のバックホーム』が、11月28日(金)より全国にて公開される。

 公開に先駆け、“地元のひとが元気になる空間”をコンセプトに、さまざまな催しを行っている「明治安田ヴィレッジ」の一環で行われた本イベント。今年の1月に明治安田・永島英器社長も参加しているという、東京経済人の阪神ファンの集い「猛虎会」に、秋山監督と松谷が参加し、そこでふたりが熱く語った横田さんの生き様に感銘を受けた永島社長が「何かお手伝いできることはないか」と思ったことから、この日の上映会が執り行われることとなった。

 映画を鑑賞したばかりの観客に向けて、優しい微笑みを浮かべながら「皆さん、いかがだったでしょうか?」と語りかけた鈴木。会場からは大きな拍手がわき起こった。

 秋山監督は、この企画がはじまったのは4年以上前のことだと語る。「当時はまだコロナ禍で、横田さんもすごくお元気でした。映画化にあたり、ご本人にもたくさん協力していただき、『観に行くのが本当に楽しみ』と言ってくれていたんです」。しかし横田さんは映画の完成を見ることなく旅立った。「横田さんに観てほしかったなと。それは悔いが残ります」と唇を噛む秋山監督だったが、それでも映画の最後に出てくる「全ての横田慎太郎に捧ぐ」という言葉に触れて、「今は、そういう映画に育っていってくれたんじゃないかなと思っているので。ぜひ今日観たことをどんどん広めていただければ」と呼びかけた。

 一方、本作が映画初主演となった松谷は、横田さんと過ごした4年間を振り返る。「初めてお会いした時から慎太郎さんの素敵な魅力に引き込まれました。その後、体調を崩されて、ホスピスにお見舞いに行ったり、お葬式に参列したり。一緒に過ごしたこの時間を、慎太郎さんの生き様、野球へのひたむきな姿勢など、全部知ってもらいたいという思いが強くて。そういう気持ちで演じていました」と語ると、「本当に慎太郎さんが楽しみにしてくださってたので、一緒に見たかったですね」としみじみと付け加えた。

 一方、ダブル主演として横田さんの母・まなみを演じた鈴木は、「正直なところ、生前の横田さんのことは詳しく存じ上げませんでした。でも阪神がリーグ優勝した時に、選手が彼の背番号『24』のユニフォームを掲げていたんです。そしてちょうどその時に、お母さまが取材に答えている映像を見ていたんですが、あの選手を、一緒に優勝を祝う仲間としてちゃんと迎え入れているんだというニュース映像が心に残っていたんです」と振り返る。それだけに「わたしにその役ができるかしら、と思いましたけど、監督のお話を聞くうちに、これはぜひともやらせていただかなければいけない役だなと。“できるできない”じゃなくて“やりたい”と思いました」と述懐。

 秋山監督も「あのまなみさんの役は京香さんじゃないとできない。今でもまだ夢じゃないかと思っています」と続けた。

 今回、松谷には演技指導というものはほとんどしなかったという秋山監督。その意図について「僕は鷹也に、演じるというよりも、横田慎太郎さんの人生をもう一度生きてくれと伝えました。見た目やしゃべり方を真似るだけでは魂は伝わらない。どれだけその人物のことを考えて言葉を出すこと、その言葉のひとつひとつや、その時に感じたことが一番大事だと思うんです。特に命をテーマにするというのは、とても重いことなんで。ひとりの人生、ひとりの命を映画化するということは、命懸けでないとできないと思っているんです。そして鷹也はそこを全うしたんじゃないかなと思います」とひと言ひと言、かみ締めるように語った。

 そんな松谷を間近で見ていた鈴木も、「慎太郎さんはとにかく野球が好きな青年だったんだなと思いましたし、その大好きなことを一生懸命やっている姿に、まわりの人は惹かれたんだなと思ったんですけど、鷹也くんも同じで。とにかく一生懸命現場にいてくれた。鷹也くんも慎太郎くんと同じように、自分の好きなことを今やれること、そのしあわせを感じて、すべてに全力投球だなと。わたしの中で鷹也くんと慎太郎さんは、同じように素敵な青年だなという感じですね」と誇らしげに語った。

 そんなゲストの話を聞いていた永島社長は「わたしは普段、社内で『履歴書よりも追悼文』と言い続けています。何を成し遂げたかという、転職に役立つような履歴書を飾り立てるよりも、自分が死んだ時に周囲の方からどんなふうに記憶されるか、という追悼文の価値を大事にしようと言っているんです」と語ると、横田さんの野球人生に触れて「彼の1軍でのヒットは20本です。2000本安打を達成する選手もいる中で、それでもこんなに多くの人の心に住み続けて、今も輝き続けている。まさに横田さんほど素晴らしい追悼文の価値を持った人間はいなかった。それをここにいらっしゃる皆さんが、示してくださったことはとても嬉しいことだと思いました」。

 ひとりの野球ファンとして、熱い思いをせつせつと語る永島社長は、2023年の阪神優勝の夜をこう振り返る。「岩崎(優)投手が出てくる時に『栄光の架橋』が流れ、そして横田さんの背番号が掲げられた時、そしてアナウンサーが『横田さん、今、どこで見ていますか?』と呼びかけた時も涙が止まりませんでした。今日、この素晴らしい場にいさせていただいて、私も同じことを思いました。『横田さん、あなたは今、どこでこの光景を見ていますか』と」。

 そんな熱い思いに包まれたイベントの締めくくりに、最後のメッセージを求められた秋山監督は「この映画は、横田慎太郎さんの生きた証をひとりでも多くの方に伝えたいというところからスタートして。観てくださったひとりひとりの人生に勇気を持ってもらえたり、今日しんどいなと思ってる時に『いや、もうちょっと頑張ろう』とか、そういう希望の映画に育ってきてくれたと信じてます。ですからぜひこの映画のことをいろんな方に広めていただいて、この映画をもっと大きく育てていただきたいと思います」と呼びかけると、鈴木も「この映画は、一生懸命生きてる人、そして何かに取り組んで、日々少しでも成長したいと思ってる人、そうやって毎日の時間を一生懸命過ごしてる人の背中を、前へ前へと押してくれる映画だと思っています。どうぞまわりの皆さんにも勧めていただけたら嬉しいですし、お時間を改めて、ゆっくりとご覧になっていただけたら嬉しいです」とメッセージ。

 そして最後に松谷が「公開まであと少しです。僕にできることを全力でやって、一人でも多くの人に慎太郎さんのことを知ってもらえるように全力で頑張りますので。皆さんもSNSや、お友だちに伝えていただけたら……」と語るも、思いがあふれてしまい、言葉に詰まるひと幕も。そんな松谷に向けて秋山監督が「彼はちょっとトークがふがいないんですよ」と優しくツッコんでみせるなど、最後まで会場はあたたかい雰囲気に包まれていた。

横田慎太郎さん プロフィール
 1995年6月9日、鹿児島県生まれ。ロッテなどで活躍した元プロ野球選手の横田真之さんを父に持ち、鹿児島実業高校時代にはチームの中心選手として活躍。2013年のドラフト会議で2位指名され、阪神タイガースに入団。期待のホープとして芽を出し、プロ入り3年目で開幕スタメン入りを果たす。2017年の春季キャンプ中に脳腫瘍が判明し、翌年から育成選手となる。2019年に現役を引退する。引退試合で見せた、センターからの矢を射るような返球は“奇跡のバックホーム”として、今も語り継がれている。引退後は講演やYouTubeでの活動で多くの人に勇気を与え続けた。2023年7月18日、神戸のホスピスで家族に看取られながら28歳でその生涯を閉じる。

公開表記

 配給:ギャガ
 11月28日(金) TOHOシネマズ 日比谷 他 全国ロードショー

(オフィシャル素材提供)

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